SSブログ
【旅】2023年 ブログトップ
前の10件 | -

【旅】高野山への旅 [【旅】2023年]

2023年12月13日(水)
 今年の春(3/5~18)、「四国八十八ヶ所巡礼くるま旅」をした。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-03-05
その後、高野山の弘法大師に会いに行く予定でいたが、還暦記念旅行、芋苗の植付を終えるとすぐに、北海道の旅に向かう事となった。その途中(紋別市)で坐骨神経痛を発症し、帰宅後の8月からは通院生活を続けていた。歩けるようになったら高野山に行くことは決めていたが、尻と腰の痛みを抱え、妻にも迷惑をかけながら9~11月に芋掘りを終え、おかげさまで通院生活を終える事が出来た、なのでさっそく高野山に向けて9時出発する。岡山市内の混雑を通過しR2を東進、ブルーハイウェイ経由で日生の寒河から赤穂ICへ、竜野西ICまで高速道路を利用してから、姫路バイパス、加古川バイパスと走る。明石市大久保駅前の「明石焼き お好み焼き一休」でランチを済ませ、更にR2で神戸市内へ。阪神高速湾岸道に向かうハーバーハイウェイに乗る手前で、ナビの「Panasonic ゴリラ」が暴走をはじめ、肝心なところで役立たず。あほPanaナビはそろそろ限界なのか?仕方なく純正のナビを使用しながら、快晴の大阪の街を遠景で眺め、気持ち良いドライブ。万博会場建設現場は、クレーンアームだけが立ち並ぶ平地だ、出島ICから一般道路へ。混雑する堺市、河内長野市を過ぎ、紀見トンネルで和歌山県に入った。15時ホテルチェックイン、少し早いが、こんな時間から大浴場に浸かり満足。
_DSC0986 (1).JPG
 寝るには早いので近くの「JA紀北かわかみ やっちょん広場」まで散歩をする。紀ノ川沿いの風景は、対岸の徳島の吉野川と似ていて、中央構造線沿いであることを実感する。
_DSC0988 (1).JPG
_DSC1000 (1).JPG
 昨年10/18に愛媛県で中央構造線の露出部分を見たが、何だか理解できなかった。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-10-12
地図を見ると、紀の川の上流部、奈良県域では「吉野川」と表記されている。よって紀の川は、海を越えて吉野川に挟まれている?紀伊半島側から川を見ると「吉野川→紀の川→海→吉野川」となるのだ。四国から見ると、UFOラインにあった吉野川源流から早明浦ダム、大歩危小歩危を流れ、徳島から海へ出て、紀の川から吉野川に登り、三重県の大台ヶ原が紀の川源流となる。海から川を上ったり下ったり壮大な冒険旅行を楽しむ、魚の気持ちも少しわかるような気がする。そんな事を思いながら夕景の紀ノ川の土手を歩いたあと、スシローで夕食後、大浴場を楽しんで眠る。
_DSC0997.JPG
走行距離:234.5km
宿泊先:ルートインホテル橋本

2023年12月14日(木)
 5時入浴、明るくなる空を眺めて7時過ぎに朝食を済ませ、普段の朝の生活リズム通り9時出発した。ビジネスホテルらしく満車だった駐車場にはタクシーとスタッフの車のみ。
_DSC1005 (1).JPG
 九度山からR370で高野山に向かう、途中の道路は崩落し、特に歩道は通行不可能な部分が多かった。近年の災害は記憶に少なく、なんでこんなに酷いのか?理解できずに片側交互通行の国道を登る。検索すると2011年の台風12号による被害が出て来た、2011は東日本大震災の記憶しか無いが、日本列島は毎年どこかで災害が発生している事を再認識させられる、ここで生活する人々からは叱られるが、12年経ってもこの状況では、大金を叩いて、ここにアスファルトの道がいるのか?という疑問だった。空路利用整備が急がれる。
_DSC1037 (1).JPG
 高野山では奥の院にまっしぐら、中の橋駐車場は路面が凍っていた。吐く息も白く、山深さを感じる。杉の大木で覆われた墓地には、歴史上の人物や企業の名が刻まれている、弘法大師を見ることは無かったが「満願」となった。
_DSC1017 (1).JPG
 金剛峯寺まで散策し「万丸」という定食屋で昼食、腰痛の不安もあり駐車場までの復路はバス@270を利用。お助け地蔵尊に立ち寄り、復路は道路環境の良さそうなR480で「かつらぎ」へ、ブレーキペダルを踏みながら降りた。e-power回生ブレーキの改良(放電方法)を望む。「道の駅くどやま」で柿を買い、思ったよりも遠い今夜の宿に向けて走る。ナビの誘導に任せて、橋本ICから京名和自動車道で橿原市、桜井市、宇陀市へ

走行距離:124.4km
宿泊先:美榛苑(みはるえん)

2023年12月15日(金)
 美肌の湯と表現されている温泉水は、肌にヌルっと感がありとても気持ちのよい温泉だったが、残念な事に消毒臭が強かった。しかしながら15時~翌朝9時まで入浴可能で、合計6回の入浴を楽しむ。ウエルカムドリンクからカップラーメン、まんじゅう等の無料提供、子供向け施設もあり、同輩の利用だけでなく若いファミリー利用も見られた。少々のんびりして10時前に出発、地図を見ると三重県境も近く、少しだけ越境して名張市郷土資料館に立ち寄る。縄文、弥生時代から人々の暮らしがあり、九州北部から伝わった稲作が、この地でも暮らしを豊かにしたそうである。
_DSC1040 (1).JPG
 山間部から名阪国道に出ると降雨となり、嫌な予感通り、事故渋滞が発生していた。福住ICからr186→r80で奈良市へ降りて、そのまま今夜の宿「猿沢池」付近の駐車場に到着、奈良盆地は晴れていた。この場所は小学校の修学旅行で訪れ、当時は欲しいものだらけのお土産屋さんが立ち並ぶ、憧れの地だった事を覚えている。今もある「猿沢商店街」を覗いて見るが、心躍る品物はもう無い。
_DSC1081 (1).JPG
 しかしながらこの池には奈良らしさを感じられ自己満足。商店街で昼食を済ませて、奈良公園を散策、春日大社まで往復し、鹿と観光客の戯れを眺めていると、なぜ鹿せんべいを売る人には、鹿はせんべいをねだることは無く、買った人にはお辞儀してせんべいをねだるのか?不思議に思う。たぶん売る人は、毎日鹿に厳しく説教をしているのだろう。歩き疲れて15時に宿に行くが、チェックインは16時からだったので、若草山に車で登る。水蒸気に白く霞む盆地を眺め、ここでも鹿せんべいで鹿と戯れる観光客を遠目で楽しんだ。
_DSC1077 (1).JPG
_DSC1079 (1).JPGチェックインを済ませて、うどん屋で夕食。夜の猿沢池を散策し眠る。

走行距離:71.2km
宿泊先:ホテル 古っ都ん100%

2023年12月16日(土)
 今日は、夕刻までに自宅に帰る日になった。
_DSC1084 (1).JPG
夜間に降った雨も上がり、近隣のカフェで7時からモーニングを食し、興福寺を散策していると無銭飲食の鹿を見つけた。8時から鹿せんべい売り場を設置し、近辺を掃除しているおばちゃんの店だった様で、束のままのせんべいを、バリバリと食べている証拠写真を撮影しながら追い払ったが、私に対する鹿の態度が不満そうだった。
_DSC1094 (1).JPG
_DSC1095 (1).JPG
「おばんさん食っとったぞ、無銭飲食じゃ」と言ったが慌てる様子もなく、定位置の椅子に戻ると、鹿はおとなしくその場に立ち尽くしていた。おばちゃんから厳しく説教を受けているのだろう。
_DSC1097 (1).JPG
 9時過ぎにチェックアウトを済ませて、近鉄奈良駅から大和西大寺に電車で移動、2022年7月8日https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-09
 安倍さんが銃撃された北口を通過して「平城宮跡資料館」を見学する。弘法大師がまだ幼少期の784年に平城京から長岡京に遷都し、835年御入定29年後の、864年には平城京は田畑になっていたそうである、江戸末期1852年に、北浦さんが「平城宮大内裏跡坪割之図」を完成するまで、忘れられた古都は土中に眠り、1959年から発掘調査が開始され現在に至る。未だに未開の地は多く、もし国宝級の発見があれば、大和西大寺から奈良駅までの近鉄奈良線は撤去されるだろう。そんな感じで地図と地形を眺めた。しかし奈良時代はなんと広大なエリアで、肉眼で判別できないほど離れて天皇に接見し、儀式を執り行っていた事か...それとも奈良時代の人の視力は5.0程度あったのだろうか?
_DSC1101 (1).JPG
_DSC1105 (1).JPG
 第2阪奈道路で生駒山を抜け、大阪城を右手に見ながら天保山まで出て、住吉浜から一般道路で神戸、明石を通過、西明石からR250で姫路へR2で自宅18:45到着。
これにて2023年の旅は終わった。
走行距離:218.1km

総走行距離:648.2km
燃費:19.5km/L
走行時間:18:51
平均速度:34km/h

広島の旅 [【旅】2023年]

2023年11月28日(火)
 AM9:00青空の自宅を出発してR2を西に向かう。倉敷までは交通量も多く信号による停滞気味な流れである。玉島笠岡道路の終点から先は里庄、笠岡、福山と半世紀前から変わらないR2の景色が眺められる。福山市内で11:00となり蕎麦でランチを済ませてから、曇天の広島県を西へ、「道の駅 みはら明神の里」で休憩。
_DSC0927 (1).JPG
 尾道、三原バイパスが繋がり快適に本郷町まで抜ける。東広島市の上三永まで登るR2からの棚田農村風景は少しづつ荒廃が進んでいる様に見えた。「道の駅 西条のん太の酒蔵」という新しい施設で休憩し、広島市内まで繋がったパイパスを利用して中区中島町まで40分で到着した。持参した焼き芋を販売し620円の売上を頂き、本日の宿に15時チェックイン。本通り商店街、ひろしまゲートパークを散策しているとYAZAWAのトラックがグリーンアリーナにあり、明日のコンサート準備が進んでいた。
_DSC0936 (1).JPG
 城南通りの北側には大きなサッカースタジアムの建設が進む。夕食は、今回の目的である「お好み焼き」を食し満足。
_DSC0934 (1).JPG
走行距離:171.1km
宿泊先:ひろしま国際ホテル

2023年11月29日(水)
 久しぶりに広島の空気の中で目覚め、午前中は郊外のショッピングセンターを散策し過ごした。ランチは吉島の「鳳琳」の麻婆丼と決めていたので、早めにお店に到着するも定休日だった。仕方なくタカノバシ商店街に行って見る。商店は減り、飲食店舗は殆んど無くなっていた。四川麻婆専家・辣辣にはサラリーマンの列が出来ていたが、口がしびれるので止める。昭和な喫茶でランチを済ませて、懐かしい1万トンバースに立ち寄ると「海王丸」がいた。
_DSC0937 (1).JPG
 広島に来ると何故かここに足が向く、40年前の様に誰でも自由に出入りできない状態になっているが、楽しかった青春時代がここにあったのだろうと思う。2007年にそんな思い出をこのブログに記している。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2007-06-07
波止場公園には国際クルーズターミナルが建設中だった。ここに再び、隣国からの大団体が客船でやって来る様になるのだろう。コロナ前の博多の様な状態は見たくない光景であるが... 外貨を稼ぐ為には、やかましい観光客にも頭を下げて焼き芋でも売ろう。ファンイングゥァンリンだ。しばらく市内を周遊し、変わりゆく街の光景と変わらない山並みを眺め不動院に立ち寄る。牛田新町に4カ月ほど住んでいたにも拘らず、来たことが無かった。爆心地から比較的に近いエリアであるが、地理的な要因により被害は免れ、昭和33年に金堂が国宝に指定されている。
_DSC0942 (1).JPG
 少し早いが15時に今夜の宿にチェックイン。部屋の窓からは平和公園を見下ろす眺望、修学旅行を含めて観光バスが駐車場を埋め尽くしいている。広島に住むと平和公園内は散歩か、通過する事はあるが、各施設を見学する事はない。今日は観光客になって、久しぶりに平和記念資料館を見学してみる。
_DSC0951.JPG
 一人50円だった入館料は200円となっていた、展示資料は長くは見ていられないので人込みを避ける様にスイスイと進み、30分程度で順路を巡った。想像以上に外国人観光客がいて、静かに資料を見、読み、端末の案内をヘッドホンで聞いている。体験した事のない原子爆弾の熱量を肌で感じているのか?この先の人類の破滅を思うのか?愚かさを思うのか?それでも戦い続けるのか?様々な感情を得、そしてこれが広島観光だとすると、ここを出てから夕食の時間はどんな気持ちで、どんな味のモノを食べるのか?想像をしてみるが、動物として食べて、今を生きている事への思いはどこの人も同じだろう。広島でお好み焼きを食べると、資料館で得た感情を思い出すような事態になっているのかな? 個人的には平和記念資料館の見学は、午前中の方がよろしいかと思います。そして午後から厳島神社へ参りましょう。日没と共に鉄板焼きを食し早めに眠った。
走行距離:48.0km
宿泊先:ホテルマイステイズ広島 平和公園前

2023年11月30日(木)
 ホテルの窓を開けたまま眠っていたが、室内は快適な空間だった。コンビニ朝食を済ませて9時半出発、呉を目指す。
_DSC0957 (1).JPG
_DSC0962 (1).JPG
 自動車専用道路を利用すると40分で呉駅前に到着、時間により変わる中央線のR31を南下していた頃の半分以下で到着する。矢野で渋滞して坂町を過ぎ、小屋浦、天応、かるが浜と海岸線をのんびり移動していた頃からすると、超便利を享受する自動車移動の現在である。これが本当に求めていたモノなのかどうかはわからないが、使えるうちに使っておく方が良いのかも知れない。そう思って日本全国の車旅をもう少し続けようと思っている。みかんの季節なので倉橋島の桂浜に行って見る、海岸から瀬戸の浮島が望めた。
_DSC0967 (1).JPG
 石地ブランドミカンは無かったが、早生ミカンを道端で購入し引き返す。阿賀ICから上三永ICまで自動車専用道路を走りR2を東進。福山西IC~玉島ICまで高速道路を利用して17時に自宅到着。気が付くと音戸からノンストップドライブだった。
走行距離:256.0km

湯治の旅<関金温泉> [【旅】2023年]

2023年10月10日(火)
 9月末の温泉治療は効果があり、その後も自宅風呂治療(湯船に浸かる)を続けていたが、温泉水程の効果は無く、ポカポカ感も継続しないので、やっぱり本物の温泉で湯治をすることにして、とりあえず2泊の宿を予約、関金温泉に向かった。道中、以前より気になっていた「旭川ダム」に立ち寄る。ここは1954年(昭和29年)に完成して既に69年を経過している。コンクリートダムの寿命は100年と言われているが、昭和前期の技術で造られた、老朽化施設には違いない。もしこのダムが決壊したら岡山市内は全域水没し、我が家周辺も2m以上の水没が想定される。ここが決壊するリスクはあるのか?自身の目で確認する事が必要であると思っていたので、この機会に立ち寄る事にした。
_DSC0614 (1).JPG
 ダム堤防にある事務所には想定以上のスタッフが勤務しており、PCに向かい静かに作業をしている姿が確認できた。ダム周辺は清掃メンバーも作業をされていた。ダム直下にある発電所への取水口の清掃機器も稼働していて、ダム自身は古く見えるが、メンテナンスは出来ている。と自身の目で確認し安心した。ダム完成期には、観光を含めて相当な賑わいがあったのだろうと思われる建築物が、ダム湖周辺に点々と残る。今日見る限りでは、ダム堤防周辺の観光客は皆無、車道に車は通っていない。R429に出ると道路整備が進み、バイパス拡張工事も行われていた。
 今日のランチは蒜山高原でラム肉。と決めていたので落合、久世、勝山、湯原を経由して直行。12時半に到着すると、生ビール半額300円のPOPが目立ち、昼から飲みたい気持ちに駆られるがレジャーではなく、湯治に向かっている事を自覚し断念。食材、接客対応の良いウッドパオ https://woodpao-hiruzen.storeinfo.jp/でランチを済ませる。
_DSC0626.JPG
 山の天候らしく降雨、晴れ、曇りを繰り返しながら犬挟峠を越えると、日本海には太陽光が当たっているが車中激しい雨の中、15時過ぎに関金温泉に到着、4度の入浴を繰り返し熟睡する。
_DSC0634 (1).JPG

2023年10月11日(水)
 AM6時を待って入浴3回、自炊で朝食を済ませて9時半には宿から出掛けた。とりあえず近くの「旧国鉄倉吉線廃線跡 観光案内所」に行く、週末のみの営業で閉まっていたが駐車場は利用可能だったので、ここに車を停めて線路を歩く。
_DSC0683 (1).JPG
 泰久寺駅跡を過ぎると竹林に覆われた状態になり、観光ガイドに採用されている写真の光景が現れる。1組の同年齢夫妻以外は誰も居ない、山から野生動物が登場しそうな気配もあり退散。往復2kmを歩くが、幾度も座って休憩した。
_DSC0658.JPG
_DSC0675 (1).JPG
 大山池に行くが水は無く枯れ池状態、よって雲に覆われた大山も映り込む事は出来ない。水場もトイレもある無料の野営場もあるが誰も居ない。ランチは「うどんや わたしの道楽」という田んぼの中の住宅で頂いた。自然の中なので昆虫が多く、車の乗り降りだけでも多数の乗客昆虫に悩まされる。
_DSC0687 (1).JPG
 関金町安歩にある樹齢400年を超える「関金のシイ」を見学、バラバラと尖ったどんぐりや枯れた枝が落ちて来る、少々危険な大木だが、この地で色々な時代を経験し、生き延びて来た威厳を感じる枝ぶりだ。大木の傍では背の高いヒマワリが立ち続けていた。
_DSC0711 (1).JPG
_DSC0708.JPG
 清水の「命の泉」に立ち寄り、水を頂こうかと思ったが、この水は煮沸してから飲用するように、との注意書きがあり遠慮した。
_DSC0717 (1).JPG
そのまま鏡ヶ成まで山を登ると気温は13℃となり、Tシャツだけでは耐えられない。ススキの原っぱが揺れていた。この季節が温泉を楽しませてくれる...宿に戻って湯治だ。4度の入浴を済ませ自炊して熟睡する。
本日合計7度の入浴。
_DSC0727.JPG

2023年10月12日(木)
 今日はチェックアウトだ。湯治にしては短すぎるのでもう少し余裕を持っていたいのだが仕方ない。朝から2度の入浴を済ませて、9時半に宿を出発。倉吉の町に行って見る「倉吉線鉄道記念館」は開館しているが、室内は真っ暗、照明は自らON/OFFをして見学。室内には待望の国鉄南勝線着工!!という告知が貼られていた。
_DSC0731 (1).JPG
_DSC0733.JPG
 倉吉から勝山までの線路が建設を始めていたのだ。今になって思えば、無駄な線路を作らなくてよかったのだが、現在では自動車専用道路R313の延伸が続き、倉吉西ICから関金までは工事が進んでいる、その先は蒜山方面で高速道路に接続するのだろう。いったいこの道を誰が必要とするのか?小学校の統廃合が進み、スーパーも閉店するこの地に、20年後、人は住んでいるのか?雪搔き予算を増額するだけの無駄な建設ではないのか?無料道路の整備費用はどうするのか?いつまでも自動車社会が続くと思っているのか?全国の無駄な自動車専用道路の延伸は、国鉄時代の廃線が続く、線路の行く末と重なって見え、大変失礼ながら、個人的には疑問を感じる。
_DSC0749.JPG
 「打吹回廊」という観光施設は定休日だったが、3F展望台には上がる事が出来た。町が一望、遠くに大山も望めた。
_DSC0737 (1).JPG
 次の湯治の下見を兼ねて三朝温泉に行く、古風な湯治宿はWebに情報は無く現地で確認するしか本当はわからない。油屋という湯治旅館は、館内見学もさせて頂けた、昭和40年頃の風情そのままの部屋だが、温泉は地面から湧き出していた。常連客が長期間利用されているそうである。案内して頂いたおばあちゃんから帰り際に栗を頂く。雪景色の頃にでも滞在してみたい。
_DSC0752 (1).JPG
帰路は人形峠を越え奥津、津山経由で自宅へ16時着。湯治の効果は明日以降の楽しみに...

温泉治療・車中泊一人旅 [【旅】2023年]

 そろそろ芋掘りも急がねばならぬ状況下、医者に通い、投薬だけでは神経痛からの早期脱却は叶わず、このままでは医療の金蔓になりかねない。日々youtubeを参考にストレッチをしてみるが、痛み、歩行距離も改善の兆しはない。この罰はいつまで続くのか?昨日も芋掘りをするが、尻が痛くて、座って休む時間が50%程で、妻に負担を強いる。これでは本末転倒の芋作りである。
 そんな最中「温泉天国」実現を目指す町から便りが届いた、調べると神経痛に効果があるお湯の源泉地ばかりである。便りの返信を書きながら、そうだ温泉療法だ!と思いつく。湯治と言う程の時間は無いが、暫く温泉療法に頼ってみる事にして早速出発する。

2023年9月25日(月)
 9:30自宅出発。途中休憩を兼ねて、湯郷温泉の足湯に浸かり、ボーとした時間を過ごす練習をする。同年齢のボーとした親父2名が先客だった。スマホや本を持って浸かっている。どの位の時間ボーと湯に浸れるのか?今日からチャレンジが始まる。
_KM24082 (1).JPG
 黒尾峠を越え智頭ICから鳥取市内、R9を東進し兵庫県の居組まで高速道路の状態で到着する。以前なら智頭から浜坂までは2Hコースだが今は半分の時間で移動可能となっていた。14時半には「ユートピア浜坂」に着き温泉療養に挑む、入口看板には高齢者いきがい施設と名称があり、少しためらうが、見た目は立派な後期高齢者なので、自信を持って受付に行くと、看護師らしい制服の女性が数名いて又しても少し引く、「風呂入れるの?」と聞くと大丈夫だった。(町民300円、町外500円)2時間滞在して2度入浴。これ以上は入れない... 風呂上りはなんだか調子が良い、なので遊歩道を散策すると大勢のカニに歓迎された。
_KM24095 (1).JPG
_KM24112 (1).JPG
スーパーで弁当を買い、道の駅で夕食。夕暮れには浜坂の町に戻り、駐車場で20時就寝。
_KM24110.JPG

2023年9月26日(火)
 5時半、やっと空が明るくなり始める、秋分を過ぎると夜の長さを感じられる。幾度も目覚めるが寝たふりをしたまま朝を迎えた。療養の効果はまだ見られない。浜坂温泉は10時開館なので、9時から開いている七釜温泉ゆーらく館に向かう。本日は風呂(26)の日らしく100円引きのチケットを頂いた。濁りのあるかけ流しのお湯を一番乗りで楽しむが、30分もすれば療養忍耐の時間となる。ウォーキングでは前向きな思考が多いが、留まって耐える時間は何だか前向きな思考にならない、過去を振り返る思考がグルグル廻っているばかりである。1時間は耐え抜いたが、休憩室に出て新聞を眺めて休憩、テーブル上には「休憩前にロッカーのカギを返還せよ」とのPOPあり、もう1度入浴を予定していたがあきらめた。まだランチには早く、新しく開通している山陰近畿自動車道路を新温泉浜坂ICから東進、余部ICを出て、鉄橋直下にある「道の駅あまるべ」に立ち寄る。あの事故から37年なんだ、と思いながら見学した。
_KM24126.JPG
_KM24148 (1).JPG
海まで3mのところまで川魚が泳いでいる美しい川には、流木の端材が打ち寄せられていた。
_KM24167.JPG
_KM24171.JPG
昼食を済ませて浜坂に戻り、14時半からユートピア浜坂に入浴、16時半までに2度入浴。腹も減り、スーパーで巻きずしを購入し夕食とする。小雨も降りこの地らしい天候の中、道の駅で19時就寝、長い夜の始まりだ。

2023年9月27日(水)
 5時起床、今日の午前中の入浴先「七釜温泉ゆーらく館」に行くと、薄暗い中で掃除中のおじさんから「9時から開館します」とのアナウンスあり、ここで待つのは諦めて、TVの受信状態が良いエリアに移動し朝を迎えた。田園に朝日が眩しかったが、その後は曇天。
_KM24175 (1).JPG
 9~11時半まで入浴療養、カフェレストラン YELLでランチを済ませてから、浜坂県民サンビーチで暫く昼寝。目覚めると16時だったので「ユートピア浜坂」へ直行し18時まで入浴療養を済ませる。既に日暮れとなりスーパー駐車場で弁当で夕食を済ませ、高台に上がって20時就寝。

2023年9月28日(木)
 朝方は鹿の声が近く、野生に囲まれている感じがした。今日の午前中も「七釜温泉ゆーらく館」で入浴予定、9時開館までの時間調整に、但馬牧場公園に行くとイヌサフランが群生していた。眺めていると8時になり「らんまん」を視聴したくても電波なし、慌てながら下山すると集落の一部で電波が入り、田園を眺めながら残り2日間の放送を楽しむ。
_KM24186 (1).JPG
 9時から12時前まで七釜温泉でボーとした時間を過ごす。時折吹く風が涼しく、雲の合間からの日差しは暑く、燕が空高く飛んでいたり、ハエがアメンボの如く風呂を泳いでいたり、些細な事を発見しながら入浴を繰り返した。昼前から降雨、この地域らしい天候となり、雨、曇りを繰り返す。昼食は道の駅で「春来そば てっぺん」で済ませて休憩するが、雨天は変わらず、久しぶりに町に行きたくなり鳥取に出る。郊外型ショッピングセンターが数ヶ所にあり、このエリアの大部分の消費はここで済んでいるのだろう... 久しぶりにうどんを食し満足。千代水、湖山の郊外店を眺めてから、岩井温泉・ゆかむり温泉 共同浴場に行くが駐車場満車の為、あきらめて湯村温泉に向かい「薬師湯」@700で17~19時まで療養入浴。露天風呂は涼しくボーとした時間を過ごすと、降雨で真っ暗となり、温泉散策は諦めて浜坂に戻る。スーパー弁当で夕食を済ませて21時就寝。外気温は22℃程度で快適な季節だ。

2023年9月29日(金)
 3時半起床、TV受信状態の良好な高台に移動して、ラグビーW杯 vsサモア戦を観戦。日本の勝利と共に夜明けとなり、日本全国気持ちの良い朝を迎えただろう。朝日も登り今日は久々の好天の予測、昨日立ち寄った岩井温泉・ゆかむり温泉 共同浴場@380は朝6時から開館していたので、朝風呂温泉療養に向かう。6時半から8時まで入浴、ぬるゆとあつめの湯船があり、さらりとした気持ち良い湯だった。風呂上りには「らんまん最終回」を受付の姉さんと視聴した、「おまんだれじゃ」という美しい最終回に満足して2023年上期が終わった。
_KM24200 (1).JPG
もう暫く温泉療養を続けたいが、本日夕刻からはマンション理事会があり帰らねばならぬ... もう1度どこかの温泉で療養をしようと思いながら鳥取に移動し、車中で休憩するが、太陽光線は暑く、予想最高気温も30℃越えなので、日中に風呂には入る気になれず、そしてランチは「吾妻そば」と決めていたので11時開店に合わせて向かう、変わらないトロトロのそばが美味しい。
_KM24205 (1).JPG
DSC_0613.jpg
 食後、そば屋の写真を撮影していると、お隣のK商店さんの若々しい女性が、車を停めて待ってくれた。娘さんかな?とか勝手に想像しながら品の良い対応に感謝。店を出てからは、暑いなぁと思いながら自宅方面に向かう、車外は32℃表示となり、岡山市内では34℃になった、16時真夏の自宅到着、まだまだエアコンなしでは生きられない。

【旅】2023夏の旅 --おわり-- [【旅】2023年]

 今年は東北エリアのお祭りも見学して、8月10日頃に岡山に戻ろうと思っていたが、左足痛は続き、自由に歩けなく何も楽しめない。こんな経験はないので青森からは1泊2日で1489kmを走り自宅に戻る。こんな結末で6月4日から55泊56日、2023年夏の旅を終えた。写真を見返していると、7/9にテント被災、7/11以降は歩行が困難になり、映像とその時の左足痛が同調して、楽しみながらも痛みに耐えた日々を思い出すばかりである、健康が一番大切であると思い知らされ、7/31に外科受診、8/7にMRI診断を受ける事となり、現在自宅療養中。長く遊び過ぎてバチでもあたったのだろう、しばらく反省の日々。

55泊56日(テント:20泊 車中:21泊 ホテル:11泊 ロッジ:3泊)
全走行距離:9518km  消費燃料:487.1L 燃費:19.5km/L

【旅】2023夏の旅 --その10-- [【旅】2023年]

 今年も旅の終わりが近くなり、帰宅の決意をする。35℃を超える猛暑の本州を想像すると、夜間にどこで寝るか?思案所だ。 

2023年7月25日(火)
 ホテル9時半出発しようとすると降雨となる。最新テントの情報を得るためにサッポロファクトリーに行って見るが成果なし、R230で札幌市アイヌ文化交流センター(サッポロピリカコタン)に行くが休館日だった。定山渓ダムを眺めてから中山峠に向かい、霧中の道の駅 望羊中山で昼食、あげ芋を食べてから、留寿都村経由で豊浦町に出る。
_DSC0338 (1).JPG
R37を西に向かい礼文という看板が目に入り立ち寄る、岩の岬にはJR室蘭本線が走っている、崖崩れの続く岩肌は、片側交互の工事中が続いている様子だった。
_DSC0344 (1).JPG
穏やかな噴火湾を眺めてから長万部温泉で入浴を済ませて、今夜の滞在地を探すも、近くには道の駅などなくR5で黒松内町の道の駅に18時到着、今度はコンビニもスーパーもなく片道10kmの道程でコンビニ往復して18時半には道の駅でコンビニ飯を食した。20時から寝るが外気温26℃で、蒸し暑くて何度も車のエアコンを入れる、24時を過ぎる頃から25℃を下回り快眠。この先の車中泊が思いやられる...

走行距離:246.9km
宿泊先:道の駅くろまつない

2023年7月26日(水)
 5時には朝日に照らされて車内が暑くなる、気温は21℃なので気持ちの良い朝だが、真夏の太陽光線を感じる。道の駅の隣では、子供たちが集い夏休みのラジオ体操が始まった。綺麗な道の駅なので拝見したいが、9時までは待てないので出発。黒松内町は山中の田舎だと到着時には思ったが、町の中心部を見て見たくなり役場周辺に行く、ホームページに「北限のブナ林に囲まれた癒しの里」と表現されている通り、町の中央も緑に囲まれた小中学校、体育館、役場があり、近くにはキャンプ場の整備もされていた。人口2,500人の町にしては力強さを感じられる佇まいだった。R5に出て長万部に戻り、駅前の「かなや」駐車場で「らんまん」を視聴してからカニ飯弁当を購入。http://www.e-kanaya.com/kodawari.html
R5で八雲町へ向かう、北海道の首の様な渡島半島の両側に海のある町だ、なので函館から陸路で北海道を巡ると、必ず通過しなくてはならない町だ。八雲町郷土資料館では牧野富太郎さんと坂本直行さんの展示企画展が開催されていた。
_DSC0350 (1).JPG
木彫りの熊は昨年見学したので興味は薄い。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-06-30
山の上から八雲町を眺めて、カニ飯弁当で昼食。
_DSC0357 (1).JPG
_DSC0367 (1).JPG
さらに南下して森町の道の駅で休憩、気温30℃になり今夜の車中泊はやめる事にした。

走行距離:165.3km
宿泊先:湯の川温泉 ホテル雨宮館

2023年7月27日(木)
 禁煙ツインルームではあるが、タバコ臭のある部屋からは持ち物や体に匂いが移る。温泉は良かったが施設は我が年齢層と同等、昭和を感じるホテルだった。朝から青空が広がり、函館山に車で登る。水蒸気は多めであるが、美しい街並みが望めた。
_DSC0375 (1).JPG
今日の最高気温は30℃を超える予報である。立待岬から海を眺めてから「ラッキーピエロ」でカレーランチ、暫く世話になったセイコーマートのペコマ全額を使い切り、フェリー乗り場に向かう。
_DSC0395 (1).JPG
_DSC0405 (1).JPG
_DSC0416 (1).JPG
14:10発→青森17:50着、来夏も北海道に来たい、そんな思いを巡らしながら、左足痛の為、ほとんど寝て過ごす。青森駅前の居酒屋で夕食を済ませて早めに眠る。
_DSC0434 (1).JPG

走行距離:38.0km
宿泊先:東横イン青森駅前

2023年7月28日(金)
 今日も危険な暑さだとニュースで流れている。こんな日に平野部で車中泊などできないので、山に登るか?エアコンのあるホテルか?朝から考えながら、高速道路料金を最小限にし、距離を稼ぐ方法を選択。岩手県の沿岸部を南下、福島県の磐梯山の山中の宿を予約して青森を出発した。みちのく有料道路は現金支払いのみ、何度か小銭を支払いながら八戸市内をR45で通過、その先から無料の自動車専用道路を仙台に向かう、ナビの目的地到着時刻は21時前、途中のICには道の駅が整備されていて、立ち寄りたいが先を急ぐ。道の駅高田松原で休憩、震災津波伝承館を少し見て、ここまで元に戻した人間の力強さを感じた。
_DSC0466.JPG
_DSC0470 (1).JPG
東北地方の旅は、また次の機会にして仙台を16時半に通過、外気温35℃の東北自動車道福島西ICで高速道をを離れ、コンビニ弁当購入、燃料満タンにしてR115で山に登る。土湯トンネルを過ぎ、中ノ沢温泉の宿に19時前に到着、外気温27℃と少し涼しいが、部屋にはウィンドエアコンが付いていてフル稼働していた。昼食抜きで移動してきたので、コンビニ弁当とBeerが最高にうまい。部屋の窓からは赤く染まる雲が眺められ、古い施設の昭和の温泉宿を楽しむ。
_DSC0477.JPG

走行距離:598.2km
宿泊先:磐梯名湯リゾート ボナリの森

2023年7月29日(土)
 快晴の涼しい朝、気持ちの良いお湯浸かり、今日の安全を祈って自宅に向けて9時出発。R115で猪苗代湖畔まで降りて、夏休みで賑わう風情を眺めながら通過、「道の駅ばんだい」で休憩して磐梯河東ICから高速道路を利用、新潟中央JCTを経由して北陸自動車道路を南下「道の駅 親不知ピアパーク」で休憩、エアコンで冷えた体を温める。外気温36℃無風、静かな日本海で海水浴を楽しむ人々が浮いていた。小松空港沿いの日本海から西日に照らされ、敦賀市で日没となる。週末の京都、大阪の通過を避け舞鶴若狭自動車道を利用、福知山を経由して西紀SAで夕食を済ませ、吉川JCTから中国自動車道路、福崎ICから山陽自動車道路で岡山IC23時到着。無事に自宅に到着する。室内33℃の部屋に戻り、エアコンの空気の中で眠る。左足不調は変わらず。

走行距離:890.8km

【旅】2023夏の旅 --その9--  [【旅】2023年]

 今回2度目のトラブルに見舞われる、自身の体の不調である。左足の痛みは日々悪化し、昨夜の夕食時からの戻りには歩く事の限界を感じた。物が壊れる事は交換すれば直せるが、体は簡単には交換できない。無理せずに行動する事を心掛け、少し早めに帰る事にする。

2023年7月18日(火)
 9時ホテル出発、今日の釧路は半分青空だ。阿寒ICより北海道横断道(無料)を利用して本別町に行くと、盆地形状の町に道路は着陸の如く下りて行く。「道の駅ステラ★ほんべつ」は駅の跡だった。本別公園には義経の里という名前があり、1188年に山伏姿でここにもいたという伝説が残っている。キャンプ場は無料でテント利用可能だった。足寄町の道の駅には、大きな蕗を持った松山千春さんの写真があった。螺湾蕗(らわんぶき)という3mにもなる巨大な蕗があるらしく、螺湾という地区まで行って見たがラワンブキ鑑賞ほ場には、虫食いだらけの、北海道の路肩でよく見る蕗があっただけだった。
_DSC0056 (1).JPG
引き返しの道路で「足寄町郷土資料館」の小さな看板を見つけて立ち寄る、小学校跡地に様々なものが展示してあり、足寄町には昭和30年代3,000名を超える児童がいたが平成16年には422名となっていて、そのあとは表示されていない。調べると現在は230人だった、日本の縮図は地方にあり。足寄町にも鳥取という地名があり、小学校、中学校もあったようである。
_DSC0060.JPG
_DSC0075 (1).JPG
R241で上士幌町に行く、大雪山も近くなり、雲をかぶった峰々が近づいてくる。「道の駅かみしほろ」は素晴らしく美しいので、ここに泊まる事にした。ふれあいプラザで入浴@300、夕食は定食「和み」で済ませると降雨になる。暫くはTVニュースなど見ていたが、19時から眠りに就く。

走行距離:179.5km
宿泊先:道の駅 かみしほろ

2023年7月19日(水)
 4時半起床、道の駅には50台を超える車中泊がいた。若者の姿は無く、先輩層の方々ばかりである。サラリーマンを卒業後の同じ夢を実現しているのだろう。しかしながら生活感アリアリな感じの車中暮らしを見かける度に残念な気持ちになる。放浪人になっても旅人のプライドは失いたくない。そんな事を思いながら6時出発、糠平温泉に行って見た、タウシュベツ川橋梁跡を見学したかったが、朝早い時間帯に誰も居ない山中に入る事を躊躇し止める、熊には会いたくない。「道の駅かみしほろ」まで引き返して8時開店のレストランでモーニングを頂く。その後R241で士幌町、R247で鹿追町経由で新得町に出る。新得町の駅前は工事中だった、R38で狩勝峠 展望台644mまで上がってみるが雲の通り道で何も見えず引き返す。
_DSC0096 (1).JPG
R38で帯広市に向かい「ますやパン 麦音」で遅めの昼食、「道の駅 おとふけ なつぞらのふる里」に向かい車中泊場所の確認、近くの鳳乃舞温泉@480で入浴を済ませ、道の駅で夕食。車中泊専用の場所でプロ野球オールスター戦をTV観戦しながら眠る。左足は治らず。

走行距離:228.9km
宿泊先:道の駅 おとふけ なつぞらのふる里

2023年7月20日(木)
 4時起床、ここの道の駅は、車中泊専用の駐車場も完備されている為か、100台以上の車中泊がいる、難民キャンプ状態。綺麗で24時間利用可能なトイレは、車中泊者の安心できる場所だ、全国的にRVパークの設置も進んでいるが、この台数が利用できる規模には到底追いつけないだろう。
_DSC0140 (1).JPG
天候は霧雨の曇り、7時出発して帯広市内に向かい「なか卯」で朝食。帯広川西ICから帯広広尾自動車道路(無料)を利用して南下、「道の駅なかさつない」で休憩、生でも食べられる道産のトウモロコシを売っていたので購入、この時期はまだハウス物のトウモロコシだそうであるが、朝取りの新鮮なゆでトウモロコシは美味しい。終点の虫類大樹ICからR236で、道の駅 コスモール大樹に立ち寄ると、大樹町経済センターが道の駅になっていた。コープも併設されていて文字通りの経済中心である。広尾町海洋博物館は閉館中、周辺のシーサイドパーク施設は全て閉鎖されている。残念な状態は町の財政を表しているのだろうか?農業王国十勝平野からの積出港として、十勝港の整備は進んでいるが、それ以外の産業はなさそう...サンタランドの看板は見るが、季節的に興味は引かない。旧国鉄 広尾駅跡のロータリーにある「食事処海幸」でつぶ貝カレーでランチ、この地域で捕れる大型毛ガニは「熊蟹」というブランド名だ。というポスターが貼られていた。この先から襟裳岬に向かい「黄金道路」となるが、道路の整備が進み長いトンネルも完成していて、昔の黄金道路のイメージは無くなっていた。海沿いの道路も一部残っているので、サイクリング道や歩道としての観光資源にはならないモノだろうか?
_DSC0165.JPG
今日の襟裳岬は穏やかな晴れだ、風の館@300から望む遠くの岩に、アザラシが多数寝転んでいる。がしかし肉眼では見えず、置いてある望遠鏡を覘くと見える様にスタンバイ済み。何も知らず望遠鏡を自ら調整したり、動かす人には見つける事は難しい。今日は襟裳岬に車中泊を予定していたが、温泉を探すとみついし温泉しか見つからず、「みついし昆布温泉 蔵三」まで走り、入浴と夕食を頂き、併設されている道の駅で日没と共に眠る、空は曇天。

走行距離:220.7km
宿泊先:道の駅みついし

2023年7月21日(金)
6時出発、浦河町のコインランドリーに行く、久々の洗濯だ。66分間の洗濯中にコンビニサンドと、昨日買った生で食べられるトウモロコシで朝食とする。やはりトウモロコシはゆでた方が食べやすい。しかし美味しかった。町の人々が動き出す時間帯に洗濯が仕上がり、活気ある浦河の町を感じる。昨日通過した襟裳岬から西側の海岸線の町を見学する為にえりも町まで引き返し、9時開館の「えりも町郷土資料館」に入るとコンブ漁の説明が多く、興味を引く。
_DSC0198 (1).JPG
日高昆布というのは襟裳岬の東西で広く採取される「ミツイシコンブ」だという事、昆布も受精し配偶体世代から胞子体世代になり4~7mの大きさまで成長する事、昆布が採れる浜で品格が異なる事や、干場では1日で乾燥する事、仕上がっても1~5等級までの品質に分かれる事など知らない事ばかりだった。この季節の襟裳岬は、家族総出で朝から砂利の干場に昆布を真っ直ぐに並べている。昔は小学校が休校になっていたそうであるが、平成の時代までは授業開始の時刻を遅らせて対応していた、現状は町の教育委員会にでも確認しないとわからない。襟裳岬まで行って見ると今日も穏やかな天候だ。引き返して「アポイ岳ジオパークビジターセンター」に立ち寄ると、高山植物の咲くアポイ岳周辺の説明がわかり易く新しい施設で気持ちがいい。様似駅に行く、駅舎は観光案内所となっていた。
_DSC0199 (1).JPG
昼食は駅前の「喜味乃屋」を予定していたが不定休の休みだった。仕方なく近所のそば屋へ... エンルム岬展望台、様似郷土館を見学し、日高耶馬渓に行ったり冬島の穴岩を車窓から見たりしてR336を何度も往復した。
_DSC0203.JPG
_DSC0211 (1).JPG
最後は「浦河町立郷土博物館」と隣にある「馬事資料館」を見学、浦河のJRA展望台までいって馬の親子を車窓から眺めた。今朝の道の駅まで戻り、温泉と夕食を済ませると日没となる。
_DSC0223 (1).JPG

走行距離:203.2km
宿泊先:道の駅みついし

2023年7月22日(土)
 朝日と霧の中で目覚める。R235を海岸線沿いに西に向かい、昨年泊まった静内を通過、道の駅 サラブレッド ロード新冠の隣のGSホクレンで洗車@200、泥を落として久々にサッパリする。サラブレット銀座を少し見て回るが、道路沿いに馬は少なくUターン。日高自動車道は使わずにR236で「道の駅 むかわ四季の館」で休憩、隣のたい焼き&焼き芋屋でたい焼き@120を買う、食べたことが無いフニャフニャたい焼きだった。JR日高本線沿いに移動し、勇払にある「勇武津資料館」に入ってみる。新しい建屋に現在風の資料が少し置いてあった、江戸末期に八王子からここの開拓に入った方々の苦労が記されてあり、半数が亡くなり半数は引き上げたそうである。八王子からの移住者は既に北海道には残っていないとされているが、館内の方の話では、実は1名残っていて、5代目になる人が函館にいるそうだ、資料などで事実を確認中。何もないウトナイ湖に行くと観光客が大勢いた、千歳空港も近く賑わっている。北海道を一回りした感じであるが、もう少し足の痛さに耐えながら旅を続ける。イオンモール苫小牧でスープカレーランチを済ませて、「苫小牧市 科学センター」で宇宙の資料を拝見、実物大の宇宙ステーション「ミール」を見学して、この旅二度目のプラネタリウムを見て眠る..zzz
_DSC0279.JPG
_DSC0269.JPG
_DSC0271.JPG
虎杖浜にある「家族風呂 浜ちどり」@1300で入浴を済ませて、室蘭に向かう。
_DSC0291 (1).JPG
室蘭には初めて来た、想像以上に山間部が多い港町だった。道の駅は岬の先端に近いエリアにあり、道の駅ではなく海の駅である、ここから観光船が出発している。

走行距離:206.7km
宿泊先:道の駅みたら室蘭

2023年7月23日(日)
 4時起床、少し風があるが気持ち良い室蘭の朝。トイレ環境が抜群で、車中泊車両で駐車場が80%埋まっている。6時出発、祝津公園 展望台から白鳥橋を眺め、すき屋で朝食。室蘭湾を大きく回りR37から白鳥橋を往復して室蘭の町を再度眺めた、鉄の町室蘭を実感する。
_DSC0315 (1).JPG
_DSC0312 (1).JPG
R37で伊達市の道の駅に行くが、早すぎて何もなく、昭和新山を遠くに眺めて周辺を車で散策、歩けないので仕方ない...
_DSC0319 (1).JPG
横綱北の湖記念館・壮瞥町郷土史料館に立ち寄る、あんなに強かったのに62歳で亡くなった北の湖、その年まで私もあと1年だ。
_DSC0323 (1).JPG
「道の駅 そうべつ情報館i」で、暫く休憩、WIFIを利用しながらPCで情報収集。伊達市に戻りレストラン悠でランチを済ませ、車の燃料を満タンにして、夏景色の洞爺湖畔で昼寝をする。本州では楽しめない贅沢な昼寝だった。
_DSC0331.JPG
洞爺港周辺に滞在しようと場所を探すが、車中泊禁止場所が多く、羊蹄山方面に移動し「まっかり温泉」@600で入浴、コンビニ食を道の駅で済ませて日没と共に眠る。
_DSC0334 (1).JPG

走行距離:169.1km
宿泊先:道の駅 真狩フラワーセンター

2023年7月24日(月)
 4時起床、真狩村は霧の朝。ここの道の駅には車中泊5台のみ、静かな夜だった。朝6時から町内放送で演歌が流れ出発する。今日の目的地は札幌の狸小路、観光する予定もないのでとりあえず蘭越町に行って見る。最近、水蒸気問題で有名になり、現在も対応できないままに噴出を続けている。この地はニセコ連峰に囲まれた盆地で、美しい湧き水で「らんこし米」を育成している。平野部には水田の景色が広がり、豪雪地帯だとは思えない。r268で岩内町に向かう、峠では20℃になったが、岩内に降りると29℃となり蒸し暑い。フェーン現象もあり今日の道内は30℃を超える場所も多数あるらしい。R5で余市町でランチ(回転ずし番屋)を済ませて、小樽、札幌と進む。14:30チェックイン、ストア札幌の新しい店舗を覗き、次第に遠ざかる現役時代を感じながら、19時半から旧友の若者と飲む。
_DSC0337.JPG
お付き合い頂きありがとうございました。帰路は歩けなくタクシー利用、運転手にホテル名を告げてもわからなかった...レアな宿泊施設泊?

走行距離:198.6km
宿泊先:ホテルラフィナート札幌

【旅】2023夏の旅 --その8--  [【旅】2023年]

 テントキャンプは出来なくなったので、ホームセンターで小型テントを探してみるが気に入るものは無く、キャンプ場のロッジを探し「霧多布岬キャンプ場」を3泊予約した。昨年ここでラッコの親子を観察し、存在の驚きと可愛さに魅せられて、今年もこの場所に来る予定ではいたが、3泊もする気はなかった。お手頃価格のロッジなのでここにいる。そして左足の痛みが続き、歩く事が困難な事態も発生、ロッジから岬の先端まで歩けない、どうするか?

2023年7月14日(金)
 昨夜は夕食後、PCに向かって寝落ちした。気が付くと4時半、TVを見ながら昨夜の続きを確認する。殆んど何もせずに眠ったらしく、アルコール飲料も残していた。朝風呂に2度入り、バッテリーを充電して気分新たに出発する。小雨の中、ジャガイモ畑や麦畑が広がるエリアを通過しr1115で、裏摩周湖展望台に行くが霧で何も見えず、清里峠を越え平野に下りると酪農エリアとなる。別海町郷土資料館に行く、別海町=野付半島というイメージでいたが、この町の中心地は内陸部にあった。明治期には缶詰め工場があり町が発展したらしい、日清戦争時、兵士たちがここの缶詰の良さを知り、全国的に知名度が広がったそうだが、原材料の不漁で衰退し昭和9年に廃止され現在は無い。
_DSC9892 (1).JPG
道路端にあった「ここまで来ると べつせかい」という看板の通り、原野の中にある酪農の町だった。昭和38年頃の牛乳の出荷されている写真を見ると重労働だった事を想像する。
_DSC9893 (1).JPG
隣にある「加賀家文書館」は、幕末にアイヌ語の通訳をしていた加賀さんが、アイヌと和人の間に立ち、それぞれの立場を理解しながら対応した事を、文書で記録してあり、そのリアルな話を現世に展示してある。人々の意見調整は現在と何も変わらない。今日からの滞在地「霧多布岬」に向かい、2日前に電話で予約済みだった温泉施設「ゆうゆ」に行くが予約が入っていないとの事、信じられない対応にショックを受けるが、ロッジには空きがあり災難にならず... 夕刻になり岬に行くとラッコの親子が元気に泳いでいたが、私の左足は痛みが強く歩けない...
_KM23897 (2).JPG
_DSC9901 (1).JPG

走行距離:158.1km
宿泊先:霧多布岬キャンプ場ロッジ(1泊目)

2023年7月15日(土)
 曇天の朝、午後から本格的な雨予報なので、6時に出発してルパンのいる茶内駅の綺麗なトイレで用を済ませて、R44で根室市に向かう。
_DSC9903 (1).JPG
根室駅前では8時前からカニ屋さんが開店し旬の「花咲ガニ」を売っていたので、今夜の食材に購入する。
_DSC9907 (1).JPG
_DSC9909 (1).JPG
納沙布岬周辺では、コンブ漁が真っ只中。昆布満載のトラックが走り回り、自宅周辺に干す作業に追われていた。
_DSC9930 (1).JPG
岬からは歯舞群島がすぐ先に見える。
_DSC9942 (1).JPG
昼食は「回転ずし花まる」回転するがレベルは高い。https://www.sushi-hanamaru.com/company/greeting.html
花咲港に行くと客船がいた、調べるとシーニック・エクリプスというオーストラリア船籍のクルーズ船。一部の15名程の乗船客と根室市歴史と自然の資料館で出会う、資料館職員が総出で対応している様子が物々しい。
_DSC9950 (1).JPG
午後は予報通り降雨となりR44を引き返して浜中町「ゆうゆ」で入浴@500、霧多布キャンプ場に戻り、車を停めると隣の同じ車種のおじさんから、私の岡山ナンバーを見て声を掛けられる、和気郡日生町出身という大阪のご夫妻は、車中泊で北海道を廻っていた。
明るいうちに花咲ガニを食す。手がベトベトになり匂いもあり、しかし美味しかった。外は雨、食後はする事もなく18時から眠る。
_DSC9980.JPG

走行距離:222.3km
宿泊先:霧多布岬キャンプ場ロッジ(2泊目)

2023年7月16日(日)
 3時起床、一晩中雨が降り霧雨状態の朝、霧たっぷりの霧多布。朝からは雨も上がり曇天が続く見込みなので、今日も茶内駅の綺麗なトイレで用を済ませて、r599→r123と海岸線を経由して、海を眺めながら厚岸町に出る。
_KM23973 (1).JPG
_KM23984 (1).JPG
厚岸駅前の駅弁「氏家かきめし」でホタテとカキの弁当を買い昼食とした。見た目の色は濃いが、あっさりとした臭みの無い美味しい弁当だ。
_KM23999 (1).JPG
厚岸町海事記念館(無料)を見学、久々に見るプラネタリウムが綺麗だった。
_KM23996 (1).JPG
R44で浜中町に戻り、「コープはまなか」でソフトクリームを食べる。ここのソフトクリームは特別だ。https://www.ja-hamanaka.or.jp/coop/softcream.php
タカナシ乳業㈱ 北海道工場に隣接していて、駅周辺は新築や新しいアパートも多く、この企業が町を潤わしているのだろう。Monkey Punch Collectionを見学してキャンプ場に戻り、周囲のBBQ攻撃に負けない様に、フライパンでジンギスカン鍋を食し、ラッコの親子を観察して18時から寝る。
_KM24007 (1).JPG
_KM24015 (1).JPG
_KM24041 (1).JPG
_KM24048 (1).JPG
_KM24020 (1).JPG

走行距離:107.7km
宿泊先:霧多布岬キャンプ場ロッジ(3泊目)

2023年7月17日(月・祝)
 4時起床、疲れていたせいか10時間寝た。連休のキャンプ場は人も多く、カラスも残飯漁りに忙しい。天候は回復傾向だが、左足の調子は相変わらず不調、しばらく歩くと痛む、なので釧路で日帰り温泉を探すが今日はホテルを予約した。海には小型船がたくさん浮いている、今朝からコンブ漁の解禁だったのだろう、出漁の競争が見られなかったのが残念。
_DSC9994.JPG
_DSC9993 (1).JPG
5時半からいつもの茶内駅のトイレまで往復28kmをドライブして、うどん朝食を済ませて撤収、9時前には出発、近隣の民家では、家族総出で昆布の天日干し作業をしている。
_DSC0005 (1).JPG
_DSC0008 (1).JPG
琵琶瀬展望台から湿原を眺めて霧多布に別れを告げ、r123で厚岸駅前10時過ぎ到着。昨日の昼食弁当が美味しかったので、今日は2食を買い求め昼食にすることにした。ホタテ入りは既に売り切れ、カキめし弁当@1250を購入。
_DSC0009.JPG
 R44で釧路に向かい、途中の昆布森方面にr1128を左折、海岸線に出ると、海からの霧が陸地に立ち上る。昆布の引き上げの為か、海岸から高台までワイヤーが引かれているタワーが幾つもあった。トライアルの広い駐車場で休憩、昼食、買い物を済ませて、7/17は道民の日で、昨年も入館無料だった釧路博物館に立ち寄ると、今年も同様だったので入館。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-18
 午後は、新釧路川の西に広がる鳥取エリアを車で回り、鳥取保育園、鳥取小学校、鳥取中学、鳥取神社、鳥取大通り、○○鳥取アパート、○○鳥取店と表示され郊外店が並んでいる。明治期に鳥取から移住した藩士族がここを開拓して鳥取村をつくった名が現在に至る。15時チェックイン、予約時には何も考えていなかったが、到着すると昨年と同じホテルだったので驚く...
_DSC0029 (1).JPG
夕食は、荒廃が目立つ繁華街にある「レストラン泉屋 総本店」でスパカツを食し満足。しかし往復1.6kmが何度も立ち止まらなくては歩けなくなった。

走行距離:151.9km
宿泊先:スーパーホテル釧路天然温泉

【旅】2023夏の旅 --その7-- [【旅】2023年]

 ついにトラブルがやって来た、ここまで順調だった旅も、昨日の暴風雨により、我が家のテントは修復不可能な状態になる。なんで?という気持ちを笑い飛ばそうとしても、この先の対応を考えると、どうしても深刻に考えてしまう。がしかし、この難局を乗り切る事も放浪人の楽しみだと信じて、旅の予定は前進あるのみ。

2023年7月10日(月)
 3時半起床、港を散策しながら、激しかった昨日の嵐を思い出していた。
_DSC9617.JPG
アスファルトは乾いているが、テントサイトは水が浮いている。昨日の落雷で燃えた電線が垂れ下がり、2m程度の車には引っかかる状態で放置されている、テント撤収は乾いてからにするので、暫くはテントは水サイトに放置。車内で、オホーツク海から昇る朝日を眺め、これから8月初旬までのスケジュールを考える。
_DSC9616.JPG
明日以降、天候は下り坂になり、週末まで道内各地は雨の予報。根室方面が比較的曇り予報なので、予定を前倒しして東へ向かう事にした。9時前から徐々にテントの撤収を始める、まだまだ水の浮いた芝の上なので、アウターを外して比較的乾いた場所まで移動、メインポールを外すと2本共曲がっていて、元には戻りそうにない、、サブポールも曲がって、全部で4本のポールの内3本が修復不可能だ。
_DSC9630 (1).JPG
 10時半出発、R239で東に向かう、何故かポータブルバッテリーの充電が出来ない。湧別町、サロマ湖を経由して能取湖を廻って能取岬に行く。
_DSC9640 (1).JPG
少し海岸から離れると気温30℃、オホーツク海岸に近くなれば風の方向により24℃まで気温が下がる、しかし今日は暑く、今年初めて暑いと感じる。網走で給油を済ませて「道の駅しゃり」で休憩、少し離れた斜里温泉湯元館@400で入浴、入浴料金をガチャで支払う無人料金回収システムは説明を聞かないとすぐにはわからない。木陰で荷物整理、シガーソケットのヒューズをチェックするが異状なし。コンパクトな感じのする斜里駅前には、道の駅、コンビニ、写真スタジオ、カラオケ、居酒屋、温泉など揃っている、JR駅も外観がオシャレで感じがいい。郊外には広い畑が広がるだけであるが、人口は1万人もいる。少ない便数の列車が到着する時間になると、迎えの自家用車が集まり少し賑わいを感じる。バッテリーが無くなり冷蔵庫が明日朝まで持つか?パソコンもバッテリーが少ない。道の駅の隣「知床くまうし」で夕食を済ませ、夕刻散策して車中泊とした。奥歯が痛む、左足が痛む、何だか体調がおかしい。
_DSC9672 (1).JPG
走行距離:192.5km
宿泊先:道の駅 しゃり

2023年7月11日(火)
 3時半起床、涼しい空気であるがバッテリーも無くなったので、残り少ないバッテリーのPC電源を入れ、JR斜里駅のWIFIを利用させて頂き、今夜の宿を探して予約、バッテリーと体の充電が必要なタイミングだろう。車もディーラーで確認してもらおうと探してみると、斜里町内にあったが火曜日定休だった。ここからオホーツク海岸は東に向けて北上する「天に続く道」を登ると、そのまま天に行きそうなので、R334に戻り、天に続く道スタート地点に行って見た。
_DSC9682 (1).JPG
後からやって来た福山ナンバーの大型キャンパーご夫妻と話す、ケンカが絶えない話、今年は12日の予定で我々と反対方向で回っている話、我が家は1ヵ月を経過したと話などして別れた。オシンコシンの滝により涼しむ、知床に入ると道端に熊がいた。
_DSC9684.JPG
_DSC9691.JPG
知床峠を超えて羅臼へ、国後島が近くに見え、あそこがロシアだとは思えない。羅臼町岬町には各屋根に巣作りしたカモメがヒナを育てている。
_KM23690 (1).JPG
ウトロに引き返し、道の駅で遅めの昼食、左足と奥歯が痛むので、15時には民宿にチェックインして昼寝する。風呂に入りながら精神的疲れが体調に現れたのかも知れない...と思いながらコンビニでゼリーとプリン、ざるそば、ワインを買い夕食とした。バッテリー満充電、風呂に2度入り回復を願う。

走行距離:177.4km
宿泊先:民宿しれとこペレケ

2023年7月12日(水)
 久しぶりの宿で朝寝坊、6時起床。青空が見えるウトロの朝、バッテリーは全てフル充電。朝風呂に入り休養するが、1日だけでは全回復は不可能だった。9時出発して天に続く道を通り、斜里町にあるディラーまで行く。Web情報では9時半開店となっていたが、入り口では10時からの開店と表示してあった... が、快く受け入れて頂きヒューズ確認、切れていない。詳細確認の為にドックイン、暫くするとシガーソケット部を持ってメカニックの方から説明があり、内部が溶解していてソケットが電極に接触出来ていない状態だった。部品は札幌にあるので明日の15時頃には入荷するとの事、修理をお願いして明日の再来店を予定して店を出る。昨年の帯広でのディラー対応と同じく、想定を超える対応に満足。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-19
 ホームセンターでテントを探すが殆んど無くあきらめ、R244で根北峠を越えて標津町に行くと丹頂鶴のペアが草原にいた。
_DSC9743 (1).JPG
ポー川史跡自然公園に立ち寄ると、この地には一万年の昔(縄文時代の創成期)から人の暮らしが続いた場所だと紹介されていて、明治期まで使われていた竪穴式住居跡が4000戸以上確認できる、アイヌ民族文化として脈々と繋がれた人々が定住したそうだ。川があり、海があり魚や動物の狩猟で生活が出来ていたのだろう。
_DSC9755 (1).JPG
昭和57年に子牛を3頭食い殺した大きな熊が射殺され、剝製になっていた。この地には現在「OSO18」という熊が66頭の牛を襲っていて、現在も捕獲されていない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/OSO18
牛を食うというDNAが今も引き継がれているのだろう、人が襲われないことを祈る。受付の女性に昼食のおすすめ場所を尋ねると色々と教えてくれた、一番大衆向けの「食事処しのだ」でランチ、標津町北方領土館を見学して、返還への希望と同じか?展示物も日焼けして色が薄くなっていた。終戦後の侵攻により占拠された島は、ロシア敗戦後のタイミングで取り返し施策を打って出るタイミングだ。
雨の降らないうちに、野付半島を見学をしようと行くが、霧で何も見えない、道路脇にいる鹿を観察するのみ。野付温泉浜の湯@480に入り、17時には「道の駅おだいとう」に到着する、北方四島に関する展示がある施設だが17時で終了、あるのはトイレのみ、なので同輩が10台位いた。雨も徐々に勢いを増す予報なので、早めに寝室部を作り日暮れと共に眠る。

走行距離:157.3km
宿泊先:道の駅おだいとう

2023年7月13日(木)
 一晩中雨が降ったが3時半起床時には、小雨となり根室海峡から明るくなってくるが太陽は雲の中。天空には青空も見え、昼間は天候回復見込み。
_KM23713 (1).JPG
_KM23717 (1).JPG
朝食を済ませで6時出発、昨日は何も見えなかったので、もう一度、野付半島を見に行く、水産会社の敷地内には、大きな角を持ったメンバーの方が多いが、早朝から網の補修作業が行われ活気のある砂嘴(さし)だ。
_DSC9815 (1).JPG
_KM23734 (1).JPG
_DSC9851 (1).JPG
左足が痛く、長くは歩けそうにないので車から眺めるだけで引き返す。標津まで戻りサーモン科学館開館(9:30)まで、標津平野を走ってみる。直線道路と直角交差点をあてもなく走ると中標津町に出た。郊外店舗も多く標津と比較すると大きな町だ、空港があるからなのだろうか、調べると人口は2.2万人、標津町の4倍もいる。1時間ほどドライブをして「標津サーモン科学館」に入るが、水族館?の様で科学的ではない、少々期待外れ。高さ30m展望台からは、他にこの高さが無いので360度が望めた。
_DSC9883 (1).JPG
開店を待って「そば処 福住 総本店」https://oishii-fukuzumi.com/info.htmlでランチ。
 R335で羅臼へ途中「羅臼町郷土資料館」を見学、紹介VTRを見ながら二人して寝る。植別小中学校跡地らしいが、芝のグランドが綺麗だった。松法川北岸遺跡からは、8000年前の竪穴式住居跡から炭化した当時の物が出土している、火事となり屋根が落ちた事で炭焼き状態となった家財が炭化して現世に出土したのだそうだ。熊とシャチの器の説明がわかり易く、見応え十分しかも無料。羅臼でお土産を買い、霧の知床峠を超えてウトロ側に降りると真っ黒の雲に覆われ、時々激しい雨となる。15:30に北見のディラーへ、受付で1時間程度お待ちくださいと案内され、TVでも見て過ごそうかなと、椅子に座ると昨日のメカニックが来て部品交換終了、あっという間に終わる、ありがとうございました。今夜の宿、清里町のホテルに16時チェックイン。最後のクーポンを頂きレストランで夕食、刺し身サーモンが旨かった。

走行距離:240.8km
宿泊先:ホテル緑清荘

【旅】2023夏の旅 --その6-- [【旅】2023年]

【旅】2023夏の旅 --その6--

 稚内に1週間滞在して、終日好天だったのは礼文島に渡った1日だけだった。奇跡的な天候に恵まれ目的は達し、今日は次のキャンプ地に移動する。自宅を出発して1ヵ月経ったが、トラブルもなく、おかげさまで益々元気に暮らせている。8月初旬には自宅に戻る予定であるが、この先も帰着するまで確定したスケジュールは無い。幸せな時間をありがとうございます、すべてに感謝。

2023年7月5日(水)
 今日は曇り予報であるが、徐々に青空も見え始め、8時半にはアウターも乾いた。9時半完了出発。宗谷岬までは青空のある気持ち良い天候だったが、オホーツク側に入ると海霧により曇り。気温15℃と寒い、猿払村の港でホタテの水揚げを眺め、昼食は「つなぎ処えん」で、ホタテかき揚げ蕎麦@700を頂いた。
DSC_0579_20230707.JPG
キモマ沼、ポロ沼の周辺を経由して、猿払村道エサヌカ線を走ってクッチャロ湖に向かう。
_DSC9398 (1).JPG
_DSC9388 (1).JPG
今日からの宿泊地はクッチャロ湖畔キャンプ場、久しぶりに汗をかきながらテント設営、湖の方向に傾く夕日を眺めながら過ごす。
_DSC9403 (1).JPG

走行距離:115.3km
宿泊先:クッチャロ湖畔キャンプ場(1泊目)

2023年7月6日(木)
 3時前の夜明けと共にカラスの声で起こされる、今日から雨の天気予報。7時からクッチャロ湖畔を散策していると降雨となり、エゾリスも忙しく走り回っていた。
_DSC9453 (1).JPG
暫くテント内でTVを見ながら過ごす、宿泊者は殆んど出発したので、9時半頃から「道の駅 はまとんべつ」に行くが何もない、隣のスーパーに行くが何もない。仕方ないのでドライブでもすることにした。隣町の中頓別に向かい、途中で「ウソタンナイ砂金採掘公園」に立ち寄ると、若者が一人、講習を受けながら川の中で砂金堀の最中、採りたての3欠片の砂金を見せてもらう。挑戦してみたいが、雨が心配なので遠慮した。R275で中頓別に行くと、鍾乳洞の看板があり立ち寄る、入り口では野生のタヌキが出迎えてくれた、無料の公園には貸し出し用の傘、熊除けの鈴もあり自由に散策できる、軍艦岩が丘の上に見え「中頓別鍾乳洞第一洞」には入る事が出来た。
_DSC9470 (1).JPG
洞窟の入口までは、熊除けの手動サイレンがあり、野生動物が身近な事を感じる。洞窟内は整備されているが、狭く探検気分が盛り上がる。大きな鍾乳石は無いが深い溝が洞内各所に見られた。鍾乳洞としては比較的新しい時代に貝殻の大量堆積により出来た地層が、鍾乳洞となったと説明されていた。ランチは中頓別の「里芋と蜂蜜」でオシャレで美味しい、出汁茶漬けを頂く。
DSC_0580_2023070708.JPG
「道の駅ピンネシリ」に行くとキャンプ場が併設されていたが誰も居ない、敏音知(ピンネシリ)岳703mの登山口でもある。明治時代、砂金堀のゴールドラッシュ時には、この辺りの山中に大勢の男達が入り、金を手にした者は枝幸の町で酒と女を求め豪遊した。と記されていた。このエリアで発見された金塊が、日本最大(768g)で、中頓別の郷土資料館に置いてあるそうなので行って見る。
_DSC9481.JPG
r647に左折して山の周囲を一周する様に中頓別に戻る。中頓別を開墾した人は、広島県の大崎上島出身「楢原民之助」だと知る。漁師から砂金堀、その後この地を開墾し農業を始めたそうだ。北緯45度の誰も居ないこの地で、農業への挑戦は想像を超える。

走行距離:103.4km
宿泊先:クッチャロ湖畔キャンプ場(2泊目)

2023年7月7日(金)
 6時から朝風呂に入る、湖から吹く風が心地よい。雲が多いが日差しもあり、天候は回復傾向だ。朝食を済ませて9時過ぎにテントを離れ、浜頓別町の漁港に行って見る。人口3,800人程度の町であるが、漁業関係の若者が多く働いていた。カニ、ホタテの水揚げだろうと思うが、大型の漁船の仕事はおじいだけでは困難だろう。R238をオホーツク沿いに南下、高山の様な木々の生えた神威岬が、行く手を阻む様に立ちはだかる、ここは日高山脈の最北端が海に沈んでいる地点だそうである。北緯45度を下り、枝幸の町のスーパーで買い物を済ませて「う美蔵」https://umikura-shop.jp/help/aboutでランチをしていると、電話がかかって来た、とるとクッチャロ湖の売店です。今どこにいますか?との質問から始まり、案内を間違えていて、テントの移動を至急お願いしたいとの連絡だった。7/8の湖水祭りの準備がある様で、移動をお願いされサイトに戻る。続々と役場関係者が準備に集まり、我が家のテントだけポツンと1軒状態。BP充電を売店にお願いし、案内間違いを恐縮され、何度も謝られ、快く引っ越し作業に取り組む。汗をかきながら、13時半引っ越し完了、西風が強く今度は北向きに建設し、快適な我が家となる。
_DSC9514 (1).JPG
お祭り会場の都合で、キャンプサイトが半分になり、夕刻まで徐々に混雑し始める各人の建設作業を眺めながら夕刻まで過ごし、湖に日が沈む、美しい夕景を眺めて日没と共に眠る。
_DSC9521.JPG

走行距離:72.3km
宿泊先:クッチャロ湖畔キャンプ場(3泊目)

2023年7月8日(土)
 4時起床、5時半からの朝風呂に入り、今日も心地よい風に吹かれて気分は最高。
_DSC9537 (1).JPG
天候晴れ、8時からは祭りの準備が始まった。9時から交通規制が入り、駐車場への入場は許可車両のみとなる。テントの乾きも早く、9時半には撤収しサイトを出発。R238を南下、枝幸、雄武、日の出岬キャンプ場を覗いて、興部の「ダルマヤ」で蕎麦を頂き、JAのおこっぺソフトクリームを食べ、昨年と同じガソリンスタンドで100円洗車。泥と虫を落として久々にサッパリした車になった。沙留漁港でホタテの水揚げを見学してから紋別に向かう。紋別市ガリヤ地区港湾緑地は、港の広場だが1泊500円でキャンプ利用可能、ゴミ処理の協力金のみという設定。車中泊を検討していたが、サイトが広いのでマイホーム建築に至る。快晴21℃であるが、汗をかきながら15時完成。紋太の湯で入浴を済ませてテントで夕食、紋別バイオマス発電に沈む夕日を眺めて眠る。
_DSC9566 (1).JPG

走行距離:149.6km
宿泊先:紋別市ガリヤ地区港湾緑地(1泊目)

2023年7月9日(日)
 朝から青空が広がる、オホーツク海からの朝日は既に昇り、朝の涼しい空気を楽しみながら過ごし、9時頃にはテントを出発して、ラベンダー満開の美しいオホーツク公園を散策、そのままコムケキャンプ場まで行って見るが原野が広がるのみ、紋別市に引き返しランチのあるお店を探すが、ほぼ休みにより「すき屋」となる。スーパーで食料を買いテントに戻る、今日は休日なので、周囲はBBQ大会だ。午後から昼寝...少し日差しが暑いが風は心地よい、ラジオから北見市の最高気温が35℃を超えたと報道、ラジオに雷ノイズが多発し始める、少々不安な南の空の積乱雲だった。雨雲レーダーを確認しながら、紋別市に積乱雲の雨が来る、来ない、来る、来ない、と情報がコロコロ変わっていたが、青空を真っ黒な雲が覆い、16時前にテント周りを片付けて車に避難。
_DSC9598.JPG
16時から降雨となり、落雷も激しくなり始めると、20m程横に落雷となり、電線が一瞬で燃え尽き30m程の火花が路上に落下、燃えたケーブルからは黒い煙が空を舞う。バックツーザフューチャーの映画のシーンそのモノを目撃した。
_DSC9599.JPG
その後数分でダウンバースト状態の暴風雨に変わる、幾つもテントは空に飛ばされ、雹交じりの雨は車の屋根が凹む程に叩き付け、最大瞬間風速は30m/sを超えている。我が家のドームテントも形が変わり吹き飛ぶ寸前だった。小型テントを除き、ファミリー型テントは飛ばされて全滅状態。自然の猛威は凄まじいパワーだ、楽しいファミリーBBQも一瞬で、ずぶ濡れ、家無しの被災者の状態となる。17時には収まり、テントを確認に行くが、横風によりテント内はジャブジャブ、ポータブルTV浸水、変形したテントはメインポールが曲がっていた。すぐには直せそうもなく、とりあえず荷物を車に運ぶ、幸い寝室部には水害は無く、マット、寝袋は無事。テントはそのまま放置し、明日の朝、乾いて撤収する事として、今夜は車中泊。
_DSC9607.JPG
18時頃からは到着組のキャンパーがやって来るが、地面が湿っていると言いながら被災地?にテントを建てていた。先程の状況は知る由もない。食材はそのままで、外食(ラーメン山岡)を済ませて20時就寝。この先は車上生活なのか...

走行距離:89.3km
宿泊先:紋別市ガリヤ地区港湾緑地(車中泊)
前の10件 | - 【旅】2023年 ブログトップ