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芋掘りラストスパート [【芋/2023】]

2023年10月22日(日)
 いよいよ芋掘りを終わらせなければならない時期が来た。霜の季節はまだ先であるが、掘った芋の乾燥作業期間、保存場所の問題もあり今月末が締切期限だ。
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 秋空の下、泥と芋汁にまみれて終日作業、山の端に日が落ちる頃、鹿の鳴き声も騒がしくなり終了。足腰の痛みも忘れて挑み続けたが、作業を終えると痛みは戻る。「農作業は苦にならぬよう、楽しみながらやる」と思っているが、中々そんな状況にはならない、芋掘りに無我夢中。
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タグ:紅はるか

咲いた 咲いた サツマイモが咲いた。 [日常の独り言]

2023年10月19日(木)
 「さいた さいた さくらがさいた」小学校に入学して、初めての国語の授業で習った日本語だった。教室の窓から見える景色は、桜が散り始めていたでの「ちった ちった さくらがちりょうる」が正しい表現だとと思いながら、教科書に書いてある通りに声を出して読まされた事を思い出す。先生、さくらは散りょうるで...と自由に発言したら叱られる様な空気の時代だったのかも知れない。散りゆく桜をみながら咲いた咲いたと言わされていた。
 あれから40数年で、日本列島の桜は1ヵ月程早く咲き、岡山県南部では4月中旬に桜の花びらは無い。そしてサツマイモが畑で開花する様になった。珍しい、驚いた、という珍事ではないのかも知れない。人類が起因した気候変動の加速は、もう止められない?ならば気候変動にあわせて進化する動物となるべきなのだろう。
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湯治の旅<関金温泉> [【旅】2023年]

2023年10月10日(火)
 9月末の温泉治療は効果があり、その後も自宅風呂治療(湯船に浸かる)を続けていたが、温泉水程の効果は無く、ポカポカ感も継続しないので、やっぱり本物の温泉で湯治をすることにして、とりあえず2泊の宿を予約、関金温泉に向かった。道中、以前より気になっていた「旭川ダム」に立ち寄る。ここは1954年(昭和29年)に完成して既に69年を経過している。コンクリートダムの寿命は100年と言われているが、昭和前期の技術で造られた、老朽化施設には違いない。もしこのダムが決壊したら岡山市内は全域水没し、我が家周辺も2m以上の水没が想定される。ここが決壊するリスクはあるのか?自身の目で確認する事が必要であると思っていたので、この機会に立ち寄る事にした。
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 ダム堤防にある事務所には想定以上のスタッフが勤務しており、PCに向かい静かに作業をしている姿が確認できた。ダム周辺は清掃メンバーも作業をされていた。ダム直下にある発電所への取水口の清掃機器も稼働していて、ダム自身は古く見えるが、メンテナンスは出来ている。と自身の目で確認し安心した。ダム完成期には、観光を含めて相当な賑わいがあったのだろうと思われる建築物が、ダム湖周辺に点々と残る。今日見る限りでは、ダム堤防周辺の観光客は皆無、車道に車は通っていない。R429に出ると道路整備が進み、バイパス拡張工事も行われていた。
 今日のランチは蒜山高原でラム肉。と決めていたので落合、久世、勝山、湯原を経由して直行。12時半に到着すると、生ビール半額300円のPOPが目立ち、昼から飲みたい気持ちに駆られるがレジャーではなく、湯治に向かっている事を自覚し断念。食材、接客対応の良いウッドパオ https://woodpao-hiruzen.storeinfo.jp/でランチを済ませる。
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 山の天候らしく降雨、晴れ、曇りを繰り返しながら犬挟峠を越えると、日本海には太陽光が当たっているが車中激しい雨の中、15時過ぎに関金温泉に到着、4度の入浴を繰り返し熟睡する。
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2023年10月11日(水)
 AM6時を待って入浴3回、自炊で朝食を済ませて9時半には宿から出掛けた。とりあえず近くの「旧国鉄倉吉線廃線跡 観光案内所」に行く、週末のみの営業で閉まっていたが駐車場は利用可能だったので、ここに車を停めて線路を歩く。
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 泰久寺駅跡を過ぎると竹林に覆われた状態になり、観光ガイドに採用されている写真の光景が現れる。1組の同年齢夫妻以外は誰も居ない、山から野生動物が登場しそうな気配もあり退散。往復2kmを歩くが、幾度も座って休憩した。
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 大山池に行くが水は無く枯れ池状態、よって雲に覆われた大山も映り込む事は出来ない。水場もトイレもある無料の野営場もあるが誰も居ない。ランチは「うどんや わたしの道楽」という田んぼの中の住宅で頂いた。自然の中なので昆虫が多く、車の乗り降りだけでも多数の乗客昆虫に悩まされる。
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 関金町安歩にある樹齢400年を超える「関金のシイ」を見学、バラバラと尖ったどんぐりや枯れた枝が落ちて来る、少々危険な大木だが、この地で色々な時代を経験し、生き延びて来た威厳を感じる枝ぶりだ。大木の傍では背の高いヒマワリが立ち続けていた。
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 清水の「命の泉」に立ち寄り、水を頂こうかと思ったが、この水は煮沸してから飲用するように、との注意書きがあり遠慮した。
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そのまま鏡ヶ成まで山を登ると気温は13℃となり、Tシャツだけでは耐えられない。ススキの原っぱが揺れていた。この季節が温泉を楽しませてくれる...宿に戻って湯治だ。4度の入浴を済ませ自炊して熟睡する。
本日合計7度の入浴。
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2023年10月12日(木)
 今日はチェックアウトだ。湯治にしては短すぎるのでもう少し余裕を持っていたいのだが仕方ない。朝から2度の入浴を済ませて、9時半に宿を出発。倉吉の町に行って見る「倉吉線鉄道記念館」は開館しているが、室内は真っ暗、照明は自らON/OFFをして見学。室内には待望の国鉄南勝線着工!!という告知が貼られていた。
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 倉吉から勝山までの線路が建設を始めていたのだ。今になって思えば、無駄な線路を作らなくてよかったのだが、現在では自動車専用道路R313の延伸が続き、倉吉西ICから関金までは工事が進んでいる、その先は蒜山方面で高速道路に接続するのだろう。いったいこの道を誰が必要とするのか?小学校の統廃合が進み、スーパーも閉店するこの地に、20年後、人は住んでいるのか?雪搔き予算を増額するだけの無駄な建設ではないのか?無料道路の整備費用はどうするのか?いつまでも自動車社会が続くと思っているのか?全国の無駄な自動車専用道路の延伸は、国鉄時代の廃線が続く、線路の行く末と重なって見え、大変失礼ながら、個人的には疑問を感じる。
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 「打吹回廊」という観光施設は定休日だったが、3F展望台には上がる事が出来た。町が一望、遠くに大山も望めた。
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 次の湯治の下見を兼ねて三朝温泉に行く、古風な湯治宿はWebに情報は無く現地で確認するしか本当はわからない。油屋という湯治旅館は、館内見学もさせて頂けた、昭和40年頃の風情そのままの部屋だが、温泉は地面から湧き出していた。常連客が長期間利用されているそうである。案内して頂いたおばあちゃんから帰り際に栗を頂く。雪景色の頃にでも滞在してみたい。
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帰路は人形峠を越え奥津、津山経由で自宅へ16時着。湯治の効果は明日以降の楽しみに...

【芋/2023】芋掘りはやっぱり秋が最適 [【芋/2023】]

2023年10月3日(火)
 昨日は、久しぶりに長距離を歩くことが出来て自信を持ち、今日は芋掘りに向かう。一昨日までに掘り出した芋の数量チェックと乾燥作業を進め、一部出荷作業を終えてから、自らモグラになると言い聞かせて芋掘りをはじめる。
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 本物のモグラが、芋の周りに大規模な周遊トンネルを建設し終わり、そのトンネルをネズミが走り回ると、芋をかじられる。今年は「紅はるか」の畝がトンネルだらけとなり、多数の農産物被害が発生した。この先はネズミの芋かじりと芋掘りとの競争である。しかしながら、秋の空気の中でする芋掘りは清々しい、芋掘りは秋が最適なのだ。
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歩いて外出 [日常の独り言]

2023年10月2日(月)
 7月9日に雷雨の嵐に会い、翌日から左足痛となってから3カ月余りが経過したが、症状は変わらない。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-07-12
このままこの痛みに付き合いながら、残りの人生を乗り切る方法を選択するしかないのかも知れないと思い始めていたが、今日は朝から涼しく少し歩いて遠出を試みる。無理ならすぐに引き返せば良いと思いながら出発、今までは駅まで休息なしでは歩けない状態であったが、今日は2度休息して表町まで歩いた、歩けた。少しまだ痛むが温泉療養の効果はあったのだろう。往復8千歩を歩けた事がうれしかった。当たり前の散歩が出来る事がこんなにも感動し、自信を持ち、明日への望みを大きく持てるものだったのだ。健康が当たり前ではなくなって初めて、想像力だけで経験則は得られないものだと実感する。この経験を我が人生の彩に出来るよう精進したい。サポートしてくれる妻に感謝。

【芋/2023】芋掘り悪戦苦闘 [【芋/2023】]

2023年9月30日(土)
 9月も猛暑は収まらず、芋掘りは地獄の修行と化す。芋畑に日除けタープを張り、30分掘ると30分休憩を繰り返しながら9月5,7,10,15,16,23日と6日間かけて400個の芋を掘り出した。されどまだ30%程度の進捗率。夕刻から芋掘りを始めるべく、田舎に向かい、9月最終日も芋掘りに悪戦苦闘をする。温泉療養を済ませたので左足の調子は少し改善されたが、重量物を運搬すると腰が不調となり、疲れて19時過ぎには眠る。
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2023年10月1日(日)
 早く寝すぎたので3時半に起床するが、真っ暗闇で何もできず。夏の北海道の様な夜明けが早寝にはちょうど良かったなぁ..と思い出しながら夜明けを待つ。昨夜の小雨、朝露の乾きを確認し、8時から芋掘り開始。「紅あずま」をすべて掘り出し、シルクスィートを7割程度掘り出した所で夕刻となった。全体の50%程度の進捗になっただろうか?数量チェックもせずに自宅に引き上げ、20時過ぎ就寝。あと7日間位あれば何とかなりそうである。

温泉治療・車中泊一人旅 [【旅】2023年]

 そろそろ芋掘りも急がねばならぬ状況下、医者に通い、投薬だけでは神経痛からの早期脱却は叶わず、このままでは医療の金蔓になりかねない。日々youtubeを参考にストレッチをしてみるが、痛み、歩行距離も改善の兆しはない。この罰はいつまで続くのか?昨日も芋掘りをするが、尻が痛くて、座って休む時間が50%程で、妻に負担を強いる。これでは本末転倒の芋作りである。
 そんな最中「温泉天国」実現を目指す町から便りが届いた、調べると神経痛に効果があるお湯の源泉地ばかりである。便りの返信を書きながら、そうだ温泉療法だ!と思いつく。湯治と言う程の時間は無いが、暫く温泉療法に頼ってみる事にして早速出発する。

2023年9月25日(月)
 9:30自宅出発。途中休憩を兼ねて、湯郷温泉の足湯に浸かり、ボーとした時間を過ごす練習をする。同年齢のボーとした親父2名が先客だった。スマホや本を持って浸かっている。どの位の時間ボーと湯に浸れるのか?今日からチャレンジが始まる。
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 黒尾峠を越え智頭ICから鳥取市内、R9を東進し兵庫県の居組まで高速道路の状態で到着する。以前なら智頭から浜坂までは2Hコースだが今は半分の時間で移動可能となっていた。14時半には「ユートピア浜坂」に着き温泉療養に挑む、入口看板には高齢者いきがい施設と名称があり、少しためらうが、見た目は立派な後期高齢者なので、自信を持って受付に行くと、看護師らしい制服の女性が数名いて又しても少し引く、「風呂入れるの?」と聞くと大丈夫だった。(町民300円、町外500円)2時間滞在して2度入浴。これ以上は入れない... 風呂上りはなんだか調子が良い、なので遊歩道を散策すると大勢のカニに歓迎された。
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スーパーで弁当を買い、道の駅で夕食。夕暮れには浜坂の町に戻り、駐車場で20時就寝。
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2023年9月26日(火)
 5時半、やっと空が明るくなり始める、秋分を過ぎると夜の長さを感じられる。幾度も目覚めるが寝たふりをしたまま朝を迎えた。療養の効果はまだ見られない。浜坂温泉は10時開館なので、9時から開いている七釜温泉ゆーらく館に向かう。本日は風呂(26)の日らしく100円引きのチケットを頂いた。濁りのあるかけ流しのお湯を一番乗りで楽しむが、30分もすれば療養忍耐の時間となる。ウォーキングでは前向きな思考が多いが、留まって耐える時間は何だか前向きな思考にならない、過去を振り返る思考がグルグル廻っているばかりである。1時間は耐え抜いたが、休憩室に出て新聞を眺めて休憩、テーブル上には「休憩前にロッカーのカギを返還せよ」とのPOPあり、もう1度入浴を予定していたがあきらめた。まだランチには早く、新しく開通している山陰近畿自動車道路を新温泉浜坂ICから東進、余部ICを出て、鉄橋直下にある「道の駅あまるべ」に立ち寄る。あの事故から37年なんだ、と思いながら見学した。
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海まで3mのところまで川魚が泳いでいる美しい川には、流木の端材が打ち寄せられていた。
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昼食を済ませて浜坂に戻り、14時半からユートピア浜坂に入浴、16時半までに2度入浴。腹も減り、スーパーで巻きずしを購入し夕食とする。小雨も降りこの地らしい天候の中、道の駅で19時就寝、長い夜の始まりだ。

2023年9月27日(水)
 5時起床、今日の午前中の入浴先「七釜温泉ゆーらく館」に行くと、薄暗い中で掃除中のおじさんから「9時から開館します」とのアナウンスあり、ここで待つのは諦めて、TVの受信状態が良いエリアに移動し朝を迎えた。田園に朝日が眩しかったが、その後は曇天。
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 9~11時半まで入浴療養、カフェレストラン YELLでランチを済ませてから、浜坂県民サンビーチで暫く昼寝。目覚めると16時だったので「ユートピア浜坂」へ直行し18時まで入浴療養を済ませる。既に日暮れとなりスーパー駐車場で弁当で夕食を済ませ、高台に上がって20時就寝。

2023年9月28日(木)
 朝方は鹿の声が近く、野生に囲まれている感じがした。今日の午前中も「七釜温泉ゆーらく館」で入浴予定、9時開館までの時間調整に、但馬牧場公園に行くとイヌサフランが群生していた。眺めていると8時になり「らんまん」を視聴したくても電波なし、慌てながら下山すると集落の一部で電波が入り、田園を眺めながら残り2日間の放送を楽しむ。
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 9時から12時前まで七釜温泉でボーとした時間を過ごす。時折吹く風が涼しく、雲の合間からの日差しは暑く、燕が空高く飛んでいたり、ハエがアメンボの如く風呂を泳いでいたり、些細な事を発見しながら入浴を繰り返した。昼前から降雨、この地域らしい天候となり、雨、曇りを繰り返す。昼食は道の駅で「春来そば てっぺん」で済ませて休憩するが、雨天は変わらず、久しぶりに町に行きたくなり鳥取に出る。郊外型ショッピングセンターが数ヶ所にあり、このエリアの大部分の消費はここで済んでいるのだろう... 久しぶりにうどんを食し満足。千代水、湖山の郊外店を眺めてから、岩井温泉・ゆかむり温泉 共同浴場に行くが駐車場満車の為、あきらめて湯村温泉に向かい「薬師湯」@700で17~19時まで療養入浴。露天風呂は涼しくボーとした時間を過ごすと、降雨で真っ暗となり、温泉散策は諦めて浜坂に戻る。スーパー弁当で夕食を済ませて21時就寝。外気温は22℃程度で快適な季節だ。

2023年9月29日(金)
 3時半起床、TV受信状態の良好な高台に移動して、ラグビーW杯 vsサモア戦を観戦。日本の勝利と共に夜明けとなり、日本全国気持ちの良い朝を迎えただろう。朝日も登り今日は久々の好天の予測、昨日立ち寄った岩井温泉・ゆかむり温泉 共同浴場@380は朝6時から開館していたので、朝風呂温泉療養に向かう。6時半から8時まで入浴、ぬるゆとあつめの湯船があり、さらりとした気持ち良い湯だった。風呂上りには「らんまん最終回」を受付の姉さんと視聴した、「おまんだれじゃ」という美しい最終回に満足して2023年上期が終わった。
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もう暫く温泉療養を続けたいが、本日夕刻からはマンション理事会があり帰らねばならぬ... もう1度どこかの温泉で療養をしようと思いながら鳥取に移動し、車中で休憩するが、太陽光線は暑く、予想最高気温も30℃越えなので、日中に風呂には入る気になれず、そしてランチは「吾妻そば」と決めていたので11時開店に合わせて向かう、変わらないトロトロのそばが美味しい。
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 食後、そば屋の写真を撮影していると、お隣のK商店さんの若々しい女性が、車を停めて待ってくれた。娘さんかな?とか勝手に想像しながら品の良い対応に感謝。店を出てからは、暑いなぁと思いながら自宅方面に向かう、車外は32℃表示となり、岡山市内では34℃になった、16時真夏の自宅到着、まだまだエアコンなしでは生きられない。

インターネット回線の変更に悩む [日常の独り言]

2023年9月12日(火)
 1997年から利用しているインターネットプロバーダー「SO-NET」は、継続利用期間が26年間に及んでいる、知らぬ間に長い期間利用していたものだ。この間に幾度か引越しをしたが、プロバイダーの浮気は一切していない。この為に、各所へのメールアドレス登録は増え続け、重要なものだけでも200カ所を超えている。個人的には死ぬまでこのアドレスを使い続け、残り物があれば相続(遺言)するまでの覚悟で登録している。
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 そんな中で、我が家にも「NURO光 for マンション」が整い利用可能となった。契約した場合に様々な疑問が湧いて来たので、面倒な客になってフリーダイヤルに電話を掛けるという行為に出る。電話越しであるが、お嬢様が優しく丁寧に回答してくれ、フリートークにも対応して頂き、久しぶりに飛び込みでスナックに行った気分になった。
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 しかしながら、NUROのプロバイダーは「SO-NET」なので、そのまま継続できると思いきや、NUROのSO-NETとISP(インターネットサービスプロバイダー)のSO-NETは、全くの別組織であり、長年使い続けたプロバイダー契約は解約し、新たにNUROの「SO-NET」に新規契約となるそうである。よってメールアドレスの変更も必然である。
が、しかしISP・SO-NETのモバイルコース・220円/月を継続利用するとメールアドレスだけ継続可能だと教えてくれた。このサービスを利用すれば、200カ所を超えるメールアドレス登録修正の労力が免れるのだが、ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社という会社の「SO-NET」という2カ所の部署から、毎月クレジット請求(¥2090・¥220)がやって来る様になり、Web相続・遺言書が更にややこしくなる。それでも進める原動力は固定費削減という魅力に誘われるからである。(現在3,992円/月 → 2,310円/月)

★メールアドレスや電話番号、銀行口座等は名前と同じように一人に一つ、終生使うモノとして管理、提供して欲しいものだ。
タグ:nuro so-net

【芋/2023】生存競争の真っ只中2 [【芋/2023】]

2023年8月22日(火)
 草むらか?芋畑か?わからない状態から少しづつ手を入れ、除草作業をすすめるが、まだまだ先は遠く、暑く、坐骨神経痛も収まらない。なので無理はせずに1km先まで匍匐前進する気持ちで作業を続ける。植物の生存競争に依怙贔屓を加えるわが手も、雑草vs人間の生存競争そのものである。
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【芋/2023】生存競争の真っ只中 [【芋/2023】]

2023年8月13日(日)
 5/25から放置した芋畑は、想像通りの草むらと化していた。サツマイモは地面を這い回り、雑草は丈比べをして、2カ月半の生存競争の結果が現状だ。
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この状態から、わが手により依怙贔屓が始まる。畑に至る道の草刈りから始め、芋の蔓返しをしながら雑草と芋の区分けをして、雑草を刈るか抜くか?38℃の炎天下で、13~15時まで我が体力の限界まで戦うと左足痛も忘れる。治ったか?と思ったが夕刻には痛む... 梅雨明けから降雨が少なく、一部エリアは草も芋も枯れ始めていた、なので少し水を与えてみるが手遅れかも知れない。試しに一株掘り出して見たが、芋は小さく収穫は先送りである。
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2023年8月14日(月)
 台風7号が潮岬沖から近づいて来た。朝から曇り空なので、6時から芋畑の草刈りと一部に苗を植えてみる。11月上旬には収穫可能ではないかと想像しながら、枯れた芋蔓のカバーを試す。昨日とは異なり下の畑は水田状態...  こんな水田でサツマ芋は出来るのか?
不穏な状況は続く。

【旅】2023夏の旅 --おわり-- [【旅】2023年]

 今年は東北エリアのお祭りも見学して、8月10日頃に岡山に戻ろうと思っていたが、左足痛は続き、自由に歩けなく何も楽しめない。こんな経験はないので青森からは1泊2日で1489kmを走り自宅に戻る。こんな結末で6月4日から55泊56日、2023年夏の旅を終えた。写真を見返していると、7/9にテント被災、7/11以降は歩行が困難になり、映像とその時の左足痛が同調して、楽しみながらも痛みに耐えた日々を思い出すばかりである、健康が一番大切であると思い知らされ、7/31に外科受診、8/7にMRI診断を受ける事となり、現在自宅療養中。長く遊び過ぎてバチでもあたったのだろう、しばらく反省の日々。

55泊56日(テント:20泊 車中:21泊 ホテル:11泊 ロッジ:3泊)
全走行距離:9518km  消費燃料:487.1L 燃費:19.5km/L

【旅】2023夏の旅 --その10-- [【旅】2023年]

 今年も旅の終わりが近くなり、帰宅の決意をする。35℃を超える猛暑の本州を想像すると、夜間にどこで寝るか?思案所だ。 

2023年7月25日(火)
 ホテル9時半出発しようとすると降雨となる。最新テントの情報を得るためにサッポロファクトリーに行って見るが成果なし、R230で札幌市アイヌ文化交流センター(サッポロピリカコタン)に行くが休館日だった。定山渓ダムを眺めてから中山峠に向かい、霧中の道の駅 望羊中山で昼食、あげ芋を食べてから、留寿都村経由で豊浦町に出る。
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R37を西に向かい礼文という看板が目に入り立ち寄る、岩の岬にはJR室蘭本線が走っている、崖崩れの続く岩肌は、片側交互の工事中が続いている様子だった。
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穏やかな噴火湾を眺めてから長万部温泉で入浴を済ませて、今夜の滞在地を探すも、近くには道の駅などなくR5で黒松内町の道の駅に18時到着、今度はコンビニもスーパーもなく片道10kmの道程でコンビニ往復して18時半には道の駅でコンビニ飯を食した。20時から寝るが外気温26℃で、蒸し暑くて何度も車のエアコンを入れる、24時を過ぎる頃から25℃を下回り快眠。この先の車中泊が思いやられる...

走行距離:246.9km
宿泊先:道の駅くろまつない

2023年7月26日(水)
 5時には朝日に照らされて車内が暑くなる、気温は21℃なので気持ちの良い朝だが、真夏の太陽光線を感じる。道の駅の隣では、子供たちが集い夏休みのラジオ体操が始まった。綺麗な道の駅なので拝見したいが、9時までは待てないので出発。黒松内町は山中の田舎だと到着時には思ったが、町の中心部を見て見たくなり役場周辺に行く、ホームページに「北限のブナ林に囲まれた癒しの里」と表現されている通り、町の中央も緑に囲まれた小中学校、体育館、役場があり、近くにはキャンプ場の整備もされていた。人口2,500人の町にしては力強さを感じられる佇まいだった。R5に出て長万部に戻り、駅前の「かなや」駐車場で「らんまん」を視聴してからカニ飯弁当を購入。http://www.e-kanaya.com/kodawari.html
R5で八雲町へ向かう、北海道の首の様な渡島半島の両側に海のある町だ、なので函館から陸路で北海道を巡ると、必ず通過しなくてはならない町だ。八雲町郷土資料館では牧野富太郎さんと坂本直行さんの展示企画展が開催されていた。
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木彫りの熊は昨年見学したので興味は薄い。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-06-30
山の上から八雲町を眺めて、カニ飯弁当で昼食。
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さらに南下して森町の道の駅で休憩、気温30℃になり今夜の車中泊はやめる事にした。

走行距離:165.3km
宿泊先:湯の川温泉 ホテル雨宮館

2023年7月27日(木)
 禁煙ツインルームではあるが、タバコ臭のある部屋からは持ち物や体に匂いが移る。温泉は良かったが施設は我が年齢層と同等、昭和を感じるホテルだった。朝から青空が広がり、函館山に車で登る。水蒸気は多めであるが、美しい街並みが望めた。
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今日の最高気温は30℃を超える予報である。立待岬から海を眺めてから「ラッキーピエロ」でカレーランチ、暫く世話になったセイコーマートのペコマ全額を使い切り、フェリー乗り場に向かう。
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14:10発→青森17:50着、来夏も北海道に来たい、そんな思いを巡らしながら、左足痛の為、ほとんど寝て過ごす。青森駅前の居酒屋で夕食を済ませて早めに眠る。
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走行距離:38.0km
宿泊先:東横イン青森駅前

2023年7月28日(金)
 今日も危険な暑さだとニュースで流れている。こんな日に平野部で車中泊などできないので、山に登るか?エアコンのあるホテルか?朝から考えながら、高速道路料金を最小限にし、距離を稼ぐ方法を選択。岩手県の沿岸部を南下、福島県の磐梯山の山中の宿を予約して青森を出発した。みちのく有料道路は現金支払いのみ、何度か小銭を支払いながら八戸市内をR45で通過、その先から無料の自動車専用道路を仙台に向かう、ナビの目的地到着時刻は21時前、途中のICには道の駅が整備されていて、立ち寄りたいが先を急ぐ。道の駅高田松原で休憩、震災津波伝承館を少し見て、ここまで元に戻した人間の力強さを感じた。
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東北地方の旅は、また次の機会にして仙台を16時半に通過、外気温35℃の東北自動車道福島西ICで高速道をを離れ、コンビニ弁当購入、燃料満タンにしてR115で山に登る。土湯トンネルを過ぎ、中ノ沢温泉の宿に19時前に到着、外気温27℃と少し涼しいが、部屋にはウィンドエアコンが付いていてフル稼働していた。昼食抜きで移動してきたので、コンビニ弁当とBeerが最高にうまい。部屋の窓からは赤く染まる雲が眺められ、古い施設の昭和の温泉宿を楽しむ。
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走行距離:598.2km
宿泊先:磐梯名湯リゾート ボナリの森

2023年7月29日(土)
 快晴の涼しい朝、気持ちの良いお湯浸かり、今日の安全を祈って自宅に向けて9時出発。R115で猪苗代湖畔まで降りて、夏休みで賑わう風情を眺めながら通過、「道の駅ばんだい」で休憩して磐梯河東ICから高速道路を利用、新潟中央JCTを経由して北陸自動車道路を南下「道の駅 親不知ピアパーク」で休憩、エアコンで冷えた体を温める。外気温36℃無風、静かな日本海で海水浴を楽しむ人々が浮いていた。小松空港沿いの日本海から西日に照らされ、敦賀市で日没となる。週末の京都、大阪の通過を避け舞鶴若狭自動車道を利用、福知山を経由して西紀SAで夕食を済ませ、吉川JCTから中国自動車道路、福崎ICから山陽自動車道路で岡山IC23時到着。無事に自宅に到着する。室内33℃の部屋に戻り、エアコンの空気の中で眠る。左足不調は変わらず。

走行距離:890.8km

【旅】2023夏の旅 --その9--  [【旅】2023年]

 今回2度目のトラブルに見舞われる、自身の体の不調である。左足の痛みは日々悪化し、昨夜の夕食時からの戻りには歩く事の限界を感じた。物が壊れる事は交換すれば直せるが、体は簡単には交換できない。無理せずに行動する事を心掛け、少し早めに帰る事にする。

2023年7月18日(火)
 9時ホテル出発、今日の釧路は半分青空だ。阿寒ICより北海道横断道(無料)を利用して本別町に行くと、盆地形状の町に道路は着陸の如く下りて行く。「道の駅ステラ★ほんべつ」は駅の跡だった。本別公園には義経の里という名前があり、1188年に山伏姿でここにもいたという伝説が残っている。キャンプ場は無料でテント利用可能だった。足寄町の道の駅には、大きな蕗を持った松山千春さんの写真があった。螺湾蕗(らわんぶき)という3mにもなる巨大な蕗があるらしく、螺湾という地区まで行って見たがラワンブキ鑑賞ほ場には、虫食いだらけの、北海道の路肩でよく見る蕗があっただけだった。
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引き返しの道路で「足寄町郷土資料館」の小さな看板を見つけて立ち寄る、小学校跡地に様々なものが展示してあり、足寄町には昭和30年代3,000名を超える児童がいたが平成16年には422名となっていて、そのあとは表示されていない。調べると現在は230人だった、日本の縮図は地方にあり。足寄町にも鳥取という地名があり、小学校、中学校もあったようである。
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R241で上士幌町に行く、大雪山も近くなり、雲をかぶった峰々が近づいてくる。「道の駅かみしほろ」は素晴らしく美しいので、ここに泊まる事にした。ふれあいプラザで入浴@300、夕食は定食「和み」で済ませると降雨になる。暫くはTVニュースなど見ていたが、19時から眠りに就く。

走行距離:179.5km
宿泊先:道の駅 かみしほろ

2023年7月19日(水)
 4時半起床、道の駅には50台を超える車中泊がいた。若者の姿は無く、先輩層の方々ばかりである。サラリーマンを卒業後の同じ夢を実現しているのだろう。しかしながら生活感アリアリな感じの車中暮らしを見かける度に残念な気持ちになる。放浪人になっても旅人のプライドは失いたくない。そんな事を思いながら6時出発、糠平温泉に行って見た、タウシュベツ川橋梁跡を見学したかったが、朝早い時間帯に誰も居ない山中に入る事を躊躇し止める、熊には会いたくない。「道の駅かみしほろ」まで引き返して8時開店のレストランでモーニングを頂く。その後R241で士幌町、R247で鹿追町経由で新得町に出る。新得町の駅前は工事中だった、R38で狩勝峠 展望台644mまで上がってみるが雲の通り道で何も見えず引き返す。
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R38で帯広市に向かい「ますやパン 麦音」で遅めの昼食、「道の駅 おとふけ なつぞらのふる里」に向かい車中泊場所の確認、近くの鳳乃舞温泉@480で入浴を済ませ、道の駅で夕食。車中泊専用の場所でプロ野球オールスター戦をTV観戦しながら眠る。左足は治らず。

走行距離:228.9km
宿泊先:道の駅 おとふけ なつぞらのふる里

2023年7月20日(木)
 4時起床、ここの道の駅は、車中泊専用の駐車場も完備されている為か、100台以上の車中泊がいる、難民キャンプ状態。綺麗で24時間利用可能なトイレは、車中泊者の安心できる場所だ、全国的にRVパークの設置も進んでいるが、この台数が利用できる規模には到底追いつけないだろう。
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天候は霧雨の曇り、7時出発して帯広市内に向かい「なか卯」で朝食。帯広川西ICから帯広広尾自動車道路(無料)を利用して南下、「道の駅なかさつない」で休憩、生でも食べられる道産のトウモロコシを売っていたので購入、この時期はまだハウス物のトウモロコシだそうであるが、朝取りの新鮮なゆでトウモロコシは美味しい。終点の虫類大樹ICからR236で、道の駅 コスモール大樹に立ち寄ると、大樹町経済センターが道の駅になっていた。コープも併設されていて文字通りの経済中心である。広尾町海洋博物館は閉館中、周辺のシーサイドパーク施設は全て閉鎖されている。残念な状態は町の財政を表しているのだろうか?農業王国十勝平野からの積出港として、十勝港の整備は進んでいるが、それ以外の産業はなさそう...サンタランドの看板は見るが、季節的に興味は引かない。旧国鉄 広尾駅跡のロータリーにある「食事処海幸」でつぶ貝カレーでランチ、この地域で捕れる大型毛ガニは「熊蟹」というブランド名だ。というポスターが貼られていた。この先から襟裳岬に向かい「黄金道路」となるが、道路の整備が進み長いトンネルも完成していて、昔の黄金道路のイメージは無くなっていた。海沿いの道路も一部残っているので、サイクリング道や歩道としての観光資源にはならないモノだろうか?
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今日の襟裳岬は穏やかな晴れだ、風の館@300から望む遠くの岩に、アザラシが多数寝転んでいる。がしかし肉眼では見えず、置いてある望遠鏡を覘くと見える様にスタンバイ済み。何も知らず望遠鏡を自ら調整したり、動かす人には見つける事は難しい。今日は襟裳岬に車中泊を予定していたが、温泉を探すとみついし温泉しか見つからず、「みついし昆布温泉 蔵三」まで走り、入浴と夕食を頂き、併設されている道の駅で日没と共に眠る、空は曇天。

走行距離:220.7km
宿泊先:道の駅みついし

2023年7月21日(金)
6時出発、浦河町のコインランドリーに行く、久々の洗濯だ。66分間の洗濯中にコンビニサンドと、昨日買った生で食べられるトウモロコシで朝食とする。やはりトウモロコシはゆでた方が食べやすい。しかし美味しかった。町の人々が動き出す時間帯に洗濯が仕上がり、活気ある浦河の町を感じる。昨日通過した襟裳岬から西側の海岸線の町を見学する為にえりも町まで引き返し、9時開館の「えりも町郷土資料館」に入るとコンブ漁の説明が多く、興味を引く。
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日高昆布というのは襟裳岬の東西で広く採取される「ミツイシコンブ」だという事、昆布も受精し配偶体世代から胞子体世代になり4~7mの大きさまで成長する事、昆布が採れる浜で品格が異なる事や、干場では1日で乾燥する事、仕上がっても1~5等級までの品質に分かれる事など知らない事ばかりだった。この季節の襟裳岬は、家族総出で朝から砂利の干場に昆布を真っ直ぐに並べている。昔は小学校が休校になっていたそうであるが、平成の時代までは授業開始の時刻を遅らせて対応していた、現状は町の教育委員会にでも確認しないとわからない。襟裳岬まで行って見ると今日も穏やかな天候だ。引き返して「アポイ岳ジオパークビジターセンター」に立ち寄ると、高山植物の咲くアポイ岳周辺の説明がわかり易く新しい施設で気持ちがいい。様似駅に行く、駅舎は観光案内所となっていた。
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昼食は駅前の「喜味乃屋」を予定していたが不定休の休みだった。仕方なく近所のそば屋へ... エンルム岬展望台、様似郷土館を見学し、日高耶馬渓に行ったり冬島の穴岩を車窓から見たりしてR336を何度も往復した。
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最後は「浦河町立郷土博物館」と隣にある「馬事資料館」を見学、浦河のJRA展望台までいって馬の親子を車窓から眺めた。今朝の道の駅まで戻り、温泉と夕食を済ませると日没となる。
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走行距離:203.2km
宿泊先:道の駅みついし

2023年7月22日(土)
 朝日と霧の中で目覚める。R235を海岸線沿いに西に向かい、昨年泊まった静内を通過、道の駅 サラブレッド ロード新冠の隣のGSホクレンで洗車@200、泥を落として久々にサッパリする。サラブレット銀座を少し見て回るが、道路沿いに馬は少なくUターン。日高自動車道は使わずにR236で「道の駅 むかわ四季の館」で休憩、隣のたい焼き&焼き芋屋でたい焼き@120を買う、食べたことが無いフニャフニャたい焼きだった。JR日高本線沿いに移動し、勇払にある「勇武津資料館」に入ってみる。新しい建屋に現在風の資料が少し置いてあった、江戸末期に八王子からここの開拓に入った方々の苦労が記されてあり、半数が亡くなり半数は引き上げたそうである。八王子からの移住者は既に北海道には残っていないとされているが、館内の方の話では、実は1名残っていて、5代目になる人が函館にいるそうだ、資料などで事実を確認中。何もないウトナイ湖に行くと観光客が大勢いた、千歳空港も近く賑わっている。北海道を一回りした感じであるが、もう少し足の痛さに耐えながら旅を続ける。イオンモール苫小牧でスープカレーランチを済ませて、「苫小牧市 科学センター」で宇宙の資料を拝見、実物大の宇宙ステーション「ミール」を見学して、この旅二度目のプラネタリウムを見て眠る..zzz
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虎杖浜にある「家族風呂 浜ちどり」@1300で入浴を済ませて、室蘭に向かう。
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室蘭には初めて来た、想像以上に山間部が多い港町だった。道の駅は岬の先端に近いエリアにあり、道の駅ではなく海の駅である、ここから観光船が出発している。

走行距離:206.7km
宿泊先:道の駅みたら室蘭

2023年7月23日(日)
 4時起床、少し風があるが気持ち良い室蘭の朝。トイレ環境が抜群で、車中泊車両で駐車場が80%埋まっている。6時出発、祝津公園 展望台から白鳥橋を眺め、すき屋で朝食。室蘭湾を大きく回りR37から白鳥橋を往復して室蘭の町を再度眺めた、鉄の町室蘭を実感する。
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R37で伊達市の道の駅に行くが、早すぎて何もなく、昭和新山を遠くに眺めて周辺を車で散策、歩けないので仕方ない...
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横綱北の湖記念館・壮瞥町郷土史料館に立ち寄る、あんなに強かったのに62歳で亡くなった北の湖、その年まで私もあと1年だ。
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「道の駅 そうべつ情報館i」で、暫く休憩、WIFIを利用しながらPCで情報収集。伊達市に戻りレストラン悠でランチを済ませ、車の燃料を満タンにして、夏景色の洞爺湖畔で昼寝をする。本州では楽しめない贅沢な昼寝だった。
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洞爺港周辺に滞在しようと場所を探すが、車中泊禁止場所が多く、羊蹄山方面に移動し「まっかり温泉」@600で入浴、コンビニ食を道の駅で済ませて日没と共に眠る。
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走行距離:169.1km
宿泊先:道の駅 真狩フラワーセンター

2023年7月24日(月)
 4時起床、真狩村は霧の朝。ここの道の駅には車中泊5台のみ、静かな夜だった。朝6時から町内放送で演歌が流れ出発する。今日の目的地は札幌の狸小路、観光する予定もないのでとりあえず蘭越町に行って見る。最近、水蒸気問題で有名になり、現在も対応できないままに噴出を続けている。この地はニセコ連峰に囲まれた盆地で、美しい湧き水で「らんこし米」を育成している。平野部には水田の景色が広がり、豪雪地帯だとは思えない。r268で岩内町に向かう、峠では20℃になったが、岩内に降りると29℃となり蒸し暑い。フェーン現象もあり今日の道内は30℃を超える場所も多数あるらしい。R5で余市町でランチ(回転ずし番屋)を済ませて、小樽、札幌と進む。14:30チェックイン、ストア札幌の新しい店舗を覗き、次第に遠ざかる現役時代を感じながら、19時半から旧友の若者と飲む。
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お付き合い頂きありがとうございました。帰路は歩けなくタクシー利用、運転手にホテル名を告げてもわからなかった...レアな宿泊施設泊?

走行距離:198.6km
宿泊先:ホテルラフィナート札幌

【旅】2023夏の旅 --その8--  [【旅】2023年]

 テントキャンプは出来なくなったので、ホームセンターで小型テントを探してみるが気に入るものは無く、キャンプ場のロッジを探し「霧多布岬キャンプ場」を3泊予約した。昨年ここでラッコの親子を観察し、存在の驚きと可愛さに魅せられて、今年もこの場所に来る予定ではいたが、3泊もする気はなかった。お手頃価格のロッジなのでここにいる。そして左足の痛みが続き、歩く事が困難な事態も発生、ロッジから岬の先端まで歩けない、どうするか?

2023年7月14日(金)
 昨夜は夕食後、PCに向かって寝落ちした。気が付くと4時半、TVを見ながら昨夜の続きを確認する。殆んど何もせずに眠ったらしく、アルコール飲料も残していた。朝風呂に2度入り、バッテリーを充電して気分新たに出発する。小雨の中、ジャガイモ畑や麦畑が広がるエリアを通過しr1115で、裏摩周湖展望台に行くが霧で何も見えず、清里峠を越え平野に下りると酪農エリアとなる。別海町郷土資料館に行く、別海町=野付半島というイメージでいたが、この町の中心地は内陸部にあった。明治期には缶詰め工場があり町が発展したらしい、日清戦争時、兵士たちがここの缶詰の良さを知り、全国的に知名度が広がったそうだが、原材料の不漁で衰退し昭和9年に廃止され現在は無い。
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道路端にあった「ここまで来ると べつせかい」という看板の通り、原野の中にある酪農の町だった。昭和38年頃の牛乳の出荷されている写真を見ると重労働だった事を想像する。
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隣にある「加賀家文書館」は、幕末にアイヌ語の通訳をしていた加賀さんが、アイヌと和人の間に立ち、それぞれの立場を理解しながら対応した事を、文書で記録してあり、そのリアルな話を現世に展示してある。人々の意見調整は現在と何も変わらない。今日からの滞在地「霧多布岬」に向かい、2日前に電話で予約済みだった温泉施設「ゆうゆ」に行くが予約が入っていないとの事、信じられない対応にショックを受けるが、ロッジには空きがあり災難にならず... 夕刻になり岬に行くとラッコの親子が元気に泳いでいたが、私の左足は痛みが強く歩けない...
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走行距離:158.1km
宿泊先:霧多布岬キャンプ場ロッジ(1泊目)

2023年7月15日(土)
 曇天の朝、午後から本格的な雨予報なので、6時に出発してルパンのいる茶内駅の綺麗なトイレで用を済ませて、R44で根室市に向かう。
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根室駅前では8時前からカニ屋さんが開店し旬の「花咲ガニ」を売っていたので、今夜の食材に購入する。
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納沙布岬周辺では、コンブ漁が真っ只中。昆布満載のトラックが走り回り、自宅周辺に干す作業に追われていた。
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岬からは歯舞群島がすぐ先に見える。
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昼食は「回転ずし花まる」回転するがレベルは高い。https://www.sushi-hanamaru.com/company/greeting.html
花咲港に行くと客船がいた、調べるとシーニック・エクリプスというオーストラリア船籍のクルーズ船。一部の15名程の乗船客と根室市歴史と自然の資料館で出会う、資料館職員が総出で対応している様子が物々しい。
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午後は予報通り降雨となりR44を引き返して浜中町「ゆうゆ」で入浴@500、霧多布キャンプ場に戻り、車を停めると隣の同じ車種のおじさんから、私の岡山ナンバーを見て声を掛けられる、和気郡日生町出身という大阪のご夫妻は、車中泊で北海道を廻っていた。
明るいうちに花咲ガニを食す。手がベトベトになり匂いもあり、しかし美味しかった。外は雨、食後はする事もなく18時から眠る。
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走行距離:222.3km
宿泊先:霧多布岬キャンプ場ロッジ(2泊目)

2023年7月16日(日)
 3時起床、一晩中雨が降り霧雨状態の朝、霧たっぷりの霧多布。朝からは雨も上がり曇天が続く見込みなので、今日も茶内駅の綺麗なトイレで用を済ませて、r599→r123と海岸線を経由して、海を眺めながら厚岸町に出る。
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厚岸駅前の駅弁「氏家かきめし」でホタテとカキの弁当を買い昼食とした。見た目の色は濃いが、あっさりとした臭みの無い美味しい弁当だ。
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厚岸町海事記念館(無料)を見学、久々に見るプラネタリウムが綺麗だった。
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R44で浜中町に戻り、「コープはまなか」でソフトクリームを食べる。ここのソフトクリームは特別だ。https://www.ja-hamanaka.or.jp/coop/softcream.php
タカナシ乳業㈱ 北海道工場に隣接していて、駅周辺は新築や新しいアパートも多く、この企業が町を潤わしているのだろう。Monkey Punch Collectionを見学してキャンプ場に戻り、周囲のBBQ攻撃に負けない様に、フライパンでジンギスカン鍋を食し、ラッコの親子を観察して18時から寝る。
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走行距離:107.7km
宿泊先:霧多布岬キャンプ場ロッジ(3泊目)

2023年7月17日(月・祝)
 4時起床、疲れていたせいか10時間寝た。連休のキャンプ場は人も多く、カラスも残飯漁りに忙しい。天候は回復傾向だが、左足の調子は相変わらず不調、しばらく歩くと痛む、なので釧路で日帰り温泉を探すが今日はホテルを予約した。海には小型船がたくさん浮いている、今朝からコンブ漁の解禁だったのだろう、出漁の競争が見られなかったのが残念。
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5時半からいつもの茶内駅のトイレまで往復28kmをドライブして、うどん朝食を済ませて撤収、9時前には出発、近隣の民家では、家族総出で昆布の天日干し作業をしている。
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琵琶瀬展望台から湿原を眺めて霧多布に別れを告げ、r123で厚岸駅前10時過ぎ到着。昨日の昼食弁当が美味しかったので、今日は2食を買い求め昼食にすることにした。ホタテ入りは既に売り切れ、カキめし弁当@1250を購入。
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 R44で釧路に向かい、途中の昆布森方面にr1128を左折、海岸線に出ると、海からの霧が陸地に立ち上る。昆布の引き上げの為か、海岸から高台までワイヤーが引かれているタワーが幾つもあった。トライアルの広い駐車場で休憩、昼食、買い物を済ませて、7/17は道民の日で、昨年も入館無料だった釧路博物館に立ち寄ると、今年も同様だったので入館。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-18
 午後は、新釧路川の西に広がる鳥取エリアを車で回り、鳥取保育園、鳥取小学校、鳥取中学、鳥取神社、鳥取大通り、○○鳥取アパート、○○鳥取店と表示され郊外店が並んでいる。明治期に鳥取から移住した藩士族がここを開拓して鳥取村をつくった名が現在に至る。15時チェックイン、予約時には何も考えていなかったが、到着すると昨年と同じホテルだったので驚く...
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夕食は、荒廃が目立つ繁華街にある「レストラン泉屋 総本店」でスパカツを食し満足。しかし往復1.6kmが何度も立ち止まらなくては歩けなくなった。

走行距離:151.9km
宿泊先:スーパーホテル釧路天然温泉

【旅】2023夏の旅 --その7-- [【旅】2023年]

 ついにトラブルがやって来た、ここまで順調だった旅も、昨日の暴風雨により、我が家のテントは修復不可能な状態になる。なんで?という気持ちを笑い飛ばそうとしても、この先の対応を考えると、どうしても深刻に考えてしまう。がしかし、この難局を乗り切る事も放浪人の楽しみだと信じて、旅の予定は前進あるのみ。

2023年7月10日(月)
 3時半起床、港を散策しながら、激しかった昨日の嵐を思い出していた。
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アスファルトは乾いているが、テントサイトは水が浮いている。昨日の落雷で燃えた電線が垂れ下がり、2m程度の車には引っかかる状態で放置されている、テント撤収は乾いてからにするので、暫くはテントは水サイトに放置。車内で、オホーツク海から昇る朝日を眺め、これから8月初旬までのスケジュールを考える。
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明日以降、天候は下り坂になり、週末まで道内各地は雨の予報。根室方面が比較的曇り予報なので、予定を前倒しして東へ向かう事にした。9時前から徐々にテントの撤収を始める、まだまだ水の浮いた芝の上なので、アウターを外して比較的乾いた場所まで移動、メインポールを外すと2本共曲がっていて、元には戻りそうにない、、サブポールも曲がって、全部で4本のポールの内3本が修復不可能だ。
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 10時半出発、R239で東に向かう、何故かポータブルバッテリーの充電が出来ない。湧別町、サロマ湖を経由して能取湖を廻って能取岬に行く。
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少し海岸から離れると気温30℃、オホーツク海岸に近くなれば風の方向により24℃まで気温が下がる、しかし今日は暑く、今年初めて暑いと感じる。網走で給油を済ませて「道の駅しゃり」で休憩、少し離れた斜里温泉湯元館@400で入浴、入浴料金をガチャで支払う無人料金回収システムは説明を聞かないとすぐにはわからない。木陰で荷物整理、シガーソケットのヒューズをチェックするが異状なし。コンパクトな感じのする斜里駅前には、道の駅、コンビニ、写真スタジオ、カラオケ、居酒屋、温泉など揃っている、JR駅も外観がオシャレで感じがいい。郊外には広い畑が広がるだけであるが、人口は1万人もいる。少ない便数の列車が到着する時間になると、迎えの自家用車が集まり少し賑わいを感じる。バッテリーが無くなり冷蔵庫が明日朝まで持つか?パソコンもバッテリーが少ない。道の駅の隣「知床くまうし」で夕食を済ませ、夕刻散策して車中泊とした。奥歯が痛む、左足が痛む、何だか体調がおかしい。
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走行距離:192.5km
宿泊先:道の駅 しゃり

2023年7月11日(火)
 3時半起床、涼しい空気であるがバッテリーも無くなったので、残り少ないバッテリーのPC電源を入れ、JR斜里駅のWIFIを利用させて頂き、今夜の宿を探して予約、バッテリーと体の充電が必要なタイミングだろう。車もディーラーで確認してもらおうと探してみると、斜里町内にあったが火曜日定休だった。ここからオホーツク海岸は東に向けて北上する「天に続く道」を登ると、そのまま天に行きそうなので、R334に戻り、天に続く道スタート地点に行って見た。
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後からやって来た福山ナンバーの大型キャンパーご夫妻と話す、ケンカが絶えない話、今年は12日の予定で我々と反対方向で回っている話、我が家は1ヵ月を経過したと話などして別れた。オシンコシンの滝により涼しむ、知床に入ると道端に熊がいた。
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知床峠を超えて羅臼へ、国後島が近くに見え、あそこがロシアだとは思えない。羅臼町岬町には各屋根に巣作りしたカモメがヒナを育てている。
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ウトロに引き返し、道の駅で遅めの昼食、左足と奥歯が痛むので、15時には民宿にチェックインして昼寝する。風呂に入りながら精神的疲れが体調に現れたのかも知れない...と思いながらコンビニでゼリーとプリン、ざるそば、ワインを買い夕食とした。バッテリー満充電、風呂に2度入り回復を願う。

走行距離:177.4km
宿泊先:民宿しれとこペレケ

2023年7月12日(水)
 久しぶりの宿で朝寝坊、6時起床。青空が見えるウトロの朝、バッテリーは全てフル充電。朝風呂に入り休養するが、1日だけでは全回復は不可能だった。9時出発して天に続く道を通り、斜里町にあるディラーまで行く。Web情報では9時半開店となっていたが、入り口では10時からの開店と表示してあった... が、快く受け入れて頂きヒューズ確認、切れていない。詳細確認の為にドックイン、暫くするとシガーソケット部を持ってメカニックの方から説明があり、内部が溶解していてソケットが電極に接触出来ていない状態だった。部品は札幌にあるので明日の15時頃には入荷するとの事、修理をお願いして明日の再来店を予定して店を出る。昨年の帯広でのディラー対応と同じく、想定を超える対応に満足。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-19
 ホームセンターでテントを探すが殆んど無くあきらめ、R244で根北峠を越えて標津町に行くと丹頂鶴のペアが草原にいた。
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ポー川史跡自然公園に立ち寄ると、この地には一万年の昔(縄文時代の創成期)から人の暮らしが続いた場所だと紹介されていて、明治期まで使われていた竪穴式住居跡が4000戸以上確認できる、アイヌ民族文化として脈々と繋がれた人々が定住したそうだ。川があり、海があり魚や動物の狩猟で生活が出来ていたのだろう。
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昭和57年に子牛を3頭食い殺した大きな熊が射殺され、剝製になっていた。この地には現在「OSO18」という熊が66頭の牛を襲っていて、現在も捕獲されていない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/OSO18
牛を食うというDNAが今も引き継がれているのだろう、人が襲われないことを祈る。受付の女性に昼食のおすすめ場所を尋ねると色々と教えてくれた、一番大衆向けの「食事処しのだ」でランチ、標津町北方領土館を見学して、返還への希望と同じか?展示物も日焼けして色が薄くなっていた。終戦後の侵攻により占拠された島は、ロシア敗戦後のタイミングで取り返し施策を打って出るタイミングだ。
雨の降らないうちに、野付半島を見学をしようと行くが、霧で何も見えない、道路脇にいる鹿を観察するのみ。野付温泉浜の湯@480に入り、17時には「道の駅おだいとう」に到着する、北方四島に関する展示がある施設だが17時で終了、あるのはトイレのみ、なので同輩が10台位いた。雨も徐々に勢いを増す予報なので、早めに寝室部を作り日暮れと共に眠る。

走行距離:157.3km
宿泊先:道の駅おだいとう

2023年7月13日(木)
 一晩中雨が降ったが3時半起床時には、小雨となり根室海峡から明るくなってくるが太陽は雲の中。天空には青空も見え、昼間は天候回復見込み。
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朝食を済ませで6時出発、昨日は何も見えなかったので、もう一度、野付半島を見に行く、水産会社の敷地内には、大きな角を持ったメンバーの方が多いが、早朝から網の補修作業が行われ活気のある砂嘴(さし)だ。
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左足が痛く、長くは歩けそうにないので車から眺めるだけで引き返す。標津まで戻りサーモン科学館開館(9:30)まで、標津平野を走ってみる。直線道路と直角交差点をあてもなく走ると中標津町に出た。郊外店舗も多く標津と比較すると大きな町だ、空港があるからなのだろうか、調べると人口は2.2万人、標津町の4倍もいる。1時間ほどドライブをして「標津サーモン科学館」に入るが、水族館?の様で科学的ではない、少々期待外れ。高さ30m展望台からは、他にこの高さが無いので360度が望めた。
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開店を待って「そば処 福住 総本店」https://oishii-fukuzumi.com/info.htmlでランチ。
 R335で羅臼へ途中「羅臼町郷土資料館」を見学、紹介VTRを見ながら二人して寝る。植別小中学校跡地らしいが、芝のグランドが綺麗だった。松法川北岸遺跡からは、8000年前の竪穴式住居跡から炭化した当時の物が出土している、火事となり屋根が落ちた事で炭焼き状態となった家財が炭化して現世に出土したのだそうだ。熊とシャチの器の説明がわかり易く、見応え十分しかも無料。羅臼でお土産を買い、霧の知床峠を超えてウトロ側に降りると真っ黒の雲に覆われ、時々激しい雨となる。15:30に北見のディラーへ、受付で1時間程度お待ちくださいと案内され、TVでも見て過ごそうかなと、椅子に座ると昨日のメカニックが来て部品交換終了、あっという間に終わる、ありがとうございました。今夜の宿、清里町のホテルに16時チェックイン。最後のクーポンを頂きレストランで夕食、刺し身サーモンが旨かった。

走行距離:240.8km
宿泊先:ホテル緑清荘

【旅】2023夏の旅 --その6-- [【旅】2023年]

【旅】2023夏の旅 --その6--

 稚内に1週間滞在して、終日好天だったのは礼文島に渡った1日だけだった。奇跡的な天候に恵まれ目的は達し、今日は次のキャンプ地に移動する。自宅を出発して1ヵ月経ったが、トラブルもなく、おかげさまで益々元気に暮らせている。8月初旬には自宅に戻る予定であるが、この先も帰着するまで確定したスケジュールは無い。幸せな時間をありがとうございます、すべてに感謝。

2023年7月5日(水)
 今日は曇り予報であるが、徐々に青空も見え始め、8時半にはアウターも乾いた。9時半完了出発。宗谷岬までは青空のある気持ち良い天候だったが、オホーツク側に入ると海霧により曇り。気温15℃と寒い、猿払村の港でホタテの水揚げを眺め、昼食は「つなぎ処えん」で、ホタテかき揚げ蕎麦@700を頂いた。
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キモマ沼、ポロ沼の周辺を経由して、猿払村道エサヌカ線を走ってクッチャロ湖に向かう。
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今日からの宿泊地はクッチャロ湖畔キャンプ場、久しぶりに汗をかきながらテント設営、湖の方向に傾く夕日を眺めながら過ごす。
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走行距離:115.3km
宿泊先:クッチャロ湖畔キャンプ場(1泊目)

2023年7月6日(木)
 3時前の夜明けと共にカラスの声で起こされる、今日から雨の天気予報。7時からクッチャロ湖畔を散策していると降雨となり、エゾリスも忙しく走り回っていた。
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暫くテント内でTVを見ながら過ごす、宿泊者は殆んど出発したので、9時半頃から「道の駅 はまとんべつ」に行くが何もない、隣のスーパーに行くが何もない。仕方ないのでドライブでもすることにした。隣町の中頓別に向かい、途中で「ウソタンナイ砂金採掘公園」に立ち寄ると、若者が一人、講習を受けながら川の中で砂金堀の最中、採りたての3欠片の砂金を見せてもらう。挑戦してみたいが、雨が心配なので遠慮した。R275で中頓別に行くと、鍾乳洞の看板があり立ち寄る、入り口では野生のタヌキが出迎えてくれた、無料の公園には貸し出し用の傘、熊除けの鈴もあり自由に散策できる、軍艦岩が丘の上に見え「中頓別鍾乳洞第一洞」には入る事が出来た。
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洞窟の入口までは、熊除けの手動サイレンがあり、野生動物が身近な事を感じる。洞窟内は整備されているが、狭く探検気分が盛り上がる。大きな鍾乳石は無いが深い溝が洞内各所に見られた。鍾乳洞としては比較的新しい時代に貝殻の大量堆積により出来た地層が、鍾乳洞となったと説明されていた。ランチは中頓別の「里芋と蜂蜜」でオシャレで美味しい、出汁茶漬けを頂く。
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「道の駅ピンネシリ」に行くとキャンプ場が併設されていたが誰も居ない、敏音知(ピンネシリ)岳703mの登山口でもある。明治時代、砂金堀のゴールドラッシュ時には、この辺りの山中に大勢の男達が入り、金を手にした者は枝幸の町で酒と女を求め豪遊した。と記されていた。このエリアで発見された金塊が、日本最大(768g)で、中頓別の郷土資料館に置いてあるそうなので行って見る。
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r647に左折して山の周囲を一周する様に中頓別に戻る。中頓別を開墾した人は、広島県の大崎上島出身「楢原民之助」だと知る。漁師から砂金堀、その後この地を開墾し農業を始めたそうだ。北緯45度の誰も居ないこの地で、農業への挑戦は想像を超える。

走行距離:103.4km
宿泊先:クッチャロ湖畔キャンプ場(2泊目)

2023年7月7日(金)
 6時から朝風呂に入る、湖から吹く風が心地よい。雲が多いが日差しもあり、天候は回復傾向だ。朝食を済ませて9時過ぎにテントを離れ、浜頓別町の漁港に行って見る。人口3,800人程度の町であるが、漁業関係の若者が多く働いていた。カニ、ホタテの水揚げだろうと思うが、大型の漁船の仕事はおじいだけでは困難だろう。R238をオホーツク沿いに南下、高山の様な木々の生えた神威岬が、行く手を阻む様に立ちはだかる、ここは日高山脈の最北端が海に沈んでいる地点だそうである。北緯45度を下り、枝幸の町のスーパーで買い物を済ませて「う美蔵」https://umikura-shop.jp/help/aboutでランチをしていると、電話がかかって来た、とるとクッチャロ湖の売店です。今どこにいますか?との質問から始まり、案内を間違えていて、テントの移動を至急お願いしたいとの連絡だった。7/8の湖水祭りの準備がある様で、移動をお願いされサイトに戻る。続々と役場関係者が準備に集まり、我が家のテントだけポツンと1軒状態。BP充電を売店にお願いし、案内間違いを恐縮され、何度も謝られ、快く引っ越し作業に取り組む。汗をかきながら、13時半引っ越し完了、西風が強く今度は北向きに建設し、快適な我が家となる。
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お祭り会場の都合で、キャンプサイトが半分になり、夕刻まで徐々に混雑し始める各人の建設作業を眺めながら夕刻まで過ごし、湖に日が沈む、美しい夕景を眺めて日没と共に眠る。
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走行距離:72.3km
宿泊先:クッチャロ湖畔キャンプ場(3泊目)

2023年7月8日(土)
 4時起床、5時半からの朝風呂に入り、今日も心地よい風に吹かれて気分は最高。
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天候晴れ、8時からは祭りの準備が始まった。9時から交通規制が入り、駐車場への入場は許可車両のみとなる。テントの乾きも早く、9時半には撤収しサイトを出発。R238を南下、枝幸、雄武、日の出岬キャンプ場を覗いて、興部の「ダルマヤ」で蕎麦を頂き、JAのおこっぺソフトクリームを食べ、昨年と同じガソリンスタンドで100円洗車。泥と虫を落として久々にサッパリした車になった。沙留漁港でホタテの水揚げを見学してから紋別に向かう。紋別市ガリヤ地区港湾緑地は、港の広場だが1泊500円でキャンプ利用可能、ゴミ処理の協力金のみという設定。車中泊を検討していたが、サイトが広いのでマイホーム建築に至る。快晴21℃であるが、汗をかきながら15時完成。紋太の湯で入浴を済ませてテントで夕食、紋別バイオマス発電に沈む夕日を眺めて眠る。
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走行距離:149.6km
宿泊先:紋別市ガリヤ地区港湾緑地(1泊目)

2023年7月9日(日)
 朝から青空が広がる、オホーツク海からの朝日は既に昇り、朝の涼しい空気を楽しみながら過ごし、9時頃にはテントを出発して、ラベンダー満開の美しいオホーツク公園を散策、そのままコムケキャンプ場まで行って見るが原野が広がるのみ、紋別市に引き返しランチのあるお店を探すが、ほぼ休みにより「すき屋」となる。スーパーで食料を買いテントに戻る、今日は休日なので、周囲はBBQ大会だ。午後から昼寝...少し日差しが暑いが風は心地よい、ラジオから北見市の最高気温が35℃を超えたと報道、ラジオに雷ノイズが多発し始める、少々不安な南の空の積乱雲だった。雨雲レーダーを確認しながら、紋別市に積乱雲の雨が来る、来ない、来る、来ない、と情報がコロコロ変わっていたが、青空を真っ黒な雲が覆い、16時前にテント周りを片付けて車に避難。
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16時から降雨となり、落雷も激しくなり始めると、20m程横に落雷となり、電線が一瞬で燃え尽き30m程の火花が路上に落下、燃えたケーブルからは黒い煙が空を舞う。バックツーザフューチャーの映画のシーンそのモノを目撃した。
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その後数分でダウンバースト状態の暴風雨に変わる、幾つもテントは空に飛ばされ、雹交じりの雨は車の屋根が凹む程に叩き付け、最大瞬間風速は30m/sを超えている。我が家のドームテントも形が変わり吹き飛ぶ寸前だった。小型テントを除き、ファミリー型テントは飛ばされて全滅状態。自然の猛威は凄まじいパワーだ、楽しいファミリーBBQも一瞬で、ずぶ濡れ、家無しの被災者の状態となる。17時には収まり、テントを確認に行くが、横風によりテント内はジャブジャブ、ポータブルTV浸水、変形したテントはメインポールが曲がっていた。すぐには直せそうもなく、とりあえず荷物を車に運ぶ、幸い寝室部には水害は無く、マット、寝袋は無事。テントはそのまま放置し、明日の朝、乾いて撤収する事として、今夜は車中泊。
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18時頃からは到着組のキャンパーがやって来るが、地面が湿っていると言いながら被災地?にテントを建てていた。先程の状況は知る由もない。食材はそのままで、外食(ラーメン山岡)を済ませて20時就寝。この先は車上生活なのか...

走行距離:89.3km
宿泊先:紋別市ガリヤ地区港湾緑地(車中泊)

【旅】2023夏の旅 --その5-- [【旅】2023年]

 今日から具体的な予約スケジュールは無い。とりあえず稚内エリアで天候の状態を確認しながら、礼文島に行きたい日を調整する。その思いだけで具体的な計画は何もない。目指す放浪人らしい幸せな時間である。トラブルなくこの幸せな時間を堪能したい。

2023年6月27日(火)
 3時起床、朝から晴れの空。5時から朝食を済ませて片付けの準備に入るが、まだまだ早い。
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のんびり海を眺めて過ごし「らんまん」を視聴してから本格的な撤収モードに入る。9時終了して9:30には出発した。R232(オロロンライン)を北上し最北の町「稚内」を目指す。
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海と空と道の繋がる美しいドライブコース。初山別(しょさんべつ)村のみさき台公園を見学、無料キャンプ場は少数であるが賑わっていた。
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R232が直角に曲がる遠別町の「味のどん兵衛」で昼食を済ませ、天塩町の鏡沼海浜公園に立ち寄る、キャンプ場は魅力なし。ここから天塩川沿いにr106「萌える天北オロロンルート」を北上、風力発電が直線に並び、道路も果てしなく続く。
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北緯45度を越える頃に、豊富のアイスクリームを食べたくなり海岸線ドライブを離れて、r444で町に向かったが、昨年来た「フェルム」は定休日だった...残念。同時に駐車場に入ったお店経営者らしき方からお辞儀される... 食欲はセイコマートのアイスで抑え、R40バイパスで稚内市内へ入り、道の駅わっかない、稚内森林公園キャンプ場(無料)を覗いて見たが、今宵から暫く雨予報なので、道の駅で車中泊にする事とした。夕刻ノシャップ岬に行くと観光バス団体さんの記念撮影大会が始まり早々に退散、道の駅には全国各地のナンバープレートの車が並ぶ、キャンピングカーから乗用車、軽自動車まで8割は同輩だ。ベッドメイクを済ませ、近隣の居酒屋・米風亭で夕食、わっかない海の駅の温泉を楽しみ21時就寝。
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走行距離:185.3km
宿泊先:道の駅 わっかない

2023年6月28日(水)
4時起床、パラッ程度の雨は降ったが、濡れるような降雨ではなく、青空も見える空。
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日本列島の端々の天気予報は正確ではないのか?そんな思いを持ちながら、24Hの看板があった「すき屋」に朝食に行くが5:00-10:00は閉店になっていた。その他を探すがコンビニ以外に開店しているところは無く、道の駅に戻り、稚内駅構内にある6時開店のCafeでモーニングを頂いた。お店のお兄さんに「天気予報が当たらないね、今日は雨予報だったのに…」というと、ここでは天気予報はあてにならない。との回答だった... 北海道立宗谷ふれあい公園のキャンプ場に行き様子を見てから、今日から1週間のフリーサイトを予約(他のサイトは満室だった)、チェックインは13時からです。と案内され車に戻ると降雨となる。予報よりも天気の変化が遅れていただけか?強くなる雨を避けて宗谷岬に移動する、観光バスも停まり記念撮影大会だ。しかしながら5分もすると雨が追い付いて来て激しい雨となる。今日のテントサイトが少しでも乾いて欲しいが、お天気はどうしようもない。早めのランチを済ませて防水シートを買い求めてから、ノシャップ岬で鹿の親子を観察。小鹿は見た目はカワイイが、鳴き声は「ギューギュー」と可愛さがない。樺太記念館(無料)を見学する、今は戦時下の隣国であるが、日本の領土であった40年間(1905-1945)で森林開発、パルプ工業、炭鉱開発、線路の整備と、発展していた事が紹介されていた。1945年8月9日の唐突な侵攻により大混乱となり、緊急疎開で稚内まで引き上げている、この中に、のちの横綱大鵬が母と引き上げ疎開していた、父はウクライナ人だったので引き上げていない。日本領土の端々には、どこにも悲しい話が語り継がれている。現ロシア敗戦の時期を見極め、北方四島の問題解決に向い打つ手は準備できているだろうか?昨年もこの地でそんな事を想像していた。その時には安部氏も存命だった。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-09
 キャンプ場で受付を済ませて、14時から我が家の建設に取り掛かる、小雨が降り始め、大急ぎでアウターテントを掛けると降雨となる。ギリギリセーフのタイミングで完成、直後より激しい雨となり天に感謝。
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地面に湿りはあるが濡れてはいないので、快適な空間で雨降りを眺める。マイホーム建設も回数を重ねると短時間で出来るようになるものだ。しかしながら急いだために方向調整が出来なかった、隣のサイト側を向いている、天候が回復したらやり直そう。早めの夕食を済ませ、シャワーを浴びて就寝。

走行距離:130.3km
宿泊先:北海道立宗谷ふれあい公園(1泊目)

2023年6月29日(木)
 3時に小鹿の鳴き声で目覚める。NHKラジオの美空ひばり特集と小鳥、カッコー、カラスの声で、霧と曇り空の朝をテント内から眺めながら過ごす。
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買物を済ませ昼食をテントで済ませていると、本格的な降雨となった。その後終日雨が続き、テント内で過ごす、風も少し上がるがマイホーム内では快適に過ごせている。16時から夕食、シャワーを浴びて日暮れと共にテントをクローズして眠る。

走行距離:17.2km
宿泊先:北海道立宗谷ふれあい公園(2泊目)

2023年6月30日(金)
 2時半、風がテントを揺らし目覚める、今日は最低気温12℃、最高気温15℃と寒い。テント内で寝袋に入っていると快適ではあるが、半袖の夏服では、外に出ると強風と雨により寒さは倍増する、宗谷地方は強風注意報が出ているので、今日はドライブをすることに決めた。5時から軽食、8:30から市内に出てマックで朝食を済ませてr106を南下、サロベツ原野方面に移動した、雨は止んだが東からの風は吹き続けている、利尻富士も雲の中。抜海駅に立ち寄り、抜海集落で直角に左折するオロロンラインを過ぎ「こうほねの家」に立ち寄るが、沼・海・曇天以外に何もない。
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兜沼経由で原野の直線道路を、野生動物の飛び出しを心配しながら30km/hでノロノロ運転。
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そのまま27日に立ち寄るも定休日だった、豊富町の「フェルム」に行く。今日は寒いが、目的であったソフトクリームを食し満足。サロベツ原生花園に立ち寄るが、今年はエゾカンゾウは木道周辺には無く、ショウブとカキツバタが点々と咲いていた。泥炭を掘り返した跡地が、元の自然の姿に戻るには、世紀単位の時間がかかる事なのだと感じながら後にした。
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抜海岩陰遺跡という看板を見つけて立ち寄るが草が生い茂り近づけない、説明看板によると土器などが出土していた、こんな寒い所でどうやって冬を過ごしたのだろうか?どんな衣類を纏い、何を食べ、暖は何を燃料にして、一冬にどのくらい備蓄していたのだろう。想像はしてみるが、体験はしたくない。今でも冬になると、抜海港にはゴマフアザラシが多数越冬するらしいので、捕獲していたのだろうか?
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海岸線のオロロンラインを北上し稚内市内に帰る。遅めの昼食にラーメン@500(うえんない食堂)、想定外に寒いので長袖の衣類を購入しテントに戻った。北海道立宗谷ふれあい公園のキャンプ場は、手頃な価格で滞在する事ができて、更に65歳以上になると一人500円の入場料無料となる、そうなると1サイト1泊500円で施設が利用できる。(我が家は現在:1泊1500円)2カ月滞在しても3万円なので、エアコンの電力料金より安く、涼しい空気の中で生活できることが魅力なのだろう、全国各地から先輩方が長期滞在をしている。午後からは本降りの雨と強風、洗濯を済ませて、バサバサと揺れるテント内でジンギスカン鍋を食し、明るいうちから眠る。

走行距離:126.9km
宿泊先:北海道立宗谷ふれあい公園(3泊目)

2023年7月1日(土)
 昨夜から雨風が強く、バサバサと揺れるテント内で3時起床、NHKラジオを聞いて過ごす。雨天3日目になるとすることが無くなり、食事が一番の楽しみになる。ショッピングセンターの開店に合わせて、衣類、100均、Beerを購入し、昼食は「む蔵」でチャーメンとかつ重を頂いた。お腹いっぱいになり、雨上がりの声問村周辺を車で見て歩いた、「稚内市大沼野鳥観察館」は沼を望むのみ、整備された観察館には、暖炉で薪が暖かく燃えていた。「北の桜守パーク」には映画撮影セットの施設があり、想像以上に整備され驚く。https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/midokoro/spot/sakuramori.html
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その後は、テント内でゴロゴロとラジオを聴きながら過ごす。夕刻より青空が広がり、稚内に来て初めての晴れとなった、しかしながら暫くは曇天の予報が続く。簡単な夕食を済ませて日没と共に寝る。

走行距離:30.7km
宿泊先:北海道立宗谷ふれあい公園(4泊目)

2023年7月2日(日)
 2時半起床、空一面に低い雲が覆っていた、稚内の町灯りが雲を照らし、薄明るいキャンプサイトだった。暫くラジオを聴きながら起きていたが、寒いので寝袋の中で過ごすと、そのまま眠ってしまい。6時に再び起床。朝食を済ませ、今日は次の宿泊先となる浜頓別町に行って見る。
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昨年同様に、クッチャロ湖には湖しかなく、静かなキャンプ場(大人@400)だった。青空も少しあったが終日曇天、日が当たると、車内では暑さを感じて、7月の季節を実感する。セイコーマートで食材を買い、昼食を済ませてから、広い園内を散策すると夕刻となる、BP充電、シャワーを浴びて夕食。
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明日は曇り予報であるが、礼文島に行くと決め、冷たい空気が漂い始めて来たので日没前から眠りに就く。照明器具が不要な生活が続く。

走行距離:179.2km
宿泊先:北海道立宗谷ふれあい公園(5泊目)

2023年7月3日(月)
4時起床、天候調査を始める、道北宗谷地方は終日曇り予測。少々迷いながら大急ぎで準備して6:30発の礼文島行きのフェリーを目指す、往復チケットを購入し乗船すると直後に出港した。想定外に団体観光旅行が多く、座る場所がない状態だったが、通路脇に座りとりあえず落ち着き、礼文島8:25着まで写真も撮らずそのままでいた。41年前と同じ曇り空で、移動中は何の風景も見えている様子は無かったが、港に到着すると、利尻富士の雲が切れ始め山頂がのぞいた。急いでいたので飲食物を何も持っていない、フェリーを降りても売店は無かった。レンタサイクルにするか?バイクか?様子を覗っていると、フェリーの出港に向けて数名の民宿関係者が大声で歌い出した。41年前に礼文を離れる時の見送り大合唱を思い出す、あの時は曇天と雨で何も見えず、野宿で疲労困憊したまま宿に着き、色々と接待されるも寝落ちした。帰りのフェリーの見送りに感動し、絶対又来る。と心に誓っていたが、こんなに年月が過ぎてしまった。港からは利尻富士がドーンと見えて迫力がある。そして今日は、路線バス1Dayパス2000円を選択し、観光案内所に行き売店の有無を聞くと、セイコーマートは歩くと30分掛かると教えてくれた...が漁協の売店が9時から開店すると教えてくれた「あ、もう開いてる..」徒歩5分の距離らしい。9:25発の路線バスのバス停情報はスマホには無く、とりあえず速足で往復して、おにぎり+パンを買いフェリーターミナルバス停に戻った。バスに乗り1Dayパスを求めると釣銭が難しそうで、後回しにされ出発。次のバス停に泊まると、さっき来た漁協売店の前だった。行き当たりばったりの旅は無駄が多い... 目的地のスコトン岬まで1時間弱、海岸線を走り到着すると、団体観光旅行で賑わっていた。
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バスガイドが海中にアザラシがいます。と教えてくれていたが、400mmで撮って拡大してもウキにしか見えない。暫くトド島の風景を眺め、朝食代わりにおにぎりを食べていると、北の空から青空が急拡大。岬の先端部のみ素晴らしい青が望めた。
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今日は歩く覚悟なので、ここから車道を引き返し、トド島展望台、ゴロタ岬と続く岬めぐりコースを辿る。ここからは誰も居ないが、数名が同じコースを辿っているようで遠くに見えて安心、空は快晴となり、海、空の青さが映える。見たかった礼文の光景を二人で楽しんだ。
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遠くに見える海岸線は美しいが、海に近づくと日本全国同様に、漂流物のゴミだらけである。残念ながら現実は事実、このままでは人類の生存もそう長くはないのでは?そんな思いをしながら美しい青を眺める。
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 海岸のゴミを分類し、自然界にあってはならないゴミを指定して買取法をつくる。(海岸ゴミの税金による買取法:100㎏=1万円、回収管理は漁業認定者、一般人は100kg=5千円で業業関係者に引き渡し可能。ゴミ回収の漁期限定)漁師が魚を捕らなくても、ゴミ回収で糧を得る事も出来るのではないか?一般人も海岸ゴミを回収すれば副収入にもなる。ボランティアのレベルでは、もうどうにもできない事態まで来ている様に思う、自然の美しさを感じる中で、そんな考えを持ちながら、最後の峠を登り、澄海岬に到達し、飲物を手に入れる事が出来た。少し休憩後、今日中に稚内のテントサイトに戻る為には、16:05発の病院前始発のバスに乗車する必要があり、残り4.5kmなので、1時間あれば大丈夫だと思いながら14:30に歩き始めた。しかしながら車道は何故か長く感じる、1kmの移動が岡山市内の2km程度に感じる。直線道路だから見通しが利くのでそう思うのか?気のせいか?休憩なしで病院前バス停に着くと15:45だった。フェリーターミナルに到着すると16:50、そのまま乗船口に直行して乗り込むと17:10の定刻にフェリーは出港した、今日は全てがギリギリのスケジュールだった。
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復路の海は穏やかで利尻富士を眺め、北海道側を眺めると薄っぺらい陸地だと実感、豊富町辺りは陸地に見えない。稚内港に戻り、外食(寿司)を済ませ、20時テント着、大沼から満月が昇って来た。

走行距離:22.6km+3万歩
宿泊先:北海道立宗谷ふれあい公園(6泊目)

2023年7月4日(火)
 ポツポツとテントを叩く雨音で2時半頃に目覚めた、今日は明日からの移動に向けて準備をする。しばらくはオホーツク海沿岸のローカルエリアなので、損傷したコットやイスの修理、給油、食材の購入を目的に稚内市内のスーパー(SAIJYO)、ホームセンター(DCM)、ガソリンスタンド(モダ)、ドラッグストア(サツドラ)、コンビニ(セイコーマート)を巡り、12時半にテントサイトに戻る。昼食を済ませてからは、贅沢な昼寝をした。終日曇り時々雨の状態が続くが、気温16℃程度で寝袋にもぐると気持ち良い気候である。目覚めると15時、シャワーを浴びて夕食を済ませ19時には再び寝袋に... 日ハムvsソフトバンクの中継を聴きながら眠る。

走行距離:22.1km
宿泊先:北海道立宗谷ふれあい公園(7泊目)

【旅】2023夏の旅 --その4-- [【旅】2023年]

2023年6月19日(月)
 4時起床、青空の朝。バッテリー残量が10%台となり、心細いが今日は太陽光充電が十分に出来そうである。がしかし貯める為には使えないので、冷蔵庫は常温のままだ。今日から二人キャンプ旅となる。9時から温泉に浸かり、10時にはテントを離れて、洗車、給油、100均買物、ランチを済ませると12時半だった。千歳空港までは近いと思っていたが、想定外に時間がかかり13時半に空港駐車場到着。3番到着口に着くと13:46、岡山からの航空便は13:43到着予定となっていた。奇跡的に素晴らしいタイムスケジュール。合流してそのままテントに戻り、温泉に浸かると夕刻となる。今日は2週間分の会話を済ませて、温泉レストランで夕食、夕闇と共に眠る。気温15℃、明日朝は10℃の予想。
奥歯の痛みは忘れるほどになくなった。野菜サラダを含めて硬い物の食べ過ぎに注意である。
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走行距離:42.0km
宿泊先:えにわ温泉ほのか ほのキャンプ場(2泊目)

2023年6月20日(火)
 3時半起床、先程まで若者キャンパーがワイワイ盛り上がっていたが、静かになった。外に出ると1張りテントが増えていたので、眠った後に到着して設営、宴会をしたのだろう。空は既に明るく東は赤く染まっている。パンで朝食を済ませ6時半に出発、r117を東に向かい、恵庭渓谷を経由して、支笏湖畔のポロピナイ園地に7:20到着、正面に風不死岳(ふっぷしだけ)を望む園地には、既に大勢の釣り人が集い、ヒメマスを釣り終えて売買をしている様子ある、レンタルボードも岸辺に置いてあった。
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昨年は湖の反対側を眺めただけだったので、今年の印象はかなり違って見えた。
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支笏湖ビジターセンターを見学すると恵庭岳には、札幌オリンピックのスキー競技会場があったと記されていて、終わってから植林を済ませて自然に戻す作業をしているが、現在でも冬場になるとコース跡が見えてくるような状況らしい。半世紀では自然は元通りにならないそうだ。
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r16を通り千歳市に戻り、早めのランチを済ませて「道と川の駅 花ロードえにわ」に立ち寄る、RVパークもあり、整備された広場には花々が咲いていた。北広島市の観光パンフレットがあったので、ここに行くと広島弁の北海道の人がおるんかのぉ~と思い行って見る。「旧島松駅逓所」という観光施設@200は、中山九蔵さんという方のお家だった。誰も居ない観光施設であったが、道路に停まる車が不自然に多い不思議な施設だと思っていたが、道路の対面には人気のソバ屋があり、本日定休日の対応に、施設係員は何度も尋ねられ対応していた。九蔵さんは、北海道で初めて米作りをした人だと紹介されていた。明治天皇ご一行も宿泊、クラークさんもアメリカに帰国の際、ここに立ち寄り、Boys be ambitiousの名言を残した。この言葉には続きがあり「青年よ大志を抱け!金の為または利己的栄達の為にでもなく、ましてや人よんで名誉と称する空しきものの為にでもない。知識に対して、正義に対して、かつ国民の向上の為に大志を抱け、人としてまさにかくあらねばならぬ全ての事を達成せんとするために大志を抱け」だそうだ。たった8ヶ月の日本滞在で、現在もなお日本人に記憶されるクラークさんは、多くの日本人に、人としての教えを残したのだろう。
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明治期のこの地は、原野の中に切り開かれた、唯一の宿泊や休憩の出来る建築物だったのだろう。この地には広島弁を使う人は既におらず、広島からやって来た開拓者和田さんの名前の和田村とせよ、と政府から言われたらしいが固辞し、広島の皆で開拓したので「広島村」と名付けたそうだ。この流れで現在の北広島市の地名に続く。和田さんグループは九蔵さんの米作りの収穫量を上げ、北海道の米作りの原動力だった。
 エスコンフィールドに行って見た、新しい施設は気持ち良い、施設内の見学は無料で多数の見学者がいた。
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 スーパーで買い物を済ませてキャンプサイトに戻り、温泉に浸かると夕刻になる。既に6回ほど利用した「えにわ温泉ほのか」は、名前も見た目も大衆浴場施設で、カルキ臭のする大浴場の佇まいであるが、来場者は午前中から途絶えることは無い。第一印象は原油の様な色の浴槽に驚く、お湯は無臭でトロリ感があり気持ち良い、カルキ臭など全くなく、950円と少々お値段はするがリピーターも多いのだろう。https://www.yudokoro-honoka.jp/eniwa/
昨夜のキャンパーは皆帰り、今夜は別のソロキャンパーが準備していた。テント内で夕食を済ませ、サッカー観戦をしながら眠る。

走行距離:122.7km
宿泊先:えにわ温泉ほのか ほのキャンプ場(3泊目)

2023年6月21日(水) ---夏至(恵庭市:日の出3:55 日の入り19:16)---
 3時半起床、今日も快晴の空だ。テント撤収にはありがたく風もなく、1時間ほどで完了、感謝。最後の入浴を済ませて、10時半から旭川を目指して出発する。r46で北広島市を通過し、r1080で南幌町経由、R234で岩見沢市に出てからカフェ「ピーノ」でパスタランチ、素晴らしく美味しく、この食事でワインを頂きたいと思えるサラダやパスタだった。道の駅三笠で休憩、近くの炭鉱跡に立ち寄るもゴーストタウン...
 R12に戻り美唄から滝川市まで29.2kmの日本一長い直線道路を55km/hで延々と走る。何故か大型トラックも低速だった。広い田園地帯は、畑と水田が入り混じっている。昨年見学した神居古潭を通過して旭川市に入る、16時前にはホテル到着。溜まった洗濯とゴミの整理、バッテリー充電を済ませると18時半となり、頂いた8000クーポンで「居酒屋 獅子豆」にて夕食。部屋中に干した洗濯物部屋で眠る。

走行距離:160.8km
宿泊先:ホテル クレッセント旭川(1泊目)

2023年6月22日(木)
 旭川は朝から青空が広がり、街と大雪山を眺められる「嵐山展望台」に行って見たが、遠景の山は水蒸気に霞んで望む。
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今回で2度目の旭山動物園に行く、動物を近くで見る事が出来る工夫は興味深い、又見ている側の存在を極力減らし、動物へのストレスを抑えた展示建屋も特徴だ。しかしながら、「喪中」と表記された展示施設が目立つ。気温29℃あり水の中以外の動物は暑さに耐えていた。
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平日でも多くの入園者があり、人気の動物園である。動物園の駐車場は官民共に500円なのだが、なぜか「旭山コナール https://asahiyamaconall.com/」という西口正面のカフェは無料だった。ありがたく利用し、帰りに立ち寄るべきであると思っていたが、空腹に耐えかねて通過、特一番というラーメン屋さんに直行した。「男山 酒造り資料舘」、「壺屋 き花の杜」を見学しホテルに戻ると16時半。終日観光に疲れて休息。近くの「串鳥」で夕食。旭川駅まで散策するイオンやホテルが多数出来ていた。

走行距離:47.2km
宿泊先:ホテル クレッセント旭川(2泊目)

2023年6月23日(金)
 4時起床、朝日は届いていたが、徐々に雲が広がった。「らんまん」を視聴してからホテルを出発。r98で石狩沼田に出る、何気なくJR駅に立ち寄ると、今年3月末でこの駅が終着駅となっていた。
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この先日本海側の留萌まで線路は通じているが、廃線になっていた。「すずらん」ロケ地である恵比島駅(明日萌駅)に行って見る。全てがロケセットの様な佇まいだった。残念ながらホームには鉄柵が造られ、廃線になった事をリアルに感じる。
https://www.town.numata.hokkaido.jp/section/sangyou/ujj7s30000001lu0.html
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無料の深川留萌自動車道路は昨年走ったので、R233で留萌市に向かい「蛇の目寿司」で少し贅沢なランチを頂いた。https://rumoi-jyanome.com/
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 R239で海岸線を北上し、今日のキャンプ地、苫前町に向かう。途中で「道の駅 おびら鰊番屋」で休憩、資料室も併設されており、鰊の番屋は礼文島まで各地にあったことを知る。小規模な鰊の群来は、現在でもたまにあるそうで、昨年この地で撮影された映像が流れていた。浜辺に産卵する多数の鰊が海を白くしながら群れ成している映像は初めて見た。
予約済のキャンプ場に到着すると、受付の気さくなおじさん(見た目先輩)から名前で呼びかけられ驚く、車のナンバーから判ったのだろうと思うが、施設利用方法、ごみ処理の説明をして頂いた先輩の接客に脱帽。4回目の我が家建設は15時前に完了し、くつろぐ。夕食時にはキタキツネによる各サイトのパトロールが始まった。
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海の向こうには天売島、焼尻島が見え、遠くに霞んで利尻島も見えた。
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走行距離:139.1km
宿泊先:とままえ夕陽ヶ丘オートキャンプ場(1泊目)

2023年6月24日(土)
 3時起床、明るくなるとカラスの声がうるさい。残飯でもあさりに来ているのだろう、キタキツネもビニール袋を加えて逃走していた。我が家には残飯は無く、一安心であるが野生の食欲(食べ物の恨み)は恐ろしいので気を付けなければならない。薄曇りの空に日が昇り、雨の心配はないが今日から徐々に電力不足になるのかな?と思いながら朝食を済ませ、漁港を散策した。得意ではない臭いで船着き場には近寄れず、何が水揚げされているのか不明。
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 ホワイトビーチという南国風の名前の付いた海岸を経由してキャンプサイトに戻る。昨日からの宿泊組は1組を残して撤収状況、土曜日であるが今夜も寂しいサイトかなと想像しながら、苫前町内のスーパーマーケットに出かける、町内ではあるが、水田と畑の中を走り片道10km程度、さすがに徒歩圏内ではない。食材を買いサイトに戻ると快晴となった、続々とキャンパーが申し込み手続きを始めており、今日は賑やかな模様。
苫前町郷土資料館に行って見る。
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 大正4年12月に発生した「三毛別ヒグマ事件」について紹介されていた。父子が殺害され、翌日母も遺体で発見、その夜の通夜にも熊に襲撃され、その後、近隣の家も襲撃し4名死亡、3名重傷、その後も毎日現れて食物を奪っており、4日後に山本兵吉によって射殺されたそうだ。
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射殺後に天候が急変し大暴風雪となった事で、以降「熊嵐」と呼ばれている。穴持たず熊(冬になっても冬眠する場所を確保していない熊)は危険なのだそうである。野生の食欲には気を付けよう。テントで昼食、ゴロゴロと昼寝を楽しんで、込み合うサイトから想像して混雑を避け17時半から「とままえ温泉ふわっと」で入浴を済ませて、そのままレストランで夕食とした。19時半焼尻島に沈む夕日を眺めてから眠る。
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走行距離:32.3km
宿泊先:とままえ夕陽ヶ丘オートキャンプ場(2泊目)

2023年6月25日(日)
 2時半起床するが、2度寝体制に入り4時半起床。8割ほど埋まっているキャンプサイトでは、野生動物も警戒し出てこない。人が集うと安心感はあり、人間は集団生活を基本とする事を実感する。朝から快晴、片付け始めたご近所さんの中で、のんびりと気持ち良い朝の時間を楽しむ。こんな幸せな時間はないと思いながら、明日以降の行動スケジュールを検討。
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 しばらくは道北に滞在し、涼しい空気の中で生活をしたいが、27日の夜から雨の予測。とりあえず隣町の羽幌町に行って見た、道の駅の隣にはバラ園があり満開、しかも無料で暫く鑑賞した、北海道海鳥センターも隣接してあり海鳥の現状が紹介されてる。
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フェリー乗り場に行くと焼尻、天売島の情報があり更に興味を持つ。パンフレットをみると山中に炭鉱跡があり行って見る、r356で築別炭砿、幌別本坑跡地は草むらに崩れかけた建築物、学校校舎があるだけで、寂しい風情。どこも崩落の危険により立ち入り禁止、野生動物の住処でもありr747で早々に退散。羽幌まで戻り、おろろん食堂でえびラーメンランチ、買い物を済ませてテントサイトに戻る。午後から昼寝、天候が良いので、もう1泊滞在する事を決めて、明日は天売島に行くことを決意した。早めの夕食、入浴を済ませてテントに戻るとカラスに荒らされ、マヨネーズと豆菓子をやられる。気の緩みだと反省、日没と共に眠る。

走行距離:74.3km
宿泊先:とままえ夕陽ヶ丘オートキャンプ場(3泊目)

2023年6月26日(月)
 4時半起床、朝日が眩しい。朝食時にはキツネがテントを覗きにやって来た、留守中にやられそうなので、怒鳴り追い返す。
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セイコマートでおにぎりを買って、羽幌発8:30のフェリーで天売島に向かう。焼尻島経由で10:20到着。
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 島1周12kmなので徒歩でも不可能な距離ではないが、港の目前にある「おろろんレンタル」に行くと、気さくなおばちゃんが対応してくれたので、電動アシスト自転車を2台借りる。新型2000円、ママチャリ1600円。坂道もドンドン登れて快適だった。
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暫く走り民家が無くなると、道路一杯にウミネコの親子が占拠していた、ヒナの死骸もあり少々驚く。よく見ると道路脇の海岸線一杯にウミネコが子育て中だ。海鳥がいるとは聞いていたが、想像を超える量にドキドキが止まらない。海岸はフンで真っ白く異次元である。
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道路には死骸も多く、鳥が突いて食している。赤岩展望台からは美しい海と岩の上にいるケイマフリが見られた。
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遠くに利尻富士が雲を纏っている。暫く美しい景色に見惚れるが風が強く退散。
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更に登り千鳥ケ浦園地から海鳥観察舎から眺める。
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断崖絶壁は海鳥たちのタワマンだ。観音崎展望台からも断崖と鳥たちの生活が眺められる。ここからは下り坂で、人間の生活圏に一気に入り「海の宇宙館」に立ち寄ると、寺沢さんがいた。https://terra-images.jp/profile/
以前、福岡天神のギャラリートークショー開催時にお会いして、会社を退職したら私も天売島に行きます、と話して別れて以来の再会でした。会えないと思っていたので手ぶらで来てしまい恐縮。8月開催のS社銀座ギャラリーの案内を、海鳥のガイドをしながらされていた。レンタサイクルは2時間までの基本料金なので、30分延長して13時返却、往路α7M4+200600のレンズをつけたおじさん(原付レンタル)と、島巡りが同スケジュールとなり、港で少し話す、千葉から年中1ヵ月程度の車中泊の旅(病院通いが必要な為)をしていて、先週まで礼文島で1週間、星の撮影で車中泊をしていたそうだ。キャノンからαに変えた事や、たまに奥さんは2泊3日程度で現地やって来て、温泉で同泊、自宅に帰っていく事など話した。今日は友人と合流してゲストトハウスに泊まるのだそうだ。我が家はテント泊なので日帰りだと話して、寺沢さんの「海の宇宙館」を紹介して別れるも、フェリー到着時に再会、ご挨拶して再度別れた。15:50発のフェリーまで港を散策するがなにもない。17:40羽幌に戻り、スーパーでお弁当、総菜を買ってテントに戻る。野生に荒らされていなくて一安心。「とままえ温泉ふわっと」で入浴を済ませて日没と共に眠る。

走行距離:17.3km
宿泊先:とままえ夕陽ヶ丘オートキャンプ場(4泊目)

【旅】2023夏の旅 --その3-- [【旅】2023年]

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 2023年夏の北海道に到着した。昨夜は車内ではなく部屋飲みで安心して酔う。5時半起床、函館の朝は曇り空であるが少し明るい。今日から2023年夏の北海道の旅が始まる。五稜郭に近い宿所だったので、8時まで散策し「らんまん」を視聴してから、宿を出る。今日からはキャンプを中心に北海道の夏を楽しむ為、とりあえずホームセンターに向かいイワタニのコンロとフライパンを購入し燃料を満タンにして、R227で日本海側に向かう。

2023年6月14日(水)
 函館の空は青空が広がり始めるが、山中は雲の中である。中山峠を越え厚沢部町(あっさぶちょう)に入ると、メークイン発祥の地だと看板があり、道の駅に寄ってみるがこの季節にジャガイモは無かった。ソフトクリームで昼食、海岸線に出てR229を北上、乙部町に入ると、水平な地層の「館の岬」で国道は通行止めとなっていた。
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山中を大きく迂回して、2km程度北のR229に再び出る。「元和台 海浜公園」で海岸を眺めると、下には海のプールが整備されていた、どのくらいの期間プールなのか?不思議であるが、岸壁を登る通路は避難路として整備されたモノだろう、夏草が生い茂る。
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しばらく奇岩の目立つ海岸線、日本海は波もなく海岸に建つ家々の生活が優雅に思える。R229は海岸線を離れ、再び海岸線に出ると、今日の目的地「せたな町」に到着した。
大きな風力発電の施設が目立つので、数が強いエリアなのだろうと思うが、今日は風もなく気持ちの良い天候だ。昨日、予約の電話をしたが、予約は不要ですと断られ、16時までにお越しくださいとのこと、15時に到着すると、キャンプ場は大勢で草刈り真っ只中、私の為に刈ってくれたの?と思える広いエリアには、私以外テント泊は居なかった。
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我が家2回目の建設に一人で手こずる中、草刈のおじいが興味深く、話しかけて来る。ここは風が強いのですか?と聞くと今日は珍しくおとなしいとの回答だった、遠くからご苦労さん、と労いの言葉を頂き、ありがたい。1時間程度で完成し、夕刻より素晴らしい景色の中で、貸切りキャンプ場を満喫、Beer、日本酒、Wineを頂きご機嫌で夕景を眺める。こんな理想的な場面は絵本の世界である。しかしまだ奥歯は痛む。よってやわらかいスパ、玉子焼き、カップ麺で夕食とした、日没と共に眠る。
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走行距離:172.4km
宿泊先:せたな青少年旅行村キャンプ場

2023年6月15日(木)
 夜間より風が強くなり、テントがバサバサと音を立てている。今日は移動することは無いので、のんびりと一人キャンプを楽しむが、10m/s程度の北風は収まる様子はない。昨日は反対側からそよそよと吹いていたので、そのつもりで建設した我が家は、入り口側からの東風にさらされる。
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気温15℃、最高気温21℃らしく気持ちの良い天気ではあるが、見晴らしの良いサイトは仕方ない。テントアウターが乾く頃には青空も徐々に広がり、太陽光パネルも元気に発電。鳥の声と風の音しかない贅沢な広い空間は、管理されたキャンプ場ならではのものだろう、山中の無料キャンプ場に宿泊する勇気はない。熊に襲われ話題のニュースになるだけだろう、札幌市西区と小樽市にはクマ出没注意報が出ている。昼前に外出、奇岩の続く海岸線をパトロール、三本杉という岩にはウミネコが子育て中で賑やかだ。
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漁港の向こうには奥尻島が薄っすらと望める。
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「せたな公営温泉浴場やすらぎ館」@410で入浴、近くには「荻野ぎん(のちに吟子)さん」という女性の像があり、1851年埼玉県生まれ日本初の女性開業医さんだと紹介されていた。自身の病気療養時の差恥屈辱感から始まり、35歳で医術開業試験に合格、この地で開業し風俗改善に努めた方だそうである。明治期のこの地は、どう見ても漁業以外の暮らしは想像が出来ないが、男尊女卑の社会しかなかっただろう。セイコマートで買い物を済ませて、テントサイトでランチ、昼寝をしていたら夕刻になった。今日も美しい夕景を眺めて1日が終わる。
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走行距離:18.5km
宿泊先:せたな青少年旅行村キャンプ場

2023年6月16日(金)
 朝から東風が収まらないが、天気予報では10時から風向が西風に変わるらしい。テント撤収はこの風の変わるタイミングを逃したくないので、アウターの乾きと芝生面の乾き具合を見ながら、徐々に撤収を始める。この地では、年間平均風速7.9m/sの東風と西風が吹くらしい、北と南風は殆んど吹かないと風力発電所の案内板に記してあった。知れば生活レベルも向上し、知恵も使うものだ。思った通り無風状態の中で10時半撤収完了。おかげで久しぶりに汗が流れた。R229を海岸線沿いに北上、日本海追分ソーランラインと名前が付いている道路は、岩とトンネルと海の景色が続く。「道の駅よってけ!島牧」という単純な名前なのか?意味があるのか?不明であるが立ち寄る。平目フライカレーでランチを済ませ、近隣の情報を探し宮内温泉@500で入浴、鉄サビ色の浴槽には誰も居ない貸切状態。露天風呂にも入るが、クマでも出そうな感じの山が迫り、早々に退散。ぬるめの浴槽でのんびりした。帰りに声をかけるが誰も居ない...のどかな温泉旅館だった。弁慶岬灯台からR229は一旦南下する。
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 寿都町の「道の駅みなとま~れ寿都」は鰊の漁獲で沸いた港町だった。最盛期には鰊が海岸に押し寄せて、白子で真っ白な海に棒を立てても倒れない状態だったらしい。湾をUの字に曲がりR229で岩内町に到着した。ニセコアンヌプリの日本海側に当たる地域なので、冬は雪が多いのだろう、山には残雪も見える。これ以上進むと積丹半島の漁村エリアなので、今夜は「道の駅いわない」で滞在する事とした。夕刻まで町内を散策し17時開店を待って「さくら亭」という居酒屋に行く。満席で1つだけカウンター席が空いているというが、まだ誰も居ない。刺し盛がお勧めだというので注文したが、ハマチ、タイの入荷が遅れて、サーモン、つぶ貝、エビだけ食し、店を出るまでには魚屋さんから届かなかった。よって刺し盛の代金は半額にして頂いた。大きめの切身だったので、私にとっては都合がよかった...
玉子焼きを注文するが、北海道では、現在たまご6個で360円するが、いつも品切れで買えない。なので作れないと断られた。店を出る頃には仕事帰りの花金グループがドンドン集まって来た。この店にはアクリル板の仕切りと、ビニールの仕切りが厳重に設置され少し違和感を感じたが、概ね北海道ではまだ撤収はしていないようである。まだ明るいが寝床を準備して、19時半に寝る。

走行距離:123.5km
宿泊先:道の駅 いわない

2023年6月17日(土)
 4時には日が昇り起床、今日は良い天気だと思いながら積丹半島に向かうが、徐々に海は白波が立ち、風が強くなる。積丹ブルーを見るどころではなく、車外へ出たくない状況である。神威岬の入口は朝8時開門の為ゲートが閉められていたので、島武意海岸 展望台に行く、少し眺めて退散。しかもまだ朝6時過ぎなので、余市の町中を観光する事にして、半島は通過した。セイコマートで、朝食と休憩で1時間半を車内で過ごし、道の駅スペース・アップルよいちには9時過ぎに到着した。観光バスも数台泊まり、今から観光が始まりそうな感じである。道の駅には観光情報は無く、ニッカウヰスキー 余市蒸溜所の前を通過し、JR余市駅まで散歩をすると、観光センターがあり市内の情報も多数あった。残念であるが、ニッカウヰスキー 余市蒸溜所は、完全予約制となっており、予約の無い人は塀の外。
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観光センター2Fには、余市出身の多数のスキージャンプ選手の功績が展示してあった。
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町内にジャンプ台があると表示してあったので、行って見ると高校の裏山がジャンプ台だった、子供の頃から身近な競技なのだろう。
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余市水産博物館、旧下ヨイチ運上家、旧ヨイチ福原漁場、フゴッペ洞窟の共通入場券を購入したので回って見る。明治以前から昭和初期まで、鰊の浜上げから処理まで、大勢の人力で行っていた事を紹介してあった。昭和8年からは極端に鰊の漁獲量が減り終焉している。「最後の群来(くき)」は昭和29年3月28日の夜から29日朝に突然あったそうである、沖合より海の色が白くなりながら、浜に押し寄せたそうだ。それ以降は現在までに見られることは無い。鰊がいなくなった理由は、人の乱獲なのか気候変動なのか?定かではない様であるが、ある日突然に、今までの常識外の事態が発生する事は常に覚悟するべきなのだろう。運上家の船主の部屋で、マネキン親父が粋な表情で酒を飲む姿がリアルで興味深い。
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最後に、フゴッペ洞窟に行って見た。1世紀頃に書かれた壁画が、ガラス越しに見学できる施設である。人物や動物の様なものが描かれているそうであるが、私には違って見えた。子供の頃に見た、ウルトラセブンに登場する怪獣のシルエットそのものだ。
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2000年ほど前、この地にいた人が、驚く様な体験をした事を、どうしても知らせたくてここに記したものだろう。恐らく地球外生命体が地上に降り、人類と交流しながら文明を加速した事柄を記したものだろう。近くにはストーンサークルの様なものが丘の上にある。
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そう納得して道の駅に戻り、「たけや」というお食事処で、平目フライ定食を頂き、明るいうちから眠る。

走行距離:142.6km
宿泊先:道の駅スペース・アップルよいち 

2023年6月18日(日)
 4時半に目覚めると、朝日が眩しい。車外には雪の様にふわふわと綿毛が舞っていた。
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幻想的な光景に見惚れるが、ドアを開ける度に車の中まで入って来る厄介者である。昨年の札幌市で経験したポプラの種子だ。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-02
快晴の空なので、積丹半島に50km引き返す。5時半には島武意海岸(しまむいかいがん)に到着、灯台まで歩くとオオカミがいた。
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近寄ると目が光り様々な声を発して、時々日本語も交じる。知らないで行くと少々驚くこのオオカミは、熊除けに開発された装置だそうである。ここの名物になる日も近い。遠くに小樽行きの日本海フェリーが見えた。
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神威岬に行くと7時なのにゲートが開いていた。女人禁制の神威岬、今では歩道も出来て、崖から転落することはない。美しい積丹ブルーを一人堪能。
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それでもまだ8時半、北海道の朝は長く気持ちよい。余市まで引き返し、札幌市琴似駅近くの「札幌らっきょ」でスープカレーを昼食に頂く、ストア札幌に立ち寄る、大通りの週末は様々なイベントで賑わっていた。小雨も降り出し今日の宿営地に向かう。ここは温泉施設の庭の様な場所で、風呂は入り放題、レストランもあり快適だ。

走行距離:198.6km
宿泊先:えにわ温泉ほのか ほのキャンプ場 

【旅】2023夏の旅 --その2-- [【旅】2023年]

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 時間を戻る事はできないが、40年前の青春期を共に過ごし、体力任せで何でもできる自信があった頃、ただそれだけで無謀な旅をした事を思い出す。
 1985年、もっと無謀な旅を続けたいと思いながらも時間切れとなり、お互い社会人へ、そして還暦となる。青森まで押し掛けてしまったが楽しいひとときを過ごした。歌われている歌詞と意味は違うが「あなかが わたしの 青春そのもの」その通りなのだ。
感謝。


2023年6月11日(日)
 4時起床し、5時から入浴、6時に朝食、8時から「らんまん」とホテル泊を堪能し、洗濯物も全部乾ききった。とりあえず、教えてもらった近くの青森県立三沢航空科学館に行って見る。
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この地から飛び立ち、太平洋無着陸横断を成功したミス・ビードル号が紹介されている。
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ドラム缶18本分の燃料を積んで飛び立ち。離陸後には、空気抵抗を減らす為、車輪も放棄して、最終は胴体着陸で成し遂げたらしい。成功したから現在も美しい物語として成立している。着陸失敗で大炎上でもしていたら、既に誰も知らない話かもしれない。YS-11やホンダジェットの展示も見学、外を見ると岡山の京山に放置されている戦闘機と同じものが見えた。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-01-07
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ミス・ビードル号が飛び立った砂浜に行って見た、この季節は「やませ」という湿った冷たい東風が吹き、霧のような雲が低空で沸き立つ、なので景色は望めず。
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ウミネコのフンが頭上から落ちてくるという「蕪島」にも行く。蕪島神社の登り階段の下には、傘が準備され、フン対策をしながら登っていた。
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ここで繁殖している様相は、島根県の日御碕にある経島(ふみしま)と同じだ。暫く眺めて神社には登らず退散した。
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八戸市は漁港だと想像していたが、工業地帯だった。人口21万人あり少々興味が湧き、市街地を走ってみる。江戸から明治期には鮫浦港と呼ばれ、漁港だったようであるが、昭和の時代に工業港に変わり、町が発展したそうだ。八戸駅は新幹線駅として新しく、田園地帯が一気に住宅地へと変わりかけている。繁華街は本八戸駅方面にあると紹介されていたので、行って見るが寂れた駅前だった。夕刻になり八戸駅前駐車場に戻り、滞在する事にした。

走行距離:90.3km
宿泊先:八戸駅前駐車場@500

2023年6月12日(月)
 やませの影響か?霧に包まれた朝だ。4時半起床するが、駅のトイレが施錠され5:10からでなければ開かないので、駅ナカでしばらく我慢の時間を耐える。100円程度の有料化でもよいので24時間対応を望みます、がしかし我が身分としては高望みだ。JR様お世話になります、ありがとうございます。
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今日は下北半島を北上する、このエリアの風景は北海道の景色と似ている。
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小川原湖を眺めながら「らんまん」を視聴して、暫く進むと「八甲ラヂウム温泉」を発見し立ち寄る。朝6時から営業、@200円を料金箱に入れて、気持ちの良い茶褐色の朝風呂を楽しんだ。隣の同経営ドライブインを覗くと営業しており、400円の中華そばを食した。少し奥歯が痛む... 1泊2食付き4500円で旅館業もやっていた。
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このエリアは温泉も多く、小川原湖キャンプ場も広く、次回はしばらく滞在利用したいところである。
七戸駅に行って見ると新幹線駅があった...ここではなく廃線となった「しちのへ」を探して行って見た。ディーゼルカーは週末だけの見学なので、駅舎を見学した。
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尻屋埼灯台周辺は寒立馬(かんだちめ)という馬の放牧地だった、胴長短足という共感できるスタイルで、冬の寒さに耐えられる馬だそうである。ゲートを通過するが、都井岬のような状況ではない。
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津軽海峡側は海と空が層を成している、東風が陸地を越え、発生した雲が海上で層になっている様に見える。
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むつ市に向かい、海上自衛隊 大湊地方警務隊本部を眺めて、コンビニで暫く休憩すると夕刻になった。下北駅の駐車場に移動し、駅前食堂で夕食、奥歯が痛む... そのまま滞在し宿泊。

走行距離:216.9km
宿泊先:下北駅前駐車場

2023年6月13日(火)
 今日も霧と曇り空だ。晴れの国に生活している者としては、5日連続で雨天、曇天が続くと気分が下がる。しかし寒いくらい涼しいので快適な車内生活である。4時半起床、駅のトイレは24H開放されており、人感センサー照明で虫の寄り付きもなく美しい。ありがたく利用させて頂き、コンビニPで休息後、恐山に上がる。怖そうな名前なので昨日の夕方には行く気になれず、今朝になって行く気になる。
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少し山を上がると雲の中に入り更に気温が下がる(14℃)暫く走って前が広がると三途の川が登場、勢いそのまま車で超える。死んだのか?確認の為、下車して撮影。恐山に行くと入場料500円を取られて、観光地であることを再認識、境内には温泉小屋が営業していた。
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硫黄の匂いと、たまにガスの匂いがあり咳き込む。この風景は地獄なのか?極楽なのか?それとも入口なのか?小規模な噴火口の集まりだ。1円玉や5円玉が溶解している。
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r4で山中を走り、R279の海岸線の出る。バイパスの整備が進み10時前には大間埼に到着した。
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おおま温泉で入浴を済ませて、スーパーのこんにゃくゼリーでランチ、これなら歯に負担が無い。13:40発の津軽海峡フェリーの乗船、1時間もしないうちに函館山が見えて来た。
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ここからなら北海道はとても近い。船内の航路説明ボードには、昭和4年に定期航路就航になっており、観光の為だけではなく、下北半島の方々が買い物や通院に利用されていると紹介してあった。利用客は少なく見えるが車両甲板は満車状態。到着後、キャンプ場よりも安いお宿に直行、セイコマートで「ペコマカード」を作り会員登録を済ませた。まだ少し奥歯が痛むので、焼うどんと玉子焼きを食して寝る。
走行距離:89.6km
宿泊先:フェローハウス