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日本語は難しい [日常の独り言]

 先日の車中泊でも使用したコールマンエアーマット ハイピーク/ダブルの地味なエア抜けが気になり、修理対応で電話連絡すると快く対応して頂けた。片道の送料で修理箇所を確認して見積連絡する、修理不可能な場合は交換修理となる旨をわかり易くご説明頂き、昨年のテント修理に引き続きお願いする事となった。送料1988円で3/19に発送、3/22には電話で見積回答がある。スピーディーな対応に満足したが、修理費用には少し不満があり、修理対応はしない回答を告げて「送り返してください」と言って電話を切った。
 今になってその時の私の言葉を思い出しながら記載してみる
    →【修理代たけぇなぁ、こおたくれぇかかるが、ほんならもうけぇしてくれ】
そして本日、代引き修理品が私のところに届いた。
・良品交換  11,000円
・サービス利用料 800円
・代引き手数料  400円
・消費税    1220円
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 合計    13,420円

修理はしないので品物をそのまま返して欲しい。と伝えたつもりが新品の交換修理品が届いてしまった。私の日本語は通じなかったのだ。日本語を話して60年程経つがこの有り様である。結局南極13,420円+1,988円(片道送料)=15,408円で15,990円で購入した商品を修理した事になった。https://ec.coleman.co.jp/item/2000036154.html
メーカー直販価格よりは安いので、修理対応楽しみ料と日本語検定試験料金(結果:不合格)だと思って納得する事にした、日本語は難しい。
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【旅】福岡へ一人旅 [【旅】2024年]

2024年3月12日(火)
 先週鹿児島から戻ったばかりであるが、再び九州に行く。明日の宴会(解散?送別?懇親?)が主目的である。2日間かけて作った焼き芋を持って、雨降りの中、9時出発。R2を西に向かうと玉島付近より雨は上がり、県境を越えると青空も見えて来た。松永、尾道、三原バイパスを順調に抜けて、東広島の道照交差点に差し掛かるが混雑なしで通過。「道の駅 西条のん太の酒蔵」でランチを済ませ、広島市中区中島町に立ち寄る。来季のメンバーも確定し、今度立ち寄る時には3名以外は知らない人になる様である、焼芋売りも今回までか?少々さびしく思うが、時代は進む。
 このまま一般国道を走って行くと下関到着20時予定となり、廿日市ICより高速道路を利用、徳山西ICで下りて「ラーメンショップ 椿峠店」でネギラーメンを食し、防府市牟礼の友愛無線に立ち寄る。昨年約束していた焼き芋を、歯無でも食えるぞと言って渡した。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-01-10 少し老けた感があるが、おしゃべりはまだ止まらない。電気屋開けとく必要あるの?私の様な押し売りが来るだけじゃろー。などと言いながらも元気に見送ってくれた。他にも寄りたいが時間が無く、そのままR2で下関まで走り18時到着。明るいうちにチェックインして大浴場でくつろぎ、乾いた喉をうるおそうとホテル前の小料理屋に入った... これが失敗、とりあえずBeerを飲み干すと、5千円か6千円のコース料理しかなく... えぇえぇー、安い方を注文したが酒も頂きホテル代の3倍程支払う。刺し盛、くじら、ふぐの白子、とこぶし、うなぎなど出てきたがあまり得意な食べ物ではない。只々Beerが飲みたかっただけ...反省しながら狭いカプセルで眠る。
移動距離:369.9km
平均燃費:20.9km/L
平均車速:49km/h
宿泊先:下関ステーションホテル(カプセル)

2024年3月13日(水)
 狭いカプセルは閑散として静かな環境だったが、暖房温度が高くて寝心地悪く、4時に起床してTVを見ながら時間を過ごす。寒さが気になり車中泊をしなかったが、寝心地環境は車内とあまり変わらない。8時半出発、関門トンネルの料金所(普160円)渋滞を抜けて福岡に向かう。通勤時間にこれだけ渋滞しても関門トンネルがなぜETCではないのか不思議である。2年前にも同様に思ったが、歴史ある建造物はその当時のままである事が重要なのかもしれない。渋滞が嫌なら橋渡れ!と言われるだけだ。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-02-04
10時半過ぎに福岡天神到着。久しぶりに支社に行くが3年前と風景は変わらず違和感はなし、快く皆様に焼芋を購入いただき感謝しかない。今宿経由で、現況を話しながら春日の会場に向かい、九州の写真家メンバーと楽しく美味しいお酒を頂き、そのまま予定通り会場(蔵)で眠る。
宿泊先:ギャラリー蔵

2024年3月14日(木) 
 6時半起床。蔵の中でよく眠る、カプセルよりも快適だった。薬院経由今宿へ、週末まで福岡に滞在するか悩みながらも岡山に帰る事にした。福岡市内を抜けて11時開店のイケアに立ち寄り、薬王寺の湯https://kairakusou.info/でのんびりと温泉を楽しんだ後、R3→R2と走って新山口駅に18時前に到着。北口駅前のコインパーキングに車を置いて、近くで中華料理を頂き車中泊。お嬢様の客引きが多く時代も変わりつつある。
移動距離:181.5km
平均燃費:20.3km/L
平均車速:23km/h
車中泊

2024年3月15日(金)
 4時起床、外気温3℃だったが、暖房もなく快適に眠れた。着る服により暖は取れると実感した。R2を東に向かい下松の吉牛で朝食後、空が明るくなった。
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 快晴の空に誘われてR188で海岸線に向かい、光市室積の普賢寺に立ち寄る。
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 海の景色を楽しみながら散策すると、車で送られて通学する小中学生の親の車が渋滞するほどの勢いでやって来た。山口大学教育学部付属光小中学校がこの半島の先端にある。最後には大型バスの送迎車が2台到着し登校終了。そのまま車内で「ブギウギ」を視聴してから平生、柳井と進み9時開店のSCでお手洗い。11時半に広島市内でランチの約束をして、穏やかな瀬戸内の海岸線を北上し、大竹ICから高速道路を利用して広島市内に11時過ぎ到着。1時間半ほどランチを楽しみ、R2で自宅に向かい18時到着した。
移動距離:556.5km
平均燃費:22.4km/L
平均車速:32km/h

【旅】鹿児島マラソン応援の旅 [【旅】2024年]

2024年3月2日(土)
 4時過ぎ起床、5時半に自宅を出発、気温2℃、真っ暗闇の中を一路鹿児島に向かう。玉島ICから高速道路に入る頃、東の空が明るくなって来た。岡山平野は快晴だったが、尾道ICを過ぎると降雪状態となる。東広島市の山は白く、今年初めて雪山を見てワクワク感が止まらない。
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 とりあえず雪のリスクが無くなる宮島SAまでノンストップで走り抜け、降雪の向こうに青空の宮島を眺めながら、誰も居ないレストランで、配膳ロボットが持ってきた朝食を頂く。時代はコロナパンデミックを越え前進していくものだ。更に西に向かい壇ノ浦Pで休憩していると、福岡の知人よりTelが入った。3月13日に宴会をするので参加せよ!との内容だった、福岡を通過して鹿児島に移動中とも言えず、なんだか行動を見透かされているようで驚く。今回の旅の予定は、3月9日に自宅に戻るつもりであるが、どうするか検討しながら広川SAまで移動して、うどんランチを済ませてから更にどうするか考えながら南下すると、阿蘇の外輪山の向こうに中岳からの噴煙が見えて来た。
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 久しぶりに元気な阿蘇山を見ながら、2014年4月14日に阿蘇で経験した熊本地震から10年経った事を思い出していた。16日の本震により現在走っている高速道は割れ、橋が外れ、土手は崩れて、家は傾き、ブルーシートの屋根、車中泊テント村が見えていた景色は今は何もない。それどころか菊陽町にはTSMC社が完成し、震源地は全国に知れ渡る好景気に沸く町となっている。10年前に誰が想像できた事か?まさに人間万事塞翁が馬である。
 宮原SAで休憩し復旧工事が進む球磨川を越え、人吉の町を遠くに眺め、加久藤トンネルを出ると、えびの高原の韓国岳が白く見えた。鹿児島空港を過ぎると、噴煙の上がる桜島が見え、私溶岩です。と言わんばかりの道路沿いの山容は、姶良カルデラに入った事を感じられる。鹿児島北ICを出て16時過ぎに宿舎にチェックイン。残念ながらホテル駐車場は満車により、近くのコインパーキングに駐車。夕刻から中央公園を散策、照国神社に参拝してから夕食。天文館も散策し無料の振る舞い酒(焼酎)を頂きしあわせいっぱいで爆睡。
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移動距離:729.3km
平均燃費:17.4km/L
平均車速:76km/h
宿泊先:リッチモンドホテル鹿児島金生町

2024年3月3日(日)
 目的のある旅はなんだか少し張り合いがある。そして今日がその主目的の日、鹿児島マラソン当日だ。宿所周辺は6時に交通規制が引かれ、路面電車も車も居ない。そしてランナー達が続々と出発地点の「ドルフィンポート」に集まり始めている。
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 8:30スタート、直前に宿所前の道路が規制終了し一番乗りでコインパーキングから出て、1台空きが出た先着順の専用駐車場に滑り込む。TV中継を部屋で確認して、予約していたマラソン応援列車に乗車する為、鹿児島中央駅前に向かう。
https://www.kagoshima-marathon.jp/event/cheering-train.pdf
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 R10と並走する日豊本線から、マラソンランナーを応援する団体列車は、徐行運転や停車を繰り返しながら、倉重駅までの往復を楽しませてくれる。倉重駅では2時間程の応援時間があり、折り返し地点手前で応援できるので合計2回の遭遇応援チャンスだ。楽しく応援し鹿児島中央駅に戻ると応援者はゴールしていた。夕刻からは焼肉屋で完走を祝う。
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https://www.mod.go.jp/msdf/equipment/ships/ddh/izumo/
宿泊先:リッチモンドホテル鹿児島金生町

2024年3月4日(月)
 昨日に引き続き、青空が広がる鹿児島市。9時4万円突破を確認してから宿舎を出る。今日は鹿児島市平川動物園に行く、過去から何度も興味を持っていたがスケジュールが合わず、道路の案内看板を見て通過するだけの場所だった。調べると大正5年(1916年)に鹿児島市鴨池に開園し、昭和47年(1972年)に平川の地に移転している歴史ある動物園だ。入口正面に桜島を借景にしたアフリカの草原が広がり、キリン、シマウマ、サイ、ダチョウがのびのびと生活している。他では見る事が出来ない動物園の風景に圧倒され4時間ほど見学した、しかも足湯に浸かりこの景色を楽しめるタオル必需の動物園。
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 罪獣の様な檻にいる動物を見ると少し心が痛むが、自由空間が広い檻のない工夫している展示には好感が持てた。展示される動物の種類にもよるが、自由に生活している姿を、出来れば近くで動物に感づかれない様に見学したいものだ。
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 遅めのランチは「開花亭 谷山本店」でとんかつを頂き、満足すると曇天となる。早めにチェックイン、大浴場に浸かりのんびり過ごしていると夜になった。夕刻のローカルニュースでは「今日から田植えが始まった」と報道されていた。桜の開花はソメイヨシノを指しているので、鹿児島では遅めの開花予測となっているが、種類の異なる桜は其処ら中に咲いている。パンジーやポピー、シロツメクサも満開だ。植物は気候をよく理解している、人間も冬は温暖な地域で生活したいものである。
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移動距離:33.6km
平均燃費:20.0km/L
平均車速:21km/h
宿泊先:ホテルウェルビューかごしま

2024年3月5日(火)
 昨夜から降り出した雨は今日中降り続く予報である。こんな日は館内見学をするしかないので「黎明館」https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/index.htmlに行って見る。専用駐車場には係員がいるが利用無料。常設展示には縄文、弥生から現在に続く鹿児島の歴史が紹介されてあり、印象的な場所は入り口の鹿児島県全体を俯瞰できる地図模型だ。北は長島(獅子島)から南は与論島まで南北が長く、そして活火山の多さは豊かな自然と脅威を想像する。県民の皆様には失礼であるが、怖いもの見たさ的な感情が湧く鹿児島県だ。この魅力に引き寄せられて、南蛮渡来が続きザビエルがやって来たりしたのだろうか?そして渡来人との交流から異国の情報を早くから知り、対策を講じて準備をした事が明治期のパワーとなったのだろう。そんな事を思いながら偉人たちの紹介を見学していると昼となる。ランチは「いちにいさん 鹿児島本店」で大満足、やはり鹿児島に来ると1度は食べたい所、感動はいつもと変わらない。午後からは激しい雨も降り、R226を南下して指宿に向かう。
 15時過ぎには到着し宿の温泉、元湯温泉を楽しむと体が温まり、Tシャツ、パンツ姿でゴロゴロと過ごす、最高気温は20℃近くあり心地よい南国の温泉を満喫。夕刻になり外食先に向かうが休日と見た目で断念、部屋でカップラーメンの夕食となる。かなり傷んだ状態の指宿温泉街には、砂むし会館以外に人はいない、20時就寝。
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移動距離:70.0km
平均燃費:20.1km/L
平均車速:27km/h
宿泊先:民宿・指宿

2024年3月6日(水)
 雨上がりの朝、最低気温14℃と温かく暖房不要で熟睡。6時から朝風呂、朝食を済ませて徳光神社に向かう。祀られているのはサツマイモを琉球から持ってきた「前田利右衛門」である。南米出身の芋は、地球東回りで1607年に琉球に伝わっている、それから100年後、この地に前田さんが持って来たそうだ。唐芋(カライモ)から薩摩芋(サツマイモ)へ名前が変わったのもここから始まった。参拝すると黄金千貫らしき芋が奉納してあり、現在も地域の人々から信仰され続けている神社であることが確認できた。
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 近隣の主な観光施設を巡り見学するが、過去に何度か立ち寄っているのであまり感動は無く、サツマイモを探しながらコインランドリーで洗濯して宿に戻る。
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移動距離:73.2km
平均燃費:23.1km/L
平均車速:26km/h
宿泊先:民宿・指宿

2024年3月7日(木)
 朝風呂で指宿温泉を楽しみ、朝食を済ませ「ブギウギ」を視聴してから宿を出る。宿のご夫妻に丁寧な見送りを受け、R269で「道の駅 山川港 活お海道」でサツマイモ(紅はるか)を購入。
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 山川製塩工場跡から開聞岳の風景を眺めて、R226開聞十町の道路沿いにあった「まつざわ農園」に立ち寄り、更にサツマイモ(紅はるか)5kgを購入。生産直売かと思って話したが、近所の農家生産分を販売していた。〇〇農園という表現に惑わされる... 番所鼻で繁殖したタツノオトシゴを見学、r29で茶畑を抜けて南さつま市(加世田)に向かいpoturiという焼カレー屋でランチにする。店内の佇まいが昭和の病院みたいだな?と思っていたら登録有形文化財だった。https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192540
店外に出ると近隣もそんな建物が多く、このエリアが武家屋敷群の残る加世田麓だったと知る。「万世特攻平和祈念館」を絶句したまま見学、この歴史の上に自身もある。残る人生も律して行こうと思う。
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 加世田郷土資料館を見学してからR270で加世田を離れ、田植えが始まった金峰町を抜け、r22で伊作峠を越えて鹿児島市谷山に戻り、R10鹿児島マラソンコースを辿りながら、霧島市国分の宿舎に16時半チェックイン。
移動距離:166.2km
平均燃費:22.8km/L
平均車速:34km/h
宿泊先:サンホテル国分

2024年3月8日(金)
 今日は自宅に戻る日だが、到着は9日(土)となる予定で長い1日の始まりだ。昨日よりホテルの窓から見えた展望台が気になり行って見る。
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 国分の平野が一望出来て、海の向こうに桜島が浮かんでいる、田園地帯に大きな2工場(京セラ、ソニー)があり、これが原動力となり成長した感じが俯瞰で感じられ、宿舎周辺の飲食店、夜の街の充実がそれを物語っている。新しいマンションも多数あり、すでに第1次産業の町ではない。鹿児島空港も近く温暖で広い土地もあり魅力ある町に感じられ、我が故郷の「和気清麻呂」ゆかりの和気神社もあるので何だか縁のあるところだ。R504でさつま町を経由して長島に向かう。途中は自動車専用道路が一部完成し、険しい紫尾山麓もスイスイと抜けられる。
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 「道の駅 黒之瀬戸だんだん市場」で生キャラメル芋(紅はるか)を購入、生産現場である長島を巡ってみるが、現在はジャガイモ畑が広がる。
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「道の駅 長島」まで進み昼食を済ませて、サンセットの丘にある長島町歴史民俗資料館を見学、昭和57年に牛を使った農耕をしているカラー写真が展示してあり興味深い。子供の頃、我家にも牛がいた事は記憶しているが農耕をしている光景は記憶にない。個人的には高知県の山中で見た(2022/1/19 https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-01-14)多数の犂の実際の使用方法を見てみたいものだ。牛を使った農耕も、鵜飼の鵜匠の様に公務員としてでも残す価値があるのではないか。
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 遠くに牛深の町が望めるが、今日は風が強く車外では活動したくない状況なので、早々に撤退。
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 この地を13:40出発して自宅へ向かう。R389→R3経由し水俣ICから自動車専用道路に入り、八代から九州道を北上、福岡で日没、古賀SAで夕食を済ませると暗闇となる。佐波川SA、宮島SAで休憩し高坂P付近から降雪となる、温暖な鹿児島が羨ましい... 福山SAで最後の休憩を済ませて、予定通り高速道路週末料金で岡山ICを出る、25時自宅着。
移動距離:806.4km
平均燃費:18.9km/L
平均車速:66km/h

サツマイモの故郷で様々なサツマイモを購入して見たが、自宅に戻りそれぞれの芋を計測チェックをすると、いい按排な価格設定もあれば、重量に基づく正確な価格設定もあり生産者、販売者の思惑も重なり人それぞれで面白い。残念だった事は5kgという重量で購入した芋の実測は4.7kgしかなかった事である。誰も測らないだろう、という思いで芋2個抜いたのかもしれないが、購入した側は、たったの芋2個で騙され感は強く開聞で買った農園のことは忘れない。やはり正直に実直に販売することを肝に銘じる。この様にしてマラソン応援の旅は終わった。

日本経済新聞社がプライム市場から選定した225銘柄平均株価 [日常の独り言]

 2024年2月22日(木)
1989年を振り返ると、1月6日に長男が生まれ、1月7日に昭和の時代が終わった。4月1日に物品税から消費税3%に変わった。12月29日に日経平均株価38,957円を記録し、26歳の私は華やかな平成の時代の幕開けだと思っていた。がしかし湾岸戦争、阪神淡路大震災、リーマンショック、東日本大震災、熊本地震、コロナパンデミックと記憶に残る事は必ずしも明るい事項ではなかった。そして今日、私は少しだけ明るさを感じられる次の時代に入ったと思えた。
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 物価高はサラリーの無い私にとって脅威である、貧富の差も拡大するだろう。それでもこの34年間に引き戻すような事態は願わない、見た事が無い次の風景を楽しみたいと願う。
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 それにしても、この状況下で所有する我が株は、何の利益も生まず、含み損拡大あるのみ。信じられない現実と格闘する日々は続く。
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【旅】高知龍馬マラソン応援の旅 [【旅】2024年]

2024年2月17日(土)
 前日に飲み過ぎて、出発予定を7時間遅れで自宅を出発した。早島ICから高速道路を利用、快晴の瀬戸内を渡りオレンジ色に染まる川之江市の製紙工場を逆光で眺めながら、ノンストップで南国ICを出ると夕刻となり、マジックアワーの中で田園地帯にある宿泊先にチェックイン。高速道路を利用するとプロパイロット1.0でも楽々ドライブである。3日酔いにならぬように早めに就寝。
宿泊先:サザンシティホテル

2024年2月18日(日)
 曇天の朝、今日は快晴の天気予報。高知市内のマラソン大会交通規制が始まる前に始動する、とりあえずフルマラソンの中間地点になる桂浜に行って見る。観光駐車場の手前にあった@200円パーキングに駐車し、観光客のまばらな静かな浜の環境を楽しむ、太平洋らしく時々大き目の波が打ち寄せている。
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 9:40からの交通規制までに高知競馬場に移動。ここに駐車して桂浜から西に向かうr14海岸線まで歩き、フルマラソンの応援をする。https://ryoma-marathon.jp/course/
10:20に先頭集団が通過、その後、青山学院メンバーが集団で通過。軽やかな足取りは同じ人間業には思えない。
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沿道だけでなく海上からも応援する人々もいた。
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 レース3時間のペースメーカーが来るまでは縦に長い列となっていたが、4時間のペースメーカーが来ると幅広く集団走行となり、市民マラソンの様相となった。「応援ナビ」アプリで再々個人的な応援者を確認していたが、いきなり300m位データがワープ、11:40頃目前を通過したらしく残念ながら発見する事が出来ず、よって応援も出来なかった。このままでは目的を達する事が出来ず25km地点から歩道を歩いて37km地点まで移動していく、このエリアでは立ち止まり、座り込み、歩きも多くなり一部ランナーを我々応援者が追い越してしまう。まだ残距離も多く気持ち的に厳しいエリアなのだろう。再度応援のチャンスを待ち受けるが、応援走者が仁淀川河口で動かなくなった。35km地点の記録が出ない。30分程そのままの状態が続き...遂に倒れたか?と心配したが、見事に復活し14:13に戻って来た。応援する側はお気軽に、応援出来てよかった。と思うだけだが走者はプレッシャーによく耐えたものだ。そして完走、感動...ご立派。
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 その後r14の海岸線を歩いて引き返した、交通規制がされランナーも車も無い道路には波の音、トンビの声だけが響き二人だけの、素敵な直線の海岸道路(2km程度)散歩となった。
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高知競馬場からホテルに移動し16時前チェックイン、17:30~高知のご家族と海の幸三昧...
宿泊先:ブライトパークホテル

2024年2月19日(月)
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 昨夜の酒もスッキリ抜けて、高知のお土産を頂きにお邪魔してから、雨の降らないうちに牧野富太郎さんの生まれた佐川町に向かう。このシーズンに見られる梅花黄蓮(バイカオウレン)の開花を見てみたいと思い「土佐加茂」駅前にある「集落活動センター加茂の里」に行く。
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@300円を支払い、整備された山道を登ると群生地があった。連続ドラマ小説「らんまん」では、万太郎の母が好きだった小さな白い花が、杉の木立の中に咲いている。
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 見たかったシーンが見られ大満足。佐川町の中心部にある牧野富太郎さんが生まれた場所「牧野富太郎 ふるさと館」「金峰神社」を巡ると本格的な降雨となった。
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もう少しゆっくりと見学したいが腹も減り、日高村の「レストラン高知」オムレツランチで更に満足。「まきのさんの道の駅・佐川」で休憩するが、雨足は強くなり帰路につく。今日から暫く菜種梅雨予報、伊野ICから高速道路を走り水島ICで岡山県に戻ると青空交じりで、低い雲の流れる岡山平野では藤田に虹が掛かっていた、16:30自宅到着。
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移動距離:424km

【登】種松山公園 -2024/2/13- [【登】]

 暖かな陽気に誘われて、倉敷市の種松山(たねまつやま)に出かけた。標高258mの山頂まで車で登れるので誰でも気軽に行ける低山である。
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 山頂付近には倉敷市中央斎場があり、周囲は新たに開発されたTVCMでもお馴染みの墓地となっている。公園として整備され遊具や展望台があるが、素直に気持ちの良い山の環境とは感じられない。眼下には水島コンビナートが見え、風もなく煙突からは真っ直ぐに穏やかな煙が上がっているが、各工場からの騒音は唸る様な低音となって聞こえる。そんな中でロウバイが満開を迎え、子供の撮影や花の撮影の興じる人々が集まっていた。
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 吉備の穴海を埋め立て広大な農地を作り、中山間地から水路を引いて大規模な農地を作った岡山平野であるが、現在栄えるものは工業地帯である。この工業地帯が無かったら岡山平野は何になっていたのだろうか? https://suido-ishizue.jp/nihon/08/00.html
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 現在の土地の使われ方が先人たちの思いとは異なっていても、それが人々の暮らしなのだ。そのほんの一端を私も担っているはずだ。残された時間、さあどうするか。
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2024年2月7日 岡山後楽園の芝焼き [季節]

 今年も我が家の庭の芝焼きが予定されたが、開始前に小雨となる。それでも開催するというので見学する事にした。雨に濡れた芝では炎に勢いがなく、昨年の様な迫力がない。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-02-03
 それでも幾たびか龍が舞い上がる光景を眺め、少しだけ芝焼きの季節を感じる事が出来たが、しばらく降雨が続き、遂に芝は燃えなくなってイベントは中止となった。寒いし濡れるし炎もなし、残念な芝焼きとなる。
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 庭の池にはヌートリアが悠々と泳いでいた。
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狂い咲き [季節]

2024年1月29日(月)
♪燃えて咲くのが花♪ ♪夢で咲くのが恋
ひとり咲き♪(狂い咲き)
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本日、岡山県総合グラウンドを散歩中に、何故かこの曲のフレーズが頭の中で流れた。サツキが堂々と咲いている。我が家の庭では梅が開花し始めたが、それよりも早くサツキが多数開花している、半年後にも咲くことが出来るのか?大丈夫か?とサツキに聞くと、燃えて咲くのが花♪狂い咲き。なんだそうだ。河津桜の開花も全国で報告され始め、2024年は全てが狂い咲きになりそうだ。
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【旅】広島・焼き芋販売の旅 [【旅】2024年]

2024年1月26日(金)
 今年初めての旅先は広島。ブギウギを視聴し、一昨日から3回焼いた焼き芋計10袋持って8時半自宅を出発する。R2を西に進み倉敷を通過するまでに1時間かかった、道路整備の遅れは岡山県の課題である。福山市で2店舗訪問し焼き芋を販売、昔話で楽しみながら、三原市でも油を売って焼き芋も買っていただく。気が付けば14時半となり、広島市を目指してひたすら西へ。O店でも焼き芋を買っていただき中島町で全部品売り切れた。ありがとう、感謝。其々美味いイモである事を祈ります。18時宿にチェックイン、誕生日価格という特典で宿泊費1100円、駐車料金500円合わせて1600円。その後はS社メンバーと楽しく夕食、お好み焼きまで食し時間もわからないままホテルに戻り爆睡した。こうして61回目の誕生日を過ごした。健康で自由に動けて酒も飲める、幸せな時間だ。
宿泊先:広島ガーデンパレス

2024年1月27日(土)
 目覚めると8時過ぎ、昨年食べられなかった丼ランチ(https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-11-29)を目指して、11時まで時間調整。R54を北上し広島ICまでスイスイと走る、片側5車線まで整備された道路は、毎日渋滞の岡山県にも見習ってもらいたい。八木でUターンして吉島の目的地に11時着、念願の麻婆丼を一番乗りで頂く、少し山椒の辛みが不足気味?と思いながらも10年前と変わらない店内、スタッフに懐かしさを感じながら100円値上げされた800円を支払い店を後にする。
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あとはR2を東進、バイパスの整備が進み、一気に西条まで走り抜け瀬野の渋滞が懐かしい。東広島市の道照交差点(立体交差工事中)以外渋滞はなく、流れに乗って岡山市到着。馴染みの渋滞R2(バイパス信号機多数?30年前と変化なし)に飛び込み16時半自宅到着。東西を繋ぐR2渋滞難所岡山は、両隣県の道路整備により益々クローズアップされている様に感じる。県内南北の道路整備は県北過疎化の促進となる、それよりも東西の渋滞緩和整備を優先する事を希望します。
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途中の福山市で走行距離6万kmを越えた、納車後2年1ヵ月。
 いつもながら一人でドライブしていると色々な事が頭に浮かび消えていく。行き交う其々の車に、バスの行き先表示の様なモノで、ドライバーの頭に浮かぶ絵空事が自動的に表示される装置があると愉快かも知れない。自動運転レベル5になれば、車内「宴会中」とか「会議中」「就寝中」「妄想中」等表示して走行して欲しい。車同士がコミュニーケーションして、ペットを通して人間関係が出来る様な車社会も創って欲しい。
 シンギュラリティ時代は、あっという間に想像を超える実現を見せてくれるだろうか、一端でも経験してみたいものだが、アナログに移動を楽しむ事はなくならないで欲しい、瞬間移動は多分面白くない。そんなこんなで岡山広島間の楽しい2日間だった。

移動距離:385km

想像力 [日常の独り言]

 人のことを想い想像する、地域のことを想い想像する、様々な現象に対してリアルに想像できる力は個々人の経験と見識の幅なのかも知れないが、想像する力は建設的なエネルギーだと思う。自身の経験値を生かし、困っている人々をリアルに想像する事に努力する。願い思うことは必ず伝わるものだと信じ、想像力を働かせ毎朝を迎えたい。しかしながら想像を超える事態に、私はなんと非力なことか、無念であるが祈るしかない。今日も焼芋を焼く...
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芋を焼く日々(自己満足の100点) [焼き芋]

2024年1月13日(土)
 正月明けから毎日焼き芋を焼く日々が続く、シルクスイートも完熟期を迎え、ホクホク感からねっとりした食感の焼き芋になって来たので、今が焼き芋の旬なのだ。「より多くの人々に我が手前イモを食して頂き、感動をしてもらいたい」という自己都合な欲望と、トラタヌ小遣い稼ぎに目がクラクラしながら朝食後8時半から取り掛かる。

・8:30 芋の洗浄と下処理、オーブン予熱
・9:00~11:00 芋焼き
・11:00~14:00 蒸らし
・14:00~15:00 常温まで冷却(常温で袋に入れないと湿気る)
・15:00~15:30 計量、ラベル貼り、袋詰め

以上7時間の行程で、我が家のオーブンレンジでは7個のサツマイモが「焼き芋」として仕上がる。昨年末までアルミホイール焼きに拘っていたが、正月に田舎で壺焼き芋を始めて、今月から焼き方を素焼きに変えた。焼き芋の香りと、流れ出た蜜と皮が炭化した香りは、やはり焼き芋の醍醐味である。
https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2021-10-15
2年前にオーブンレンジ同価の壺を買い、あれこれ試し3年かけてここまで達する。この先も進化を追い求めるつもりでいるが、現在の手前イモは自身過去最高の仕上がりだと実感している。年末から特約店ルート押売り営業も始めてみた、2度目の押売り営業には心が痛む...が「自身過去最高の仕上がり」を信じて挑戦する。
 自ら購入をご希望される場合は、下記JA百菜市場和気店に出品中。尚、ご要望頂ければ日本全国配達、発送いたします。
https://www.ja-hareoka.or.jp/market/hyakusai.php

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龍が火を噴く2024年 [日常の独り言]

「正月三が日」朝市、飛行機、北九州と焼き尽くされた。
天災と人災は、忘却と油断によって引き起こされるモノならば、気を引き締めて向かわねばならぬ辰年である。
 人間万事塞翁が馬

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2024年1月4日(木)
 9時に自宅を歩いて出発、氏神様の尾針神社に参拝してから、備前国一宮「吉備津彦神社」、備中国一宮「吉備津神社」と初詣に回った。吉備津彦神社では想定外に地味模様、新年3ヶ日の災害後なので仕方ないのだろう。その間に東証大発会は大幅下落し、2024年のスタートはマイナスからだ。復路はJR吉備津駅からディーゼルカー(@270)を利用、14時自宅着。
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あけましておめでとうございます [日常の独り言]

2024年、波乱の年明け
岡山県地方は、ぽかぽか陽気でひなたぼっこをしています。今年もサツマイモを作りながら自由な旅をしてまいります、どうぞよろしくお願いいたします。
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【旅】高野山への旅 [【旅】2023年]

2023年12月13日(水)
 今年の春(3/5~18)、「四国八十八ヶ所巡礼くるま旅」をした。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-03-05
その後、高野山の弘法大師に会いに行く予定でいたが、還暦記念旅行、芋苗の植付を終えるとすぐに、北海道の旅に向かう事となった。その途中(紋別市)で坐骨神経痛を発症し、帰宅後の8月からは通院生活を続けていた。歩けるようになったら高野山に行くことは決めていたが、尻と腰の痛みを抱え、妻にも迷惑をかけながら9~11月に芋掘りを終え、おかげさまで通院生活を終える事が出来た、なのでさっそく高野山に向けて9時出発する。岡山市内の混雑を通過しR2を東進、ブルーハイウェイ経由で日生の寒河から赤穂ICへ、竜野西ICまで高速道路を利用してから、姫路バイパス、加古川バイパスと走る。明石市大久保駅前の「明石焼き お好み焼き一休」でランチを済ませ、更にR2で神戸市内へ。阪神高速湾岸道に向かうハーバーハイウェイに乗る手前で、ナビの「Panasonic ゴリラ」が暴走をはじめ、肝心なところで役立たず。あほPanaナビはそろそろ限界なのか?仕方なく純正のナビを使用しながら、快晴の大阪の街を遠景で眺め、気持ち良いドライブ。万博会場建設現場は、クレーンアームだけが立ち並ぶ平地だ、出島ICから一般道路へ。混雑する堺市、河内長野市を過ぎ、紀見トンネルで和歌山県に入った。15時ホテルチェックイン、少し早いが、こんな時間から大浴場に浸かり満足。
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 寝るには早いので近くの「JA紀北かわかみ やっちょん広場」まで散歩をする。紀ノ川沿いの風景は、対岸の徳島の吉野川と似ていて、中央構造線沿いであることを実感する。
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 昨年10/18に愛媛県で中央構造線の露出部分を見たが、何だか理解できなかった。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-10-12
地図を見ると、紀の川の上流部、奈良県域では「吉野川」と表記されている。よって紀の川は、海を越えて吉野川に挟まれている?紀伊半島側から川を見ると「吉野川→紀の川→海→吉野川」となるのだ。四国から見ると、UFOラインにあった吉野川源流から早明浦ダム、大歩危小歩危を流れ、徳島から海へ出て、紀の川から吉野川に登り、三重県の大台ヶ原が紀の川源流となる。海から川を上ったり下ったり壮大な冒険旅行を楽しむ、魚の気持ちも少しわかるような気がする。そんな事を思いながら夕景の紀ノ川の土手を歩いたあと、スシローで夕食後、大浴場を楽しんで眠る。
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走行距離:234.5km
宿泊先:ルートインホテル橋本

2023年12月14日(木)
 5時入浴、明るくなる空を眺めて7時過ぎに朝食を済ませ、普段の朝の生活リズム通り9時出発した。ビジネスホテルらしく満車だった駐車場にはタクシーとスタッフの車のみ。
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 九度山からR370で高野山に向かう、途中の道路は崩落し、特に歩道は通行不可能な部分が多かった。近年の災害は記憶に少なく、なんでこんなに酷いのか?理解できずに片側交互通行の国道を登る。検索すると2011年の台風12号による被害が出て来た、2011は東日本大震災の記憶しか無いが、日本列島は毎年どこかで災害が発生している事を再認識させられる、ここで生活する人々からは叱られるが、12年経ってもこの状況では、大金を叩いて、ここにアスファルトの道がいるのか?という疑問だった。空路利用整備が急がれる。
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 高野山では奥の院にまっしぐら、中の橋駐車場は路面が凍っていた。吐く息も白く、山深さを感じる。杉の大木で覆われた墓地には、歴史上の人物や企業の名が刻まれている、弘法大師を見ることは無かったが「満願」となった。
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 金剛峯寺まで散策し「万丸」という定食屋で昼食、腰痛の不安もあり駐車場までの復路はバス@270を利用。お助け地蔵尊に立ち寄り、復路は道路環境の良さそうなR480で「かつらぎ」へ、ブレーキペダルを踏みながら降りた。e-power回生ブレーキの改良(放電方法)を望む。「道の駅くどやま」で柿を買い、思ったよりも遠い今夜の宿に向けて走る。ナビの誘導に任せて、橋本ICから京名和自動車道で橿原市、桜井市、宇陀市へ

走行距離:124.4km
宿泊先:美榛苑(みはるえん)

2023年12月15日(金)
 美肌の湯と表現されている温泉水は、肌にヌルっと感がありとても気持ちのよい温泉だったが、残念な事に消毒臭が強かった。しかしながら15時~翌朝9時まで入浴可能で、合計6回の入浴を楽しむ。ウエルカムドリンクからカップラーメン、まんじゅう等の無料提供、子供向け施設もあり、同輩の利用だけでなく若いファミリー利用も見られた。少々のんびりして10時前に出発、地図を見ると三重県境も近く、少しだけ越境して名張市郷土資料館に立ち寄る。縄文、弥生時代から人々の暮らしがあり、九州北部から伝わった稲作が、この地でも暮らしを豊かにしたそうである。
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 山間部から名阪国道に出ると降雨となり、嫌な予感通り、事故渋滞が発生していた。福住ICからr186→r80で奈良市へ降りて、そのまま今夜の宿「猿沢池」付近の駐車場に到着、奈良盆地は晴れていた。この場所は小学校の修学旅行で訪れ、当時は欲しいものだらけのお土産屋さんが立ち並ぶ、憧れの地だった事を覚えている。今もある「猿沢商店街」を覗いて見るが、心躍る品物はもう無い。
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 しかしながらこの池には奈良らしさを感じられ自己満足。商店街で昼食を済ませて、奈良公園を散策、春日大社まで往復し、鹿と観光客の戯れを眺めていると、なぜ鹿せんべいを売る人には、鹿はせんべいをねだることは無く、買った人にはお辞儀してせんべいをねだるのか?不思議に思う。たぶん売る人は、毎日鹿に厳しく説教をしているのだろう。歩き疲れて15時に宿に行くが、チェックインは16時からだったので、若草山に車で登る。水蒸気に白く霞む盆地を眺め、ここでも鹿せんべいで鹿と戯れる観光客を遠目で楽しんだ。
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_DSC1079 (1).JPGチェックインを済ませて、うどん屋で夕食。夜の猿沢池を散策し眠る。

走行距離:71.2km
宿泊先:ホテル 古っ都ん100%

2023年12月16日(土)
 今日は、夕刻までに自宅に帰る日になった。
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夜間に降った雨も上がり、近隣のカフェで7時からモーニングを食し、興福寺を散策していると無銭飲食の鹿を見つけた。8時から鹿せんべい売り場を設置し、近辺を掃除しているおばちゃんの店だった様で、束のままのせんべいを、バリバリと食べている証拠写真を撮影しながら追い払ったが、私に対する鹿の態度が不満そうだった。
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「おばんさん食っとったぞ、無銭飲食じゃ」と言ったが慌てる様子もなく、定位置の椅子に戻ると、鹿はおとなしくその場に立ち尽くしていた。おばちゃんから厳しく説教を受けているのだろう。
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 9時過ぎにチェックアウトを済ませて、近鉄奈良駅から大和西大寺に電車で移動、2022年7月8日https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-09
 安倍さんが銃撃された北口を通過して「平城宮跡資料館」を見学する。弘法大師がまだ幼少期の784年に平城京から長岡京に遷都し、835年御入定29年後の、864年には平城京は田畑になっていたそうである、江戸末期1852年に、北浦さんが「平城宮大内裏跡坪割之図」を完成するまで、忘れられた古都は土中に眠り、1959年から発掘調査が開始され現在に至る。未だに未開の地は多く、もし国宝級の発見があれば、大和西大寺から奈良駅までの近鉄奈良線は撤去されるだろう。そんな感じで地図と地形を眺めた。しかし奈良時代はなんと広大なエリアで、肉眼で判別できないほど離れて天皇に接見し、儀式を執り行っていた事か...それとも奈良時代の人の視力は5.0程度あったのだろうか?
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 第2阪奈道路で生駒山を抜け、大阪城を右手に見ながら天保山まで出て、住吉浜から一般道路で神戸、明石を通過、西明石からR250で姫路へR2で自宅18:45到着。
これにて2023年の旅は終わった。
走行距離:218.1km

総走行距離:648.2km
燃費:19.5km/L
走行時間:18:51
平均速度:34km/h

通院生活--終-- [日常の独り言]

2023年12月12日(火)
 8月から続けた通院生活の終わる日が来た。早朝より芋を焼き通院の準備を進めながら、つながれた気分の通院から解放される喜びをかみしめる。これで長期の旅もまた出来るのだ。いつもの診察を受け、薬も止めて大丈夫だろう。と主治医が言った。正直には腰の痛みはあるが、重たいものを持たなければ大丈夫である。自身の体をいたわり、無理はせず、回復した体に感謝し、周囲の皆様に感謝しながらこの先の人生を楽しみたい。ヤッホー!
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【登】夕立受山 -2023/12/4-  [【登】]

 陽光に誘われ、晩秋の瀬戸内風景を見に行く。夕立受山は岡山県備前市にある標高209.7mの低山であるが、海から直接立ち上がった山容は偉大さを感じる。登ると言っても殆んど車で上がる事が出来て、最後800歩程度で山頂に到着する。山頂からは小豆島を背景にした逆光の瀬戸内が望める。
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 太陽の位置が低い季節の瀬戸内はどこも逆光で見慣れた風景だったが、今年3月に対岸から眺めた風景は、色鮮やかな順光の瀬戸内だった。
https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-03-05
近距離から同じ海を見てもこんなに違うモノに見える事は、経験して初めて知る事実だ。こんな事は生活の様々な場面にたくさんあるのだろうと思うが、経験するまで気が付かない...この先も、初めての経験を重ねて楽しめる自分自身でありたい。
 昼食は、日生のお好み焼き・掘に行く、平日の11時過ぎなのに、既に4組ほどが店外に並んでいた、期待していなかったカキオコを事前注文して、20分程度並んで待つ。鉄板で食べられるお好み焼きは非常に美味しく驚く。品物は違うが、広島のお好み焼きよりも多分うまい。期待を裏切られ、近所の持ち帰り需要が旺盛な事もよくわかる。
https://tabelog.com/okayama/A3305/A330501/33000402/
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 食後は、頭島を1周散歩して小春日和の瀬戸内を楽しんだ。
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閑谷学校に立ち寄り、紅葉を眺め、和意谷の池田家墓所に行って見るが、山中で日没が近づき、野生との遭遇を遠慮して途中で引き返した。次回チャレンジへ…
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広島の旅 [【旅】2023年]

2023年11月28日(火)
 AM9:00青空の自宅を出発してR2を西に向かう。倉敷までは交通量も多く信号による停滞気味な流れである。玉島笠岡道路の終点から先は里庄、笠岡、福山と半世紀前から変わらないR2の景色が眺められる。福山市内で11:00となり蕎麦でランチを済ませてから、曇天の広島県を西へ、「道の駅 みはら明神の里」で休憩。
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 尾道、三原バイパスが繋がり快適に本郷町まで抜ける。東広島市の上三永まで登るR2からの棚田農村風景は少しづつ荒廃が進んでいる様に見えた。「道の駅 西条のん太の酒蔵」という新しい施設で休憩し、広島市内まで繋がったパイパスを利用して中区中島町まで40分で到着した。持参した焼き芋を販売し620円の売上を頂き、本日の宿に15時チェックイン。本通り商店街、ひろしまゲートパークを散策しているとYAZAWAのトラックがグリーンアリーナにあり、明日のコンサート準備が進んでいた。
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 城南通りの北側には大きなサッカースタジアムの建設が進む。夕食は、今回の目的である「お好み焼き」を食し満足。
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走行距離:171.1km
宿泊先:ひろしま国際ホテル

2023年11月29日(水)
 久しぶりに広島の空気の中で目覚め、午前中は郊外のショッピングセンターを散策し過ごした。ランチは吉島の「鳳琳」の麻婆丼と決めていたので、早めにお店に到着するも定休日だった。仕方なくタカノバシ商店街に行って見る。商店は減り、飲食店舗は殆んど無くなっていた。四川麻婆専家・辣辣にはサラリーマンの列が出来ていたが、口がしびれるので止める。昭和な喫茶でランチを済ませて、懐かしい1万トンバースに立ち寄ると「海王丸」がいた。
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 広島に来ると何故かここに足が向く、40年前の様に誰でも自由に出入りできない状態になっているが、楽しかった青春時代がここにあったのだろうと思う。2007年にそんな思い出をこのブログに記している。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2007-06-07
波止場公園には国際クルーズターミナルが建設中だった。ここに再び、隣国からの大団体が客船でやって来る様になるのだろう。コロナ前の博多の様な状態は見たくない光景であるが... 外貨を稼ぐ為には、やかましい観光客にも頭を下げて焼き芋でも売ろう。ファンイングゥァンリンだ。しばらく市内を周遊し、変わりゆく街の光景と変わらない山並みを眺め不動院に立ち寄る。牛田新町に4カ月ほど住んでいたにも拘らず、来たことが無かった。爆心地から比較的に近いエリアであるが、地理的な要因により被害は免れ、昭和33年に金堂が国宝に指定されている。
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 少し早いが15時に今夜の宿にチェックイン。部屋の窓からは平和公園を見下ろす眺望、修学旅行を含めて観光バスが駐車場を埋め尽くしいている。広島に住むと平和公園内は散歩か、通過する事はあるが、各施設を見学する事はない。今日は観光客になって、久しぶりに平和記念資料館を見学してみる。
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 一人50円だった入館料は200円となっていた、展示資料は長くは見ていられないので人込みを避ける様にスイスイと進み、30分程度で順路を巡った。想像以上に外国人観光客がいて、静かに資料を見、読み、端末の案内をヘッドホンで聞いている。体験した事のない原子爆弾の熱量を肌で感じているのか?この先の人類の破滅を思うのか?愚かさを思うのか?それでも戦い続けるのか?様々な感情を得、そしてこれが広島観光だとすると、ここを出てから夕食の時間はどんな気持ちで、どんな味のモノを食べるのか?想像をしてみるが、動物として食べて、今を生きている事への思いはどこの人も同じだろう。広島でお好み焼きを食べると、資料館で得た感情を思い出すような事態になっているのかな? 個人的には平和記念資料館の見学は、午前中の方がよろしいかと思います。そして午後から厳島神社へ参りましょう。日没と共に鉄板焼きを食し早めに眠った。
走行距離:48.0km
宿泊先:ホテルマイステイズ広島 平和公園前

2023年11月30日(木)
 ホテルの窓を開けたまま眠っていたが、室内は快適な空間だった。コンビニ朝食を済ませて9時半出発、呉を目指す。
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 自動車専用道路を利用すると40分で呉駅前に到着、時間により変わる中央線のR31を南下していた頃の半分以下で到着する。矢野で渋滞して坂町を過ぎ、小屋浦、天応、かるが浜と海岸線をのんびり移動していた頃からすると、超便利を享受する自動車移動の現在である。これが本当に求めていたモノなのかどうかはわからないが、使えるうちに使っておく方が良いのかも知れない。そう思って日本全国の車旅をもう少し続けようと思っている。みかんの季節なので倉橋島の桂浜に行って見る、海岸から瀬戸の浮島が望めた。
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 石地ブランドミカンは無かったが、早生ミカンを道端で購入し引き返す。阿賀ICから上三永ICまで自動車専用道路を走りR2を東進。福山西IC~玉島ICまで高速道路を利用して17時に自宅到着。気が付くと音戸からノンストップドライブだった。
走行距離:256.0km

通院生活 [日常の独り言]

2023年11月14日(火)
 夏旅から症状が発生した「坐骨神経痛」から通院していた病院に行く、少しだけ左足に痺れ感はあるが5km歩いても痛みは少しだけしかなく、「もう治った」と言い放ち診断を受ける。落ち着いたようだな...といいながら1カ月後にもう一度通院して終わりにしようと主治医の爺さんが言った。やったー!と絶叫したくなるような喜びを表面に出さぬように「そうですか?」と返事をして、持参した生サツマイモを手渡して「おかげで芋掘りも終り冬を迎える事が出来る、ありがとう」といって別れる。症状が治まらない頃に「治せないなら近くの違う病院を紹介してくれ」と言うと、それは患者の勝手だ。自分で病院を探して来れば紹介状は書く、と怪訝に言い放たれた事もあった。湯治に行くと症状が改善したので薬の効果は全く認められない。と文句も言った。
https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-09-26
https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-10-11
自己中な患者であるが、病院にとって患者は重要なお客様である。お客様の症状を治して当たり前かもしれないが、今日は立派な医者に見えた。感謝

芋掘りラストスパート --その2-- [【芋/2023】]

2023年10月28日(土)
 10月は1,17,22,24,25,28日と6日間の芋掘り修行に挑み、2千個を超える芋を掘り出し、2日間程度の作業を11月に残す事となった。おかげさまで暑かった9月が嘘のように、作業には気持ちの良い天候が続いた。芋乾燥の為の運搬量も徐々に増し、腰には堪えるが、回復傾向が感じられ日々の体調が楽しみな状態でもある。さあ焼き芋の季節だ。
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芋掘りラストスパート [【芋/2023】]

2023年10月22日(日)
 いよいよ芋掘りを終わらせなければならない時期が来た。霜の季節はまだ先であるが、掘った芋の乾燥作業期間、保存場所の問題もあり今月末が締切期限だ。
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 秋空の下、泥と芋汁にまみれて終日作業、山の端に日が落ちる頃、鹿の鳴き声も騒がしくなり終了。足腰の痛みも忘れて挑み続けたが、作業を終えると痛みは戻る。「農作業は苦にならぬよう、楽しみながらやる」と思っているが、中々そんな状況にはならない、芋掘りに無我夢中。
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