梨の季節だ、新甘泉(シンカンセン)を求めて [【旅】2024年]
2024年9月1日(日)
台風10号もやっと中国地方から離れてくれたので、梨を求めて鳥取県に向かう事にした。二十世紀梨が定番であるが、新甘泉を食してからは野生動物の如く味を覚え、この甘味から離れられなくなってしまった。なので寄り道をしながら東郷梨選果場を目指す。快晴の空、岡山ICから北房ICまで高速道路利用。
R313→r84経由で真庭市月田に出る、r32で大佐山の麓になる刑部(オサカベ)からr58を北上していると、橋の上でションボリと猿が川を眺めていた。「なんしょん?」と車を停めると、猿は山に戻って行った。群れは見えず野生もたまには一人で落ち込む事もあるのだろうか。
r58は直角に右折して川を渡るとワクワク感が止まらない。川と道路が並行している小規模な奥入瀬渓谷状態だ。気温22℃の涼しい坂路峠を越え新庄村「道の駅 がいせん桜新庄宿」で休憩する。岡山県内にもまだまだ走った事の無い道は多く、知らない峠を越える度に安堵と達成感を得ている。r58で野土路トンネルを通り蒜山に出る。本日最初の予定地「サントリー天然水 奥大山工場」を11:15~見学、想像通りペットボトルに水を詰め、箱詰めして出荷するという工場で水以外は何も作っていない、2008年開業した建屋である。サントリー天然水工場は、南アルプス、北アルプス、阿蘇、奥大山の4カ所で製造されている。奥大山工場には熱冷ましに利用する雪室もあり毎年10月まで雪は残っているそうだ。お土産の水とメモ帳、ファイル等頂き1時間楽しませて頂いた。単純なものこそ大切なもの、末永くここに存在していてほしい産業だ。
ランチは蒜山の生ラムジンギスカン。午後からはR313で犬挟峠を越えて第2目的地「東郷梨選果場」新甘泉をGET、商売気の無い朴訥としたJAスタッフの対応が、現地でGETした感に拍車を掛けて内心盛り上がる。ウキウキしながら今宵のステイ先である米子市に向かう。
途中で大山乳業カウィーのみるく館でアイスタイムhttps://dainyu.or.jp/
(有)山本おたふく堂ふろしきまんじゅうhttps://otafukudo.com/にも立ち寄るが入口正面に「本日完売」看板が掲げられており残念。車をバックさせていると美しい店員さんが駆け寄り、ふろしきまんじゅうを2個手渡された。些細な気遣いに心を揺さぶられ、明日も寄らねば...と誓う。
宿泊先は、キャンプ場使用料金同価格帯のビジネスホテル、エアコンもシャワーもトイレもタオルもあって快適だ。新甘泉はあまい。
宿泊先:スマイルホテル米子
走行距離:253.9km
2024年9月2日(月)
朝から快晴、ホテルの部屋から米子城跡が眺められた。
ホテルの隣にあった「すき家」で朝食。今日はどうするか?グルグル地図とにらめっこして、島根半島から日本海を眺める事にした。
R431で七類港へ「フェリーくにが」の出港を見送って、1992年12月10日美保関に落ちた隕石現場の集落に行って見た。(現:松江市美保関町惣津)石碑が設置してあるが今は平穏な漁村になっている。
静かな日本海に大きなクラゲ(直径60cm)が浮いていたので眺めていると大きなタガメが横にいた、観察していると超高速で色が変わり泳ぎ去るイカだった。山育ち故に谷川の生き物は少しわかるが、海の生き物はよくわからない。
r37を西へ、順光で見る海岸は色鮮やかで美しい、マリンパーク多古鼻からは隠岐の島が見えた。
昼食は松江市内で出雲そば(神代そば)、復路は鳥取市経由で自宅に向かう。
途中で安来の和鋼博物館に立ち寄り、我が家の包丁購入売店を覗いて見るが購入した30年前とあまり変化はない。形の変わらないものはそんなものかな?と思うが見せ方はもう少し工夫して欲しい。
米子から無料高速道路を利用、昨日の誓いを守り「山本おたふく堂」に立ち寄る。昨日の美人店員さんも居たので告白(昨日も来た)をしようかと悩んだが、気が引けて2包のまんじゅうを注文+Coffee2杯を注文、昨日同様ふろしきまんじゅう2個をプレゼントされ、他の来客はなく心地よくお多福さんの前で休憩させて頂いた。
今年8/6の広島平和記念式典で湯崎英彦知事が語った青谷上寺地遺跡の話が気になり行って見る。
---湯崎英彦知事あいさつの一部分引用---
頭蓋骨や腰骨に突き刺さった矢尻など、当時の争いの生々しさを物語る多くの殺傷痕を目の当たりにし、必ずしも平穏ではなかった当時の暮らしに思いを巡らせました。
翻って現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、矢尻や刀ではなく、男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。
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青谷の人骨発掘現場は大量バラバラ殺人現場の様相だった、何があったのかはわからないが、人間同士が戦い、その死体をバラバラにして処分されたのだろうと想像されている。
DNA分析によると、ほとんどの人は血縁関係に無い他人だったそうである。野生はこうなるのだ、食うか食われるか、やるかやられるか、個々人が悲しみを忘れると、現代人も野生の王国になるのが自然の仕組みなのだろうか?それよりも野生に戻らぬように、おまじないか?マインドコントロールを何者かにされ続けている事を望みます。
智頭ICから黒尾峠を越えて自宅19時着
走行距離:315.5km
台風10号もやっと中国地方から離れてくれたので、梨を求めて鳥取県に向かう事にした。二十世紀梨が定番であるが、新甘泉を食してからは野生動物の如く味を覚え、この甘味から離れられなくなってしまった。なので寄り道をしながら東郷梨選果場を目指す。快晴の空、岡山ICから北房ICまで高速道路利用。
R313→r84経由で真庭市月田に出る、r32で大佐山の麓になる刑部(オサカベ)からr58を北上していると、橋の上でションボリと猿が川を眺めていた。「なんしょん?」と車を停めると、猿は山に戻って行った。群れは見えず野生もたまには一人で落ち込む事もあるのだろうか。
r58は直角に右折して川を渡るとワクワク感が止まらない。川と道路が並行している小規模な奥入瀬渓谷状態だ。気温22℃の涼しい坂路峠を越え新庄村「道の駅 がいせん桜新庄宿」で休憩する。岡山県内にもまだまだ走った事の無い道は多く、知らない峠を越える度に安堵と達成感を得ている。r58で野土路トンネルを通り蒜山に出る。本日最初の予定地「サントリー天然水 奥大山工場」を11:15~見学、想像通りペットボトルに水を詰め、箱詰めして出荷するという工場で水以外は何も作っていない、2008年開業した建屋である。サントリー天然水工場は、南アルプス、北アルプス、阿蘇、奥大山の4カ所で製造されている。奥大山工場には熱冷ましに利用する雪室もあり毎年10月まで雪は残っているそうだ。お土産の水とメモ帳、ファイル等頂き1時間楽しませて頂いた。単純なものこそ大切なもの、末永くここに存在していてほしい産業だ。
ランチは蒜山の生ラムジンギスカン。午後からはR313で犬挟峠を越えて第2目的地「東郷梨選果場」新甘泉をGET、商売気の無い朴訥としたJAスタッフの対応が、現地でGETした感に拍車を掛けて内心盛り上がる。ウキウキしながら今宵のステイ先である米子市に向かう。
途中で大山乳業カウィーのみるく館でアイスタイムhttps://dainyu.or.jp/
(有)山本おたふく堂ふろしきまんじゅうhttps://otafukudo.com/にも立ち寄るが入口正面に「本日完売」看板が掲げられており残念。車をバックさせていると美しい店員さんが駆け寄り、ふろしきまんじゅうを2個手渡された。些細な気遣いに心を揺さぶられ、明日も寄らねば...と誓う。
宿泊先は、キャンプ場使用料金同価格帯のビジネスホテル、エアコンもシャワーもトイレもタオルもあって快適だ。新甘泉はあまい。
宿泊先:スマイルホテル米子
走行距離:253.9km
2024年9月2日(月)
朝から快晴、ホテルの部屋から米子城跡が眺められた。
ホテルの隣にあった「すき家」で朝食。今日はどうするか?グルグル地図とにらめっこして、島根半島から日本海を眺める事にした。
R431で七類港へ「フェリーくにが」の出港を見送って、1992年12月10日美保関に落ちた隕石現場の集落に行って見た。(現:松江市美保関町惣津)石碑が設置してあるが今は平穏な漁村になっている。
静かな日本海に大きなクラゲ(直径60cm)が浮いていたので眺めていると大きなタガメが横にいた、観察していると超高速で色が変わり泳ぎ去るイカだった。山育ち故に谷川の生き物は少しわかるが、海の生き物はよくわからない。
r37を西へ、順光で見る海岸は色鮮やかで美しい、マリンパーク多古鼻からは隠岐の島が見えた。
昼食は松江市内で出雲そば(神代そば)、復路は鳥取市経由で自宅に向かう。
途中で安来の和鋼博物館に立ち寄り、我が家の包丁購入売店を覗いて見るが購入した30年前とあまり変化はない。形の変わらないものはそんなものかな?と思うが見せ方はもう少し工夫して欲しい。
米子から無料高速道路を利用、昨日の誓いを守り「山本おたふく堂」に立ち寄る。昨日の美人店員さんも居たので告白(昨日も来た)をしようかと悩んだが、気が引けて2包のまんじゅうを注文+Coffee2杯を注文、昨日同様ふろしきまんじゅう2個をプレゼントされ、他の来客はなく心地よくお多福さんの前で休憩させて頂いた。
今年8/6の広島平和記念式典で湯崎英彦知事が語った青谷上寺地遺跡の話が気になり行って見る。
---湯崎英彦知事あいさつの一部分引用---
頭蓋骨や腰骨に突き刺さった矢尻など、当時の争いの生々しさを物語る多くの殺傷痕を目の当たりにし、必ずしも平穏ではなかった当時の暮らしに思いを巡らせました。
翻って現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、矢尻や刀ではなく、男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。
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青谷の人骨発掘現場は大量バラバラ殺人現場の様相だった、何があったのかはわからないが、人間同士が戦い、その死体をバラバラにして処分されたのだろうと想像されている。
DNA分析によると、ほとんどの人は血縁関係に無い他人だったそうである。野生はこうなるのだ、食うか食われるか、やるかやられるか、個々人が悲しみを忘れると、現代人も野生の王国になるのが自然の仕組みなのだろうか?それよりも野生に戻らぬように、おまじないか?マインドコントロールを何者かにされ続けている事を望みます。
智頭ICから黒尾峠を越えて自宅19時着
走行距離:315.5km
2024-09-04 13:16
避暑一人旅 [【旅】2024年]
2024年8月7日(水)
自宅内24時間稼働のエアコンの空気が暫く続き、この涼しい空気は険悪な気となり数日室内を漂う。エアコンなしで戦ってもお互いに体力を失い、撃沈は目に見えている。どうすればいいのか?令和の初老夫婦の難問である。ならば暫く各々が好きな空気の中で生活するべく別居をする、それしかない。そう決意してバッテリー充電、衣料を選別、飲料水とBeerを積み込み、テント泊の準備も進めて10時前に自宅を出発した。とりあえず無計画のまま岡山県を北上しエアコンなしで眠れるエリアを目指す。午前中から外気温35℃、車のエアコン27℃に再設定して燃費向上に取り組む。モーターで走る車のエアコンは全てが電力制御なので、快適な温度設定が一番心地よい。この事に気が付くまで3年も掛かった。
R53を北上し亀甲で真庭方面に進路を変える。「すき屋」で昼食を済ませて、食材とアルコールを購入し蒜山に向かう。蒜山高原エリアも外気温30度あり快適な空気とはならない。なので想定通り標高を上げて「鏡ヶ成」まで行くと25℃の別天地だった。椅子を出して木陰で過ごす3組程度の来客に混ざり、一人でノンアルコールビールを飲みながら爽やかな空気を楽しんだ。
隣接するキャンプ場を覘くとガラガラだったので、受付で聞くと今夜から宿泊OKだったので2泊を申込、ここで過ごす事にした。昨年7月に紋別市でダウンバーストに遭い、被災してから1年経った我が家のテント設営に取り組むが、取扱説明書を確認しないとわからない程に手順を忘れていた。15時半から1時間かけて完成したが、こんなキャンプ場で周りから美味しそうなBBQの香りでもしたらたまらない...と思い、もう一度食材を買いに山から下りる。日本酒とソーセージ、つまみを購入し、夕刻に備えた。18:30から休暇村で入浴可能と案内されていて、30分前にフロントに行くと時刻まで入浴は出来なかった、その後4組の同輩がやって来るが、全員フロントで止められて定刻まで待機する事となる。3分前から先着順に個別にアイコンタクトで案内され、丁寧な対応には30分間のロスタイムに文句はない。久しぶりに湯に浸かり19時から一人宴。日本海から流れ来る雲と三日月を眺めBeerとワインに溺れる...
走行距離:165.2km
2024年8月8日(木)
夜中に寒くて、寝袋にもぐり込んだ。明るくなっても気持ちよく眠り6:50起床。快晴の空、昨日は雲が掛かっていた山陰のマッターホルン(烏ヶ山:カラスガセン 1448m)も美しい。
朝食を済ませてのんびり過ごしていたが、次第に日差しは強くなり、食材とビニールシート、殺虫剤を求めて麓に向かう事にした。御机経由、鍵掛峠を越えて桝水から溝口に降りると気温は34度となる。スーパーまるごうを目指して向かうと閉店だった。しかしながら1km程先に移転しておりセーフ、コメリも近くにあり買物はスムーズに完了した。「定食屋そうかん」でランチを済ませてからテントサイトに戻る。下界の気温を経験してからここに戻ると別天地に感じられ、Beerを頂きながら木陰で昼寝をしていると暑く感じて目覚める。気温は高くないが空気に慣れると贅沢なもので、更に涼しい空気を望む。欲望には限りがない... 暫く散歩をして、久しぶりに写真撮影などして見た。夕刻に雑木林からガサゴソと音がして驚く、ANA熊がひょっこり登場し去って行った。夏場は涼しいが冬は冬眠か?
走行距離:51.0km
タイトル「のぞく」
2024年8月9日(金)
涼しくて夜間に3度トイレに向かった、天の川が見え星空が美しい。キャンプ場内の照明が邪魔をするが、この環境下で安心して眠れるのはありがたい。あちこちのテントサイトからグーグー音もあり野生動物も安易に近づくことは避けるだろう。早朝は青空だったが9時過ぎより曇り空となり、テント撤収には絶妙のタイミングとなる。汗をかかない様に休みながら作業をすると10時半に終了、11時のチェックアウトに間に合った。とりあえず御机からR482に降りて、途中から大規模農免農道を走り大山を横目に眺めながら白水に出た。
「そば処 井田農園」で昼食を済ませて、TVを見ると南海トラフ巨大地震注意報という文字に恐怖を感じて、自宅方面に向かう事にした。外気温34℃の中、r46→r35と移動し、根雨からR180で明地峠を越えると外気温27℃「いぶきの里スキー場」周辺は思ったよりも涼しい... かしかし新見市街地では36℃の外気温、自宅は38℃位なのだろうと想像しながら総社市に近づくと29℃となる、一部路面に水溜まり。岡山市は31℃と涼しい中16:30到着した、夕立は天然クーラーだ。こうして2泊3日の別居生活は終わった。揺れません様に...と思っていたら「緊急地震速報」の文字がTVに現れ関東が揺れた、この先、何事もありません様に... 祈
走行距離:187.8km 全行程走行距離:404km
自宅内24時間稼働のエアコンの空気が暫く続き、この涼しい空気は険悪な気となり数日室内を漂う。エアコンなしで戦ってもお互いに体力を失い、撃沈は目に見えている。どうすればいいのか?令和の初老夫婦の難問である。ならば暫く各々が好きな空気の中で生活するべく別居をする、それしかない。そう決意してバッテリー充電、衣料を選別、飲料水とBeerを積み込み、テント泊の準備も進めて10時前に自宅を出発した。とりあえず無計画のまま岡山県を北上しエアコンなしで眠れるエリアを目指す。午前中から外気温35℃、車のエアコン27℃に再設定して燃費向上に取り組む。モーターで走る車のエアコンは全てが電力制御なので、快適な温度設定が一番心地よい。この事に気が付くまで3年も掛かった。
R53を北上し亀甲で真庭方面に進路を変える。「すき屋」で昼食を済ませて、食材とアルコールを購入し蒜山に向かう。蒜山高原エリアも外気温30度あり快適な空気とはならない。なので想定通り標高を上げて「鏡ヶ成」まで行くと25℃の別天地だった。椅子を出して木陰で過ごす3組程度の来客に混ざり、一人でノンアルコールビールを飲みながら爽やかな空気を楽しんだ。
隣接するキャンプ場を覘くとガラガラだったので、受付で聞くと今夜から宿泊OKだったので2泊を申込、ここで過ごす事にした。昨年7月に紋別市でダウンバーストに遭い、被災してから1年経った我が家のテント設営に取り組むが、取扱説明書を確認しないとわからない程に手順を忘れていた。15時半から1時間かけて完成したが、こんなキャンプ場で周りから美味しそうなBBQの香りでもしたらたまらない...と思い、もう一度食材を買いに山から下りる。日本酒とソーセージ、つまみを購入し、夕刻に備えた。18:30から休暇村で入浴可能と案内されていて、30分前にフロントに行くと時刻まで入浴は出来なかった、その後4組の同輩がやって来るが、全員フロントで止められて定刻まで待機する事となる。3分前から先着順に個別にアイコンタクトで案内され、丁寧な対応には30分間のロスタイムに文句はない。久しぶりに湯に浸かり19時から一人宴。日本海から流れ来る雲と三日月を眺めBeerとワインに溺れる...
走行距離:165.2km
2024年8月8日(木)
夜中に寒くて、寝袋にもぐり込んだ。明るくなっても気持ちよく眠り6:50起床。快晴の空、昨日は雲が掛かっていた山陰のマッターホルン(烏ヶ山:カラスガセン 1448m)も美しい。
朝食を済ませてのんびり過ごしていたが、次第に日差しは強くなり、食材とビニールシート、殺虫剤を求めて麓に向かう事にした。御机経由、鍵掛峠を越えて桝水から溝口に降りると気温は34度となる。スーパーまるごうを目指して向かうと閉店だった。しかしながら1km程先に移転しておりセーフ、コメリも近くにあり買物はスムーズに完了した。「定食屋そうかん」でランチを済ませてからテントサイトに戻る。下界の気温を経験してからここに戻ると別天地に感じられ、Beerを頂きながら木陰で昼寝をしていると暑く感じて目覚める。気温は高くないが空気に慣れると贅沢なもので、更に涼しい空気を望む。欲望には限りがない... 暫く散歩をして、久しぶりに写真撮影などして見た。夕刻に雑木林からガサゴソと音がして驚く、ANA熊がひょっこり登場し去って行った。夏場は涼しいが冬は冬眠か?
走行距離:51.0km
タイトル「のぞく」
2024年8月9日(金)
涼しくて夜間に3度トイレに向かった、天の川が見え星空が美しい。キャンプ場内の照明が邪魔をするが、この環境下で安心して眠れるのはありがたい。あちこちのテントサイトからグーグー音もあり野生動物も安易に近づくことは避けるだろう。早朝は青空だったが9時過ぎより曇り空となり、テント撤収には絶妙のタイミングとなる。汗をかかない様に休みながら作業をすると10時半に終了、11時のチェックアウトに間に合った。とりあえず御机からR482に降りて、途中から大規模農免農道を走り大山を横目に眺めながら白水に出た。
「そば処 井田農園」で昼食を済ませて、TVを見ると南海トラフ巨大地震注意報という文字に恐怖を感じて、自宅方面に向かう事にした。外気温34℃の中、r46→r35と移動し、根雨からR180で明地峠を越えると外気温27℃「いぶきの里スキー場」周辺は思ったよりも涼しい... かしかし新見市街地では36℃の外気温、自宅は38℃位なのだろうと想像しながら総社市に近づくと29℃となる、一部路面に水溜まり。岡山市は31℃と涼しい中16:30到着した、夕立は天然クーラーだ。こうして2泊3日の別居生活は終わった。揺れません様に...と思っていたら「緊急地震速報」の文字がTVに現れ関東が揺れた、この先、何事もありません様に... 祈
走行距離:187.8km 全行程走行距離:404km
2024-08-10 14:24
【日帰り旅】佐用のひまわり畑 [【旅】2024年]
2024年7月18日(木)
梅雨明け前の湿った早朝の空気には、真夏の匂いはまだなく朝食を済ませて5:50に自宅を出発した。R2を東へ走り県境を越えて上郡町からR373で佐用に向かう。途中で「観蓮」のぼり旗を見つけて清林寺に立ち寄り、暫く眺めていると、眼下に智頭急行が走っていた。
静かな田舎町ではあるものの、朝7時半という通勤通学時刻は鉄道も道路も交通量がある。今日の目的地である「南光スポーツ公園 ひまわり畑」には8時到着、駐車料金500円を支払い、広いグラウンド内に車を停めてから、ひまわり畑に入って眺めた。
雲の切れ目から覗く太陽の光は強く長くは耐えられないので、テント下に入り椅子に座って畑を眺めていると、小さなツチガエルの三段跳び競技が足元で始まる。ホップ、ステップ、ジャンプで立ち止まり、暫く休んでもう1度ホップ、ステップ、ジャンプ、休を繰り返しながら一方向に次々に移動していた。拡大するとコジラ顔のカエルだ。
9時過ぎまで夏のひまわりを楽しませて頂き、出口に至ると入場料金@200円となっていたがお咎めなし、丁寧な来場御礼のご挨拶を頂きながら会場を出る。早起きは〇〇の徳という事でありがたく思い出にする事にした。
「道の駅 宿場町ひらふく」まで移動し、近くの光明寺に行く、風鈴の寺として紹介されており、小さな山寺に同輩の観光客が集まっていた、TVの放送効果は我が年齢層には抜群だ。10時過ぎであるが既に空腹となり、ランチ営業を探すと「カレーうどん屋さん かずら」を発見、暑い中で熱いカレーうどんで早めのランチ、トロトロの牛スジが絶品、食後にアイスコーヒー、チューチューアイスまで頂きクールダウン。https://tabelog.com/hyogo/A2805/A280505/28039376/
まだ早いので県北の冷たい空気を求めて大原「宮本武蔵の里 五輪坊」に行くが、令和3年から休館、建屋のみ残る。現在の二刀流は大谷翔平であるが、元祖二刀流は徐々に忘れかけられている様子だった。「道の駅 あわくらんど」に立ち寄るが気温は30℃越え、川の音は涼しさを感じるが肌感は暑い。大茅スキー場経由、ちくさ高原スキー場まで登ると気温は24℃となり別天地。ヒグラシの声が心地よい響きだった。「道の駅 ちくさ」によるが定休日、ここから2時間半で自宅着16:50
走行距離:297.5km
梅雨明け前の湿った早朝の空気には、真夏の匂いはまだなく朝食を済ませて5:50に自宅を出発した。R2を東へ走り県境を越えて上郡町からR373で佐用に向かう。途中で「観蓮」のぼり旗を見つけて清林寺に立ち寄り、暫く眺めていると、眼下に智頭急行が走っていた。
静かな田舎町ではあるものの、朝7時半という通勤通学時刻は鉄道も道路も交通量がある。今日の目的地である「南光スポーツ公園 ひまわり畑」には8時到着、駐車料金500円を支払い、広いグラウンド内に車を停めてから、ひまわり畑に入って眺めた。
雲の切れ目から覗く太陽の光は強く長くは耐えられないので、テント下に入り椅子に座って畑を眺めていると、小さなツチガエルの三段跳び競技が足元で始まる。ホップ、ステップ、ジャンプで立ち止まり、暫く休んでもう1度ホップ、ステップ、ジャンプ、休を繰り返しながら一方向に次々に移動していた。拡大するとコジラ顔のカエルだ。
9時過ぎまで夏のひまわりを楽しませて頂き、出口に至ると入場料金@200円となっていたがお咎めなし、丁寧な来場御礼のご挨拶を頂きながら会場を出る。早起きは〇〇の徳という事でありがたく思い出にする事にした。
「道の駅 宿場町ひらふく」まで移動し、近くの光明寺に行く、風鈴の寺として紹介されており、小さな山寺に同輩の観光客が集まっていた、TVの放送効果は我が年齢層には抜群だ。10時過ぎであるが既に空腹となり、ランチ営業を探すと「カレーうどん屋さん かずら」を発見、暑い中で熱いカレーうどんで早めのランチ、トロトロの牛スジが絶品、食後にアイスコーヒー、チューチューアイスまで頂きクールダウン。https://tabelog.com/hyogo/A2805/A280505/28039376/
まだ早いので県北の冷たい空気を求めて大原「宮本武蔵の里 五輪坊」に行くが、令和3年から休館、建屋のみ残る。現在の二刀流は大谷翔平であるが、元祖二刀流は徐々に忘れかけられている様子だった。「道の駅 あわくらんど」に立ち寄るが気温は30℃越え、川の音は涼しさを感じるが肌感は暑い。大茅スキー場経由、ちくさ高原スキー場まで登ると気温は24℃となり別天地。ヒグラシの声が心地よい響きだった。「道の駅 ちくさ」によるが定休日、ここから2時間半で自宅着16:50
走行距離:297.5km
2024-07-19 16:21
【旅】広島と大阪へ一人旅 [【旅】2024年]
2024年5月8日(水)
岡山駅西口11:50発の高速バスで広島に向かう。乗客は私を含めて3名のみ、最前席に座り貸切状態に近い大型バスの乗り心地は最高。久しぶりにバスの車窓から風景を眺めると、高速道路沿いにいる野生鹿の群れ、防音壁の向こうに見える建築物、高架橋からの遠景等こんなにも違う世界を見せてくれるものだと感心しながら、時にウトウトしていると広島バスセンターに定刻前に到着した。1.5m程度目線の違う世界は非日常を楽しませてくれた。KOKO HOTELにチェックインを済ませてから、繁華街の夕食を楽しむ。
2024年5月9日(木)
8時半にチェックアウト、T氏四輪マークに同乗、R2を走り岡山の自宅まで送ってもらう。東広島の道照交差点の渋滞を抜けると、岡山バイパスのいつもの渋滞まで混雑は無く、青空の快適ドライブだった。半世紀続く岡山R2渋滞を何とかせー バイパスに信号機をいつまでつけるんでー。と言いたい。東西の環境を眺めると岡山県下が最悪だ。
2024年5月10日(金)
岡山駅西口8:40発の高速バスで大阪に向かう。乗客は私を含めて12名、広島行よりは路線バスらしい車内風情(ドライバーによる人数確認作業など)になる。今日も最前席で景色を楽しみながら、三木SAで休憩し定刻よりも早く大阪駅に到着した。ストアメンバーとの昼食は14時以降なので焼き芋を渡して、手荷物を預けて「大阪起業家ミュージアム」という施設を見学した。全国から商機を求めて大阪に集まって来た地理的要因、そして民による合理主義が今につながり定着したそうである。高層化する建築物が著しく大都市大阪になっている。梅田に戻り昼食後には、南森町のホテルチェックイン。大浴場付きだったので早くから風呂に入って19時の夕食会までのんびりTV鑑賞、中之島バラ公園を遠目に眺め夕食会場の「チルコロはなれ」に18時過ぎに到着。フライングしながら美味しい食と酒を存分に楽しんだ。
2024年5月11日(土)
爆睡して目覚めると明るくなっていた。9時にチェックアウトして朝食には「うどん」が食べたくなり天神橋筋商店街に向かい、南森町駅近くのうどん屋さんで朝食を済ませて大阪駅へ。特にスケジュールもないので、10:08発のJRに乗車して自宅に向かう。新快速はスイスイと走り神戸、明石、加古川まではスピードも揺れも快適だった。姫路の手前で緊急停止、姫路には12分遅れで到着。ここから山陽線で岡山に向かうが直通電車は無い。とりあえず赤穂線で相生まで行くと岡山行きがあるらしい。ホームの時刻表を見ると姫路から岡山まで直通で運行している電車は数少ない事がわかる。50年前は山陽本線が大動脈であったが、新幹線が開通してから、いつの間にか山陽本線は山陽線と呼ばれ、ここまで衰退したのだと改めて思った。各駅停車の電車で相生駅に降りると反対ホームで、新車両の「Urara」が待っていた。https://www.jr-furusato.jp/train/urara/
初めて乗車する新車両に少し感動しながら乗り込む、車両は新しいが体に感じる揺れは大きく、線路は昔のままなのだろう。
乗り鉄、撮り鉄らしき人々もいて、三石、吉永、和気の超過疎地域では乗降客は無いが乗車客は100名程度あり岡山に向かう。東岡山からは乗降客数も増え、電車運行らしい光景となり13:37岡山駅着。大阪駅から3回乗り換え、待ち時間は少ないが3時間29分で岡山駅に到着した。往路で利用した高速バスは3時間5分で大阪駅に到着し乗り換えなし。瞬間最高速度は電車の方が早いと思うが、指定席でリクライニングシート、車中にトイレもあり途中SA休憩もある。しかも乗り心地はバスが上質だった。岡山-大阪間は、新幹線を除くとバスが上だろう。ちなみに高速バス(岡山駅-大阪駅3000円)、JR(大阪駅-岡山駅3080円)でほぼ変わらない。が梅田から姫路まで阪神線を使うと岡山まで2840円だった様である。大阪岡山間の移動は、現代人には新幹線一択なので何の参考にもならないが、経験値として記しておく。
こうして北日本の旅に出発したT氏見送りのながら旅は終わった。
岡山駅西口11:50発の高速バスで広島に向かう。乗客は私を含めて3名のみ、最前席に座り貸切状態に近い大型バスの乗り心地は最高。久しぶりにバスの車窓から風景を眺めると、高速道路沿いにいる野生鹿の群れ、防音壁の向こうに見える建築物、高架橋からの遠景等こんなにも違う世界を見せてくれるものだと感心しながら、時にウトウトしていると広島バスセンターに定刻前に到着した。1.5m程度目線の違う世界は非日常を楽しませてくれた。KOKO HOTELにチェックインを済ませてから、繁華街の夕食を楽しむ。
2024年5月9日(木)
8時半にチェックアウト、T氏四輪マークに同乗、R2を走り岡山の自宅まで送ってもらう。東広島の道照交差点の渋滞を抜けると、岡山バイパスのいつもの渋滞まで混雑は無く、青空の快適ドライブだった。半世紀続く岡山R2渋滞を何とかせー バイパスに信号機をいつまでつけるんでー。と言いたい。東西の環境を眺めると岡山県下が最悪だ。
2024年5月10日(金)
岡山駅西口8:40発の高速バスで大阪に向かう。乗客は私を含めて12名、広島行よりは路線バスらしい車内風情(ドライバーによる人数確認作業など)になる。今日も最前席で景色を楽しみながら、三木SAで休憩し定刻よりも早く大阪駅に到着した。ストアメンバーとの昼食は14時以降なので焼き芋を渡して、手荷物を預けて「大阪起業家ミュージアム」という施設を見学した。全国から商機を求めて大阪に集まって来た地理的要因、そして民による合理主義が今につながり定着したそうである。高層化する建築物が著しく大都市大阪になっている。梅田に戻り昼食後には、南森町のホテルチェックイン。大浴場付きだったので早くから風呂に入って19時の夕食会までのんびりTV鑑賞、中之島バラ公園を遠目に眺め夕食会場の「チルコロはなれ」に18時過ぎに到着。フライングしながら美味しい食と酒を存分に楽しんだ。
2024年5月11日(土)
爆睡して目覚めると明るくなっていた。9時にチェックアウトして朝食には「うどん」が食べたくなり天神橋筋商店街に向かい、南森町駅近くのうどん屋さんで朝食を済ませて大阪駅へ。特にスケジュールもないので、10:08発のJRに乗車して自宅に向かう。新快速はスイスイと走り神戸、明石、加古川まではスピードも揺れも快適だった。姫路の手前で緊急停止、姫路には12分遅れで到着。ここから山陽線で岡山に向かうが直通電車は無い。とりあえず赤穂線で相生まで行くと岡山行きがあるらしい。ホームの時刻表を見ると姫路から岡山まで直通で運行している電車は数少ない事がわかる。50年前は山陽本線が大動脈であったが、新幹線が開通してから、いつの間にか山陽本線は山陽線と呼ばれ、ここまで衰退したのだと改めて思った。各駅停車の電車で相生駅に降りると反対ホームで、新車両の「Urara」が待っていた。https://www.jr-furusato.jp/train/urara/
初めて乗車する新車両に少し感動しながら乗り込む、車両は新しいが体に感じる揺れは大きく、線路は昔のままなのだろう。
乗り鉄、撮り鉄らしき人々もいて、三石、吉永、和気の超過疎地域では乗降客は無いが乗車客は100名程度あり岡山に向かう。東岡山からは乗降客数も増え、電車運行らしい光景となり13:37岡山駅着。大阪駅から3回乗り換え、待ち時間は少ないが3時間29分で岡山駅に到着した。往路で利用した高速バスは3時間5分で大阪駅に到着し乗り換えなし。瞬間最高速度は電車の方が早いと思うが、指定席でリクライニングシート、車中にトイレもあり途中SA休憩もある。しかも乗り心地はバスが上質だった。岡山-大阪間は、新幹線を除くとバスが上だろう。ちなみに高速バス(岡山駅-大阪駅3000円)、JR(大阪駅-岡山駅3080円)でほぼ変わらない。が梅田から姫路まで阪神線を使うと岡山まで2840円だった様である。大阪岡山間の移動は、現代人には新幹線一択なので何の参考にもならないが、経験値として記しておく。
こうして北日本の旅に出発したT氏見送りのながら旅は終わった。
2024-05-14 16:22
【旅】福岡へ一人旅 [【旅】2024年]
2024年3月12日(火)
先週鹿児島から戻ったばかりであるが、再び九州に行く。明日の宴会(解散?送別?懇親?)が主目的である。2日間かけて作った焼き芋を持って、雨降りの中、9時出発。R2を西に向かうと玉島付近より雨は上がり、県境を越えると青空も見えて来た。松永、尾道、三原バイパスを順調に抜けて、東広島の道照交差点に差し掛かるが混雑なしで通過。「道の駅 西条のん太の酒蔵」でランチを済ませ、広島市中区中島町に立ち寄る。来季のメンバーも確定し、今度立ち寄る時には3名以外は知らない人になる様である、焼芋売りも今回までか?少々さびしく思うが、時代は進む。
このまま一般国道を走って行くと下関到着20時予定となり、廿日市ICより高速道路を利用、徳山西ICで下りて「ラーメンショップ 椿峠店」でネギラーメンを食し、防府市牟礼の友愛無線に立ち寄る。昨年約束していた焼き芋を、歯無でも食えるぞと言って渡した。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-01-10 少し老けた感があるが、おしゃべりはまだ止まらない。電気屋開けとく必要あるの?私の様な押し売りが来るだけじゃろー。などと言いながらも元気に見送ってくれた。他にも寄りたいが時間が無く、そのままR2で下関まで走り18時到着。明るいうちにチェックインして大浴場でくつろぎ、乾いた喉をうるおそうとホテル前の小料理屋に入った... これが失敗、とりあえずBeerを飲み干すと、5千円か6千円のコース料理しかなく... えぇえぇー、安い方を注文したが酒も頂きホテル代の3倍程支払う。刺し盛、くじら、ふぐの白子、とこぶし、うなぎなど出てきたがあまり得意な食べ物ではない。只々Beerが飲みたかっただけ...反省しながら狭いカプセルで眠る。
移動距離:369.9km
平均燃費:20.9km/L
平均車速:49km/h
宿泊先:下関ステーションホテル(カプセル)
2024年3月13日(水)
狭いカプセルは閑散として静かな環境だったが、暖房温度が高くて寝心地悪く、4時に起床してTVを見ながら時間を過ごす。寒さが気になり車中泊をしなかったが、寝心地環境は車内とあまり変わらない。8時半出発、関門トンネルの料金所(普160円)渋滞を抜けて福岡に向かう。通勤時間にこれだけ渋滞しても関門トンネルがなぜETCではないのか不思議である。2年前にも同様に思ったが、歴史ある建造物はその当時のままである事が重要なのかもしれない。渋滞が嫌なら橋渡れ!と言われるだけだ。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-02-04
10時半過ぎに福岡天神到着。久しぶりに支社に行くが3年前と風景は変わらず違和感はなし、快く皆様に焼芋を購入いただき感謝しかない。今宿経由で、現況を話しながら春日の会場に向かい、九州の写真家メンバーと楽しく美味しいお酒を頂き、そのまま予定通り会場(蔵)で眠る。
宿泊先:ギャラリー蔵
2024年3月14日(木)
6時半起床。蔵の中でよく眠る、カプセルよりも快適だった。薬院経由今宿へ、週末まで福岡に滞在するか悩みながらも岡山に帰る事にした。福岡市内を抜けて11時開店のイケアに立ち寄り、薬王寺の湯https://kairakusou.info/でのんびりと温泉を楽しんだ後、R3→R2と走って新山口駅に18時前に到着。北口駅前のコインパーキングに車を置いて、近くで中華料理を頂き車中泊。お嬢様の客引きが多く時代も変わりつつある。
移動距離:181.5km
平均燃費:20.3km/L
平均車速:23km/h
車中泊
2024年3月15日(金)
4時起床、外気温3℃だったが、暖房もなく快適に眠れた。着る服により暖は取れると実感した。R2を東に向かい下松の吉牛で朝食後、空が明るくなった。
快晴の空に誘われてR188で海岸線に向かい、光市室積の普賢寺に立ち寄る。
海の景色を楽しみながら散策すると、車で送られて通学する小中学生の親の車が渋滞するほどの勢いでやって来た。山口大学教育学部付属光小中学校がこの半島の先端にある。最後には大型バスの送迎車が2台到着し登校終了。そのまま車内で「ブギウギ」を視聴してから平生、柳井と進み9時開店のSCでお手洗い。11時半に広島市内でランチの約束をして、穏やかな瀬戸内の海岸線を北上し、大竹ICから高速道路を利用して広島市内に11時過ぎ到着。1時間半ほどランチを楽しみ、R2で自宅に向かい18時到着した。
移動距離:556.5km
平均燃費:22.4km/L
平均車速:32km/h
先週鹿児島から戻ったばかりであるが、再び九州に行く。明日の宴会(解散?送別?懇親?)が主目的である。2日間かけて作った焼き芋を持って、雨降りの中、9時出発。R2を西に向かうと玉島付近より雨は上がり、県境を越えると青空も見えて来た。松永、尾道、三原バイパスを順調に抜けて、東広島の道照交差点に差し掛かるが混雑なしで通過。「道の駅 西条のん太の酒蔵」でランチを済ませ、広島市中区中島町に立ち寄る。来季のメンバーも確定し、今度立ち寄る時には3名以外は知らない人になる様である、焼芋売りも今回までか?少々さびしく思うが、時代は進む。
このまま一般国道を走って行くと下関到着20時予定となり、廿日市ICより高速道路を利用、徳山西ICで下りて「ラーメンショップ 椿峠店」でネギラーメンを食し、防府市牟礼の友愛無線に立ち寄る。昨年約束していた焼き芋を、歯無でも食えるぞと言って渡した。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-01-10 少し老けた感があるが、おしゃべりはまだ止まらない。電気屋開けとく必要あるの?私の様な押し売りが来るだけじゃろー。などと言いながらも元気に見送ってくれた。他にも寄りたいが時間が無く、そのままR2で下関まで走り18時到着。明るいうちにチェックインして大浴場でくつろぎ、乾いた喉をうるおそうとホテル前の小料理屋に入った... これが失敗、とりあえずBeerを飲み干すと、5千円か6千円のコース料理しかなく... えぇえぇー、安い方を注文したが酒も頂きホテル代の3倍程支払う。刺し盛、くじら、ふぐの白子、とこぶし、うなぎなど出てきたがあまり得意な食べ物ではない。只々Beerが飲みたかっただけ...反省しながら狭いカプセルで眠る。
移動距離:369.9km
平均燃費:20.9km/L
平均車速:49km/h
宿泊先:下関ステーションホテル(カプセル)
2024年3月13日(水)
狭いカプセルは閑散として静かな環境だったが、暖房温度が高くて寝心地悪く、4時に起床してTVを見ながら時間を過ごす。寒さが気になり車中泊をしなかったが、寝心地環境は車内とあまり変わらない。8時半出発、関門トンネルの料金所(普160円)渋滞を抜けて福岡に向かう。通勤時間にこれだけ渋滞しても関門トンネルがなぜETCではないのか不思議である。2年前にも同様に思ったが、歴史ある建造物はその当時のままである事が重要なのかもしれない。渋滞が嫌なら橋渡れ!と言われるだけだ。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-02-04
10時半過ぎに福岡天神到着。久しぶりに支社に行くが3年前と風景は変わらず違和感はなし、快く皆様に焼芋を購入いただき感謝しかない。今宿経由で、現況を話しながら春日の会場に向かい、九州の写真家メンバーと楽しく美味しいお酒を頂き、そのまま予定通り会場(蔵)で眠る。
宿泊先:ギャラリー蔵
2024年3月14日(木)
6時半起床。蔵の中でよく眠る、カプセルよりも快適だった。薬院経由今宿へ、週末まで福岡に滞在するか悩みながらも岡山に帰る事にした。福岡市内を抜けて11時開店のイケアに立ち寄り、薬王寺の湯https://kairakusou.info/でのんびりと温泉を楽しんだ後、R3→R2と走って新山口駅に18時前に到着。北口駅前のコインパーキングに車を置いて、近くで中華料理を頂き車中泊。お嬢様の客引きが多く時代も変わりつつある。
移動距離:181.5km
平均燃費:20.3km/L
平均車速:23km/h
車中泊
2024年3月15日(金)
4時起床、外気温3℃だったが、暖房もなく快適に眠れた。着る服により暖は取れると実感した。R2を東に向かい下松の吉牛で朝食後、空が明るくなった。
快晴の空に誘われてR188で海岸線に向かい、光市室積の普賢寺に立ち寄る。
海の景色を楽しみながら散策すると、車で送られて通学する小中学生の親の車が渋滞するほどの勢いでやって来た。山口大学教育学部付属光小中学校がこの半島の先端にある。最後には大型バスの送迎車が2台到着し登校終了。そのまま車内で「ブギウギ」を視聴してから平生、柳井と進み9時開店のSCでお手洗い。11時半に広島市内でランチの約束をして、穏やかな瀬戸内の海岸線を北上し、大竹ICから高速道路を利用して広島市内に11時過ぎ到着。1時間半ほどランチを楽しみ、R2で自宅に向かい18時到着した。
移動距離:556.5km
平均燃費:22.4km/L
平均車速:32km/h
2024-03-16 21:50
【旅】鹿児島マラソン応援の旅 [【旅】2024年]
2024年3月2日(土)
4時過ぎ起床、5時半に自宅を出発、気温2℃、真っ暗闇の中を一路鹿児島に向かう。玉島ICから高速道路に入る頃、東の空が明るくなって来た。岡山平野は快晴だったが、尾道ICを過ぎると降雪状態となる。東広島市の山は白く、今年初めて雪山を見てワクワク感が止まらない。
とりあえず雪のリスクが無くなる宮島SAまでノンストップで走り抜け、降雪の向こうに青空の宮島を眺めながら、誰も居ないレストランで、配膳ロボットが持ってきた朝食を頂く。時代はコロナパンデミックを越え前進していくものだ。更に西に向かい壇ノ浦Pで休憩していると、福岡の知人よりTelが入った。3月13日に宴会をするので参加せよ!との内容だった、福岡を通過して鹿児島に移動中とも言えず、なんだか行動を見透かされているようで驚く。今回の旅の予定は、3月9日に自宅に戻るつもりであるが、どうするか検討しながら広川SAまで移動して、うどんランチを済ませてから更にどうするか考えながら南下すると、阿蘇の外輪山の向こうに中岳からの噴煙が見えて来た。
久しぶりに元気な阿蘇山を見ながら、2016年4月14日に阿蘇で経験した熊本地震から8年経った事を思い出していた。16日の本震により現在走っている高速道は割れ、橋が外れ、土手は崩れて、家は傾き、ブルーシートの屋根、車中泊テント村が見えていた景色は今は何もない。それどころか菊陽町にはTSMC社が完成し、震源地は全国に知れ渡る好景気に沸く町となっている。8年前に誰が想像できた事か?まさに人間万事塞翁が馬である。
宮原SAで休憩し復旧工事が進む球磨川を越え、人吉の町を遠くに眺め、加久藤トンネルを出ると、えびの高原の韓国岳が白く見えた。鹿児島空港を過ぎると、噴煙の上がる桜島が見え、私溶岩です。と言わんばかりの道路沿いの山容は、姶良カルデラに入った事を感じられる。鹿児島北ICを出て16時過ぎに宿舎にチェックイン。残念ながらホテル駐車場は満車により、近くのコインパーキングに駐車。夕刻から中央公園を散策、照国神社に参拝してから夕食。天文館も散策し無料の振る舞い酒(焼酎)を頂きしあわせいっぱいで爆睡。
移動距離:729.3km
平均燃費:17.4km/L
平均車速:76km/h
宿泊先:リッチモンドホテル鹿児島金生町
2024年3月3日(日)
目的のある旅はなんだか少し張り合いがある。そして今日がその主目的の日、鹿児島マラソン当日だ。宿所周辺は6時に交通規制が引かれ、路面電車も車も居ない。そしてランナー達が続々と出発地点の「ドルフィンポート」に集まり始めている。
8:30スタート、直前に宿所前の道路が規制終了し一番乗りでコインパーキングから出て、1台空きが出た先着順の専用駐車場に滑り込む。TV中継を部屋で確認して、予約していたマラソン応援列車に乗車する為、鹿児島中央駅前に向かう。
https://www.kagoshima-marathon.jp/event/cheering-train.pdf
R10と並走する日豊本線から、マラソンランナーを応援する団体列車は、徐行運転や停車を繰り返しながら、倉重駅までの往復を楽しませてくれる。倉重駅では2時間程の応援時間があり、折り返し地点手前で応援できるので合計2回の遭遇応援チャンスだ。楽しく応援し鹿児島中央駅に戻ると応援者はゴールしていた。夕刻からは焼肉屋で完走を祝う。
https://www.mod.go.jp/msdf/equipment/ships/ddh/izumo/
宿泊先:リッチモンドホテル鹿児島金生町
2024年3月4日(月)
昨日に引き続き、青空が広がる鹿児島市。9時4万円突破を確認してから宿舎を出る。今日は鹿児島市平川動物園に行く、過去から何度も興味を持っていたがスケジュールが合わず、道路の案内看板を見て通過するだけの場所だった。調べると大正5年(1916年)に鹿児島市鴨池に開園し、昭和47年(1972年)に平川の地に移転している歴史ある動物園だ。入口正面に桜島を借景にしたアフリカの草原が広がり、キリン、シマウマ、サイ、ダチョウがのびのびと生活している。他では見る事が出来ない動物園の風景に圧倒され4時間ほど見学した、しかも足湯に浸かりこの景色を楽しめるタオル必需の動物園。
罪獣の様な檻にいる動物を見ると少し心が痛むが、自由空間が広い檻のない工夫している展示には好感が持てた。展示される動物の種類にもよるが、自由に生活している姿を、出来れば近くで動物に感づかれない様に見学したいものだ。
遅めのランチは「開花亭 谷山本店」でとんかつを頂き、満足すると曇天となる。早めにチェックイン、大浴場に浸かりのんびり過ごしていると夜になった。夕刻のローカルニュースでは「今日から田植えが始まった」と報道されていた。桜の開花はソメイヨシノを指しているので、鹿児島では遅めの開花予測となっているが、種類の異なる桜は其処ら中に咲いている。パンジーやポピー、シロツメクサも満開だ。植物は気候をよく理解している、人間も冬は温暖な地域で生活したいものである。
移動距離:33.6km
平均燃費:20.0km/L
平均車速:21km/h
宿泊先:ホテルウェルビューかごしま
2024年3月5日(火)
昨夜から降り出した雨は今日中降り続く予報である。こんな日は館内見学をするしかないので「黎明館」https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/index.htmlに行って見る。専用駐車場には係員がいるが利用無料。常設展示には縄文、弥生から現在に続く鹿児島の歴史が紹介されてあり、印象的な場所は入り口の鹿児島県全体を俯瞰できる地図模型だ。北は長島(獅子島)から南は与論島まで南北が長く、そして活火山の多さは豊かな自然と脅威を想像する。県民の皆様には失礼であるが、怖いもの見たさ的な感情が湧く鹿児島県だ。この魅力に引き寄せられて、南蛮渡来が続きザビエルがやって来たりしたのだろうか?そして渡来人との交流から異国の情報を早くから知り、対策を講じて準備をした事が明治期のパワーとなったのだろう。そんな事を思いながら偉人たちの紹介を見学していると昼となる。ランチは「いちにいさん 鹿児島本店」で大満足、やはり鹿児島に来ると1度は食べたい所、感動はいつもと変わらない。午後からは激しい雨も降り、R226を南下して指宿に向かう。
15時過ぎには到着し宿の温泉、元湯温泉を楽しむと体が温まり、Tシャツ、パンツ姿でゴロゴロと過ごす、最高気温は20℃近くあり心地よい南国の温泉を満喫。夕刻になり外食先に向かうが休日と見た目で断念、部屋でカップラーメンの夕食となる。かなり傷んだ状態の指宿温泉街には、砂むし会館以外に人はいない、20時就寝。
移動距離:70.0km
平均燃費:20.1km/L
平均車速:27km/h
宿泊先:民宿・指宿
2024年3月6日(水)
雨上がりの朝、最低気温14℃と温かく暖房不要で熟睡。6時から朝風呂、朝食を済ませて徳光神社に向かう。祀られているのはサツマイモを琉球から持ってきた「前田利右衛門」である。南米出身の芋は、地球東回りで1607年に琉球に伝わっている、それから100年後、この地に前田さんが持って来たそうだ。唐芋(カライモ)から薩摩芋(サツマイモ)へ名前が変わったのもここから始まった。参拝すると黄金千貫らしき芋が奉納してあり、現在も地域の人々から信仰され続けている神社であることが確認できた。
近隣の主な観光施設を巡り見学するが、過去に何度か立ち寄っているのであまり感動は無く、サツマイモを探しながらコインランドリーで洗濯して宿に戻る。
移動距離:73.2km
平均燃費:23.1km/L
平均車速:26km/h
宿泊先:民宿・指宿
2024年3月7日(木)
朝風呂で指宿温泉を楽しみ、朝食を済ませ「ブギウギ」を視聴してから宿を出る。宿のご夫妻に丁寧な見送りを受け、R269で「道の駅 山川港 活お海道」でサツマイモ(紅はるか)を購入。
山川製塩工場跡から開聞岳の風景を眺めて、R226開聞十町の道路沿いにあった「まつざわ農園」に立ち寄り、更にサツマイモ(紅はるか)5kgを購入。生産直売かと思って話したが、近所の農家生産分を販売していた。〇〇農園という表現に惑わされる... 番所鼻で繁殖したタツノオトシゴを見学、r29で茶畑を抜けて南さつま市(加世田)に向かいpoturiという焼カレー屋でランチにする。店内の佇まいが昭和の病院みたいだな?と思っていたら登録有形文化財だった。https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192540
店外に出ると近隣もそんな建物が多く、このエリアが武家屋敷群の残る加世田麓だったと知る。「万世特攻平和祈念館」を絶句したまま見学、この歴史の上に自身もある。残る人生も律して行こうと思う。
加世田郷土資料館を見学してからR270で加世田を離れ、田植えが始まった金峰町を抜け、r22で伊作峠を越えて鹿児島市谷山に戻り、R10鹿児島マラソンコースを辿りながら、霧島市国分の宿舎に16時半チェックイン。
移動距離:166.2km
平均燃費:22.8km/L
平均車速:34km/h
宿泊先:サンホテル国分
2024年3月8日(金)
今日は自宅に戻る日だが、到着は9日(土)となる予定で長い1日の始まりだ。昨日よりホテルの窓から見えた展望台が気になり行って見る。
国分の平野が一望出来て、海の向こうに桜島が浮かんでいる、田園地帯に大きな2工場(京セラ、ソニー)があり、これが原動力となり成長した感じが俯瞰で感じられ、宿舎周辺の飲食店、夜の街の充実がそれを物語っている。新しいマンションも多数あり、すでに第1次産業の町ではない。鹿児島空港も近く温暖で広い土地もあり魅力ある町に感じられ、我が故郷の「和気清麻呂」ゆかりの和気神社もあるので何だか縁のあるところだ。R504でさつま町を経由して長島に向かう。途中は自動車専用道路が一部完成し、険しい紫尾山麓もスイスイと抜けられる。
「道の駅 黒之瀬戸だんだん市場」で生キャラメル芋(紅はるか)を購入、生産現場である長島を巡ってみるが、現在はジャガイモ畑が広がる。
「道の駅 長島」まで進み昼食を済ませて、サンセットの丘にある長島町歴史民俗資料館を見学、昭和57年に牛を使った農耕をしているカラー写真が展示してあり興味深い。子供の頃、我家にも牛がいた事は記憶しているが農耕をしている光景は記憶にない。個人的には高知県の山中で見た(2022/1/19 https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-01-14)多数の犂の実際の使用方法を見てみたいものだ。牛を使った農耕も、鵜飼の鵜匠の様に公務員としてでも残す価値があるのではないか。
遠くに牛深の町が望めるが、今日は風が強く車外では活動したくない状況なので、早々に撤退。
この地を13:40出発して自宅へ向かう。R389→R3経由し水俣ICから自動車専用道路に入り、八代から九州道を北上、福岡で日没、古賀SAで夕食を済ませると暗闇となる。佐波川SA、宮島SAで休憩し高坂P付近から降雪となる、温暖な鹿児島が羨ましい... 福山SAで最後の休憩を済ませて、予定通り高速道路週末料金で岡山ICを出る、25時自宅着。
移動距離:806.4km
平均燃費:18.9km/L
平均車速:66km/h
サツマイモの故郷で様々なサツマイモを購入して見たが、自宅に戻りそれぞれの芋を計測チェックをすると、いい按排な価格設定もあれば、重量に基づく正確な価格設定もあり生産者、販売者の思惑も重なり人それぞれで面白い。残念だった事は5kgという重量で購入した芋の実測は4.7kgしかなかった事である。誰も測らないだろう、という思いで芋2個抜いたのかもしれないが、購入した側は、たったの芋2個で騙され感は強く開聞で買った農園のことは忘れない。やはり正直に実直に販売することを肝に銘じる。この様にしてマラソン応援の旅は終わった。
4時過ぎ起床、5時半に自宅を出発、気温2℃、真っ暗闇の中を一路鹿児島に向かう。玉島ICから高速道路に入る頃、東の空が明るくなって来た。岡山平野は快晴だったが、尾道ICを過ぎると降雪状態となる。東広島市の山は白く、今年初めて雪山を見てワクワク感が止まらない。
とりあえず雪のリスクが無くなる宮島SAまでノンストップで走り抜け、降雪の向こうに青空の宮島を眺めながら、誰も居ないレストランで、配膳ロボットが持ってきた朝食を頂く。時代はコロナパンデミックを越え前進していくものだ。更に西に向かい壇ノ浦Pで休憩していると、福岡の知人よりTelが入った。3月13日に宴会をするので参加せよ!との内容だった、福岡を通過して鹿児島に移動中とも言えず、なんだか行動を見透かされているようで驚く。今回の旅の予定は、3月9日に自宅に戻るつもりであるが、どうするか検討しながら広川SAまで移動して、うどんランチを済ませてから更にどうするか考えながら南下すると、阿蘇の外輪山の向こうに中岳からの噴煙が見えて来た。
久しぶりに元気な阿蘇山を見ながら、2016年4月14日に阿蘇で経験した熊本地震から8年経った事を思い出していた。16日の本震により現在走っている高速道は割れ、橋が外れ、土手は崩れて、家は傾き、ブルーシートの屋根、車中泊テント村が見えていた景色は今は何もない。それどころか菊陽町にはTSMC社が完成し、震源地は全国に知れ渡る好景気に沸く町となっている。8年前に誰が想像できた事か?まさに人間万事塞翁が馬である。
宮原SAで休憩し復旧工事が進む球磨川を越え、人吉の町を遠くに眺め、加久藤トンネルを出ると、えびの高原の韓国岳が白く見えた。鹿児島空港を過ぎると、噴煙の上がる桜島が見え、私溶岩です。と言わんばかりの道路沿いの山容は、姶良カルデラに入った事を感じられる。鹿児島北ICを出て16時過ぎに宿舎にチェックイン。残念ながらホテル駐車場は満車により、近くのコインパーキングに駐車。夕刻から中央公園を散策、照国神社に参拝してから夕食。天文館も散策し無料の振る舞い酒(焼酎)を頂きしあわせいっぱいで爆睡。
移動距離:729.3km
平均燃費:17.4km/L
平均車速:76km/h
宿泊先:リッチモンドホテル鹿児島金生町
2024年3月3日(日)
目的のある旅はなんだか少し張り合いがある。そして今日がその主目的の日、鹿児島マラソン当日だ。宿所周辺は6時に交通規制が引かれ、路面電車も車も居ない。そしてランナー達が続々と出発地点の「ドルフィンポート」に集まり始めている。
8:30スタート、直前に宿所前の道路が規制終了し一番乗りでコインパーキングから出て、1台空きが出た先着順の専用駐車場に滑り込む。TV中継を部屋で確認して、予約していたマラソン応援列車に乗車する為、鹿児島中央駅前に向かう。
https://www.kagoshima-marathon.jp/event/cheering-train.pdf
R10と並走する日豊本線から、マラソンランナーを応援する団体列車は、徐行運転や停車を繰り返しながら、倉重駅までの往復を楽しませてくれる。倉重駅では2時間程の応援時間があり、折り返し地点手前で応援できるので合計2回の遭遇応援チャンスだ。楽しく応援し鹿児島中央駅に戻ると応援者はゴールしていた。夕刻からは焼肉屋で完走を祝う。
https://www.mod.go.jp/msdf/equipment/ships/ddh/izumo/
宿泊先:リッチモンドホテル鹿児島金生町
2024年3月4日(月)
昨日に引き続き、青空が広がる鹿児島市。9時4万円突破を確認してから宿舎を出る。今日は鹿児島市平川動物園に行く、過去から何度も興味を持っていたがスケジュールが合わず、道路の案内看板を見て通過するだけの場所だった。調べると大正5年(1916年)に鹿児島市鴨池に開園し、昭和47年(1972年)に平川の地に移転している歴史ある動物園だ。入口正面に桜島を借景にしたアフリカの草原が広がり、キリン、シマウマ、サイ、ダチョウがのびのびと生活している。他では見る事が出来ない動物園の風景に圧倒され4時間ほど見学した、しかも足湯に浸かりこの景色を楽しめるタオル必需の動物園。
罪獣の様な檻にいる動物を見ると少し心が痛むが、自由空間が広い檻のない工夫している展示には好感が持てた。展示される動物の種類にもよるが、自由に生活している姿を、出来れば近くで動物に感づかれない様に見学したいものだ。
遅めのランチは「開花亭 谷山本店」でとんかつを頂き、満足すると曇天となる。早めにチェックイン、大浴場に浸かりのんびり過ごしていると夜になった。夕刻のローカルニュースでは「今日から田植えが始まった」と報道されていた。桜の開花はソメイヨシノを指しているので、鹿児島では遅めの開花予測となっているが、種類の異なる桜は其処ら中に咲いている。パンジーやポピー、シロツメクサも満開だ。植物は気候をよく理解している、人間も冬は温暖な地域で生活したいものである。
移動距離:33.6km
平均燃費:20.0km/L
平均車速:21km/h
宿泊先:ホテルウェルビューかごしま
2024年3月5日(火)
昨夜から降り出した雨は今日中降り続く予報である。こんな日は館内見学をするしかないので「黎明館」https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/index.htmlに行って見る。専用駐車場には係員がいるが利用無料。常設展示には縄文、弥生から現在に続く鹿児島の歴史が紹介されてあり、印象的な場所は入り口の鹿児島県全体を俯瞰できる地図模型だ。北は長島(獅子島)から南は与論島まで南北が長く、そして活火山の多さは豊かな自然と脅威を想像する。県民の皆様には失礼であるが、怖いもの見たさ的な感情が湧く鹿児島県だ。この魅力に引き寄せられて、南蛮渡来が続きザビエルがやって来たりしたのだろうか?そして渡来人との交流から異国の情報を早くから知り、対策を講じて準備をした事が明治期のパワーとなったのだろう。そんな事を思いながら偉人たちの紹介を見学していると昼となる。ランチは「いちにいさん 鹿児島本店」で大満足、やはり鹿児島に来ると1度は食べたい所、感動はいつもと変わらない。午後からは激しい雨も降り、R226を南下して指宿に向かう。
15時過ぎには到着し宿の温泉、元湯温泉を楽しむと体が温まり、Tシャツ、パンツ姿でゴロゴロと過ごす、最高気温は20℃近くあり心地よい南国の温泉を満喫。夕刻になり外食先に向かうが休日と見た目で断念、部屋でカップラーメンの夕食となる。かなり傷んだ状態の指宿温泉街には、砂むし会館以外に人はいない、20時就寝。
移動距離:70.0km
平均燃費:20.1km/L
平均車速:27km/h
宿泊先:民宿・指宿
2024年3月6日(水)
雨上がりの朝、最低気温14℃と温かく暖房不要で熟睡。6時から朝風呂、朝食を済ませて徳光神社に向かう。祀られているのはサツマイモを琉球から持ってきた「前田利右衛門」である。南米出身の芋は、地球東回りで1607年に琉球に伝わっている、それから100年後、この地に前田さんが持って来たそうだ。唐芋(カライモ)から薩摩芋(サツマイモ)へ名前が変わったのもここから始まった。参拝すると黄金千貫らしき芋が奉納してあり、現在も地域の人々から信仰され続けている神社であることが確認できた。
近隣の主な観光施設を巡り見学するが、過去に何度か立ち寄っているのであまり感動は無く、サツマイモを探しながらコインランドリーで洗濯して宿に戻る。
移動距離:73.2km
平均燃費:23.1km/L
平均車速:26km/h
宿泊先:民宿・指宿
2024年3月7日(木)
朝風呂で指宿温泉を楽しみ、朝食を済ませ「ブギウギ」を視聴してから宿を出る。宿のご夫妻に丁寧な見送りを受け、R269で「道の駅 山川港 活お海道」でサツマイモ(紅はるか)を購入。
山川製塩工場跡から開聞岳の風景を眺めて、R226開聞十町の道路沿いにあった「まつざわ農園」に立ち寄り、更にサツマイモ(紅はるか)5kgを購入。生産直売かと思って話したが、近所の農家生産分を販売していた。〇〇農園という表現に惑わされる... 番所鼻で繁殖したタツノオトシゴを見学、r29で茶畑を抜けて南さつま市(加世田)に向かいpoturiという焼カレー屋でランチにする。店内の佇まいが昭和の病院みたいだな?と思っていたら登録有形文化財だった。https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192540
店外に出ると近隣もそんな建物が多く、このエリアが武家屋敷群の残る加世田麓だったと知る。「万世特攻平和祈念館」を絶句したまま見学、この歴史の上に自身もある。残る人生も律して行こうと思う。
加世田郷土資料館を見学してからR270で加世田を離れ、田植えが始まった金峰町を抜け、r22で伊作峠を越えて鹿児島市谷山に戻り、R10鹿児島マラソンコースを辿りながら、霧島市国分の宿舎に16時半チェックイン。
移動距離:166.2km
平均燃費:22.8km/L
平均車速:34km/h
宿泊先:サンホテル国分
2024年3月8日(金)
今日は自宅に戻る日だが、到着は9日(土)となる予定で長い1日の始まりだ。昨日よりホテルの窓から見えた展望台が気になり行って見る。
国分の平野が一望出来て、海の向こうに桜島が浮かんでいる、田園地帯に大きな2工場(京セラ、ソニー)があり、これが原動力となり成長した感じが俯瞰で感じられ、宿舎周辺の飲食店、夜の街の充実がそれを物語っている。新しいマンションも多数あり、すでに第1次産業の町ではない。鹿児島空港も近く温暖で広い土地もあり魅力ある町に感じられ、我が故郷の「和気清麻呂」ゆかりの和気神社もあるので何だか縁のあるところだ。R504でさつま町を経由して長島に向かう。途中は自動車専用道路が一部完成し、険しい紫尾山麓もスイスイと抜けられる。
「道の駅 黒之瀬戸だんだん市場」で生キャラメル芋(紅はるか)を購入、生産現場である長島を巡ってみるが、現在はジャガイモ畑が広がる。
「道の駅 長島」まで進み昼食を済ませて、サンセットの丘にある長島町歴史民俗資料館を見学、昭和57年に牛を使った農耕をしているカラー写真が展示してあり興味深い。子供の頃、我家にも牛がいた事は記憶しているが農耕をしている光景は記憶にない。個人的には高知県の山中で見た(2022/1/19 https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-01-14)多数の犂の実際の使用方法を見てみたいものだ。牛を使った農耕も、鵜飼の鵜匠の様に公務員としてでも残す価値があるのではないか。
遠くに牛深の町が望めるが、今日は風が強く車外では活動したくない状況なので、早々に撤退。
この地を13:40出発して自宅へ向かう。R389→R3経由し水俣ICから自動車専用道路に入り、八代から九州道を北上、福岡で日没、古賀SAで夕食を済ませると暗闇となる。佐波川SA、宮島SAで休憩し高坂P付近から降雪となる、温暖な鹿児島が羨ましい... 福山SAで最後の休憩を済ませて、予定通り高速道路週末料金で岡山ICを出る、25時自宅着。
移動距離:806.4km
平均燃費:18.9km/L
平均車速:66km/h
サツマイモの故郷で様々なサツマイモを購入して見たが、自宅に戻りそれぞれの芋を計測チェックをすると、いい按排な価格設定もあれば、重量に基づく正確な価格設定もあり生産者、販売者の思惑も重なり人それぞれで面白い。残念だった事は5kgという重量で購入した芋の実測は4.7kgしかなかった事である。誰も測らないだろう、という思いで芋2個抜いたのかもしれないが、購入した側は、たったの芋2個で騙され感は強く開聞で買った農園のことは忘れない。やはり正直に実直に販売することを肝に銘じる。この様にしてマラソン応援の旅は終わった。
2024-03-09 21:42
【旅】高知龍馬マラソン応援の旅 [【旅】2024年]
2024年2月17日(土)
前日に飲み過ぎて、出発予定を7時間遅れで自宅を出発した。早島ICから高速道路を利用、快晴の瀬戸内を渡りオレンジ色に染まる川之江市の製紙工場を逆光で眺めながら、ノンストップで南国ICを出ると夕刻となり、マジックアワーの中で田園地帯にある宿泊先にチェックイン。高速道路を利用するとプロパイロット1.0でも楽々ドライブである。3日酔いにならぬように早めに就寝。
宿泊先:サザンシティホテル
2024年2月18日(日)
曇天の朝、今日は快晴の天気予報。高知市内のマラソン大会交通規制が始まる前に始動する、とりあえずフルマラソンの中間地点になる桂浜に行って見る。観光駐車場の手前にあった@200円パーキングに駐車し、観光客のまばらな静かな浜の環境を楽しむ、太平洋らしく時々大き目の波が打ち寄せている。
9:40からの交通規制までに高知競馬場に移動。ここに駐車して桂浜から西に向かうr14海岸線まで歩き、フルマラソンの応援をする。https://ryoma-marathon.jp/course/
10:20に先頭集団が通過、その後、青山学院メンバーが集団で通過。軽やかな足取りは同じ人間業には思えない。
沿道だけでなく海上からも応援する人々もいた。
レース3時間のペースメーカーが来るまでは縦に長い列となっていたが、4時間のペースメーカーが来ると幅広く集団走行となり、市民マラソンの様相となった。「応援ナビ」アプリで再々個人的な応援者を確認していたが、いきなり300m位データがワープ、11:40頃目前を通過したらしく残念ながら発見する事が出来ず、よって応援も出来なかった。このままでは目的を達する事が出来ず25km地点から歩道を歩いて37km地点まで移動していく、このエリアでは立ち止まり、座り込み、歩きも多くなり一部ランナーを我々応援者が追い越してしまう。まだ残距離も多く気持ち的に厳しいエリアなのだろう。再度応援のチャンスを待ち受けるが、応援走者が仁淀川河口で動かなくなった。35km地点の記録が出ない。30分程そのままの状態が続き...遂に倒れたか?と心配したが、見事に復活し14:13に戻って来た。応援する側はお気軽に、応援出来てよかった。と思うだけだが走者はプレッシャーによく耐えたものだ。そして完走、感動...ご立派。
その後r14の海岸線を歩いて引き返した、交通規制がされランナーも車も無い道路には波の音、トンビの声だけが響き二人だけの、素敵な直線の海岸道路(2km程度)散歩となった。
高知競馬場からホテルに移動し16時前チェックイン、17:30~高知のご家族と海の幸三昧...
宿泊先:ブライトパークホテル
2024年2月19日(月)
昨夜の酒もスッキリ抜けて、高知のお土産を頂きにお邪魔してから、雨の降らないうちに牧野富太郎さんの生まれた佐川町に向かう。このシーズンに見られる梅花黄蓮(バイカオウレン)の開花を見てみたいと思い「土佐加茂」駅前にある「集落活動センター加茂の里」に行く。
@300円を支払い、整備された山道を登ると群生地があった。連続ドラマ小説「らんまん」では、万太郎の母が好きだった小さな白い花が、杉の木立の中に咲いている。
見たかったシーンが見られ大満足。佐川町の中心部にある牧野富太郎さんが生まれた場所「牧野富太郎 ふるさと館」「金峰神社」を巡ると本格的な降雨となった。
もう少しゆっくりと見学したいが腹も減り、日高村の「レストラン高知」オムレツランチで更に満足。「まきのさんの道の駅・佐川」で休憩するが、雨足は強くなり帰路につく。今日から暫く菜種梅雨予報、伊野ICから高速道路を走り水島ICで岡山県に戻ると青空交じりで、低い雲の流れる岡山平野では藤田に虹が掛かっていた、16:30自宅到着。
移動距離:424km
前日に飲み過ぎて、出発予定を7時間遅れで自宅を出発した。早島ICから高速道路を利用、快晴の瀬戸内を渡りオレンジ色に染まる川之江市の製紙工場を逆光で眺めながら、ノンストップで南国ICを出ると夕刻となり、マジックアワーの中で田園地帯にある宿泊先にチェックイン。高速道路を利用するとプロパイロット1.0でも楽々ドライブである。3日酔いにならぬように早めに就寝。
宿泊先:サザンシティホテル
2024年2月18日(日)
曇天の朝、今日は快晴の天気予報。高知市内のマラソン大会交通規制が始まる前に始動する、とりあえずフルマラソンの中間地点になる桂浜に行って見る。観光駐車場の手前にあった@200円パーキングに駐車し、観光客のまばらな静かな浜の環境を楽しむ、太平洋らしく時々大き目の波が打ち寄せている。
9:40からの交通規制までに高知競馬場に移動。ここに駐車して桂浜から西に向かうr14海岸線まで歩き、フルマラソンの応援をする。https://ryoma-marathon.jp/course/
10:20に先頭集団が通過、その後、青山学院メンバーが集団で通過。軽やかな足取りは同じ人間業には思えない。
沿道だけでなく海上からも応援する人々もいた。
レース3時間のペースメーカーが来るまでは縦に長い列となっていたが、4時間のペースメーカーが来ると幅広く集団走行となり、市民マラソンの様相となった。「応援ナビ」アプリで再々個人的な応援者を確認していたが、いきなり300m位データがワープ、11:40頃目前を通過したらしく残念ながら発見する事が出来ず、よって応援も出来なかった。このままでは目的を達する事が出来ず25km地点から歩道を歩いて37km地点まで移動していく、このエリアでは立ち止まり、座り込み、歩きも多くなり一部ランナーを我々応援者が追い越してしまう。まだ残距離も多く気持ち的に厳しいエリアなのだろう。再度応援のチャンスを待ち受けるが、応援走者が仁淀川河口で動かなくなった。35km地点の記録が出ない。30分程そのままの状態が続き...遂に倒れたか?と心配したが、見事に復活し14:13に戻って来た。応援する側はお気軽に、応援出来てよかった。と思うだけだが走者はプレッシャーによく耐えたものだ。そして完走、感動...ご立派。
その後r14の海岸線を歩いて引き返した、交通規制がされランナーも車も無い道路には波の音、トンビの声だけが響き二人だけの、素敵な直線の海岸道路(2km程度)散歩となった。
高知競馬場からホテルに移動し16時前チェックイン、17:30~高知のご家族と海の幸三昧...
宿泊先:ブライトパークホテル
2024年2月19日(月)
昨夜の酒もスッキリ抜けて、高知のお土産を頂きにお邪魔してから、雨の降らないうちに牧野富太郎さんの生まれた佐川町に向かう。このシーズンに見られる梅花黄蓮(バイカオウレン)の開花を見てみたいと思い「土佐加茂」駅前にある「集落活動センター加茂の里」に行く。
@300円を支払い、整備された山道を登ると群生地があった。連続ドラマ小説「らんまん」では、万太郎の母が好きだった小さな白い花が、杉の木立の中に咲いている。
見たかったシーンが見られ大満足。佐川町の中心部にある牧野富太郎さんが生まれた場所「牧野富太郎 ふるさと館」「金峰神社」を巡ると本格的な降雨となった。
もう少しゆっくりと見学したいが腹も減り、日高村の「レストラン高知」オムレツランチで更に満足。「まきのさんの道の駅・佐川」で休憩するが、雨足は強くなり帰路につく。今日から暫く菜種梅雨予報、伊野ICから高速道路を走り水島ICで岡山県に戻ると青空交じりで、低い雲の流れる岡山平野では藤田に虹が掛かっていた、16:30自宅到着。
移動距離:424km
タグ:高知龍馬マラソン2024
2024-02-20 08:17
【旅】広島・焼き芋販売の旅 [【旅】2024年]
2024年1月26日(金)
今年初めての旅先は広島。ブギウギを視聴し、一昨日から3回焼いた焼き芋計10袋持って8時半自宅を出発する。R2を西に進み倉敷を通過するまでに1時間かかった、道路整備の遅れは岡山県の課題である。福山市で2店舗訪問し焼き芋を販売、昔話で楽しみながら、三原市でも油を売って焼き芋も買っていただく。気が付けば14時半となり、広島市を目指してひたすら西へ。O店でも焼き芋を買っていただき中島町で全部品売り切れた。ありがとう、感謝。其々美味いイモである事を祈ります。18時宿にチェックイン、誕生日価格という特典で宿泊費1100円、駐車料金500円合わせて1600円。その後はS社メンバーと楽しく夕食、お好み焼きまで食し時間もわからないままホテルに戻り爆睡した。こうして61回目の誕生日を過ごした。健康で自由に動けて酒も飲める、幸せな時間だ。
宿泊先:広島ガーデンパレス
2024年1月27日(土)
目覚めると8時過ぎ、昨年食べられなかった丼ランチ(https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-11-29)を目指して、11時まで時間調整。R54を北上し広島ICまでスイスイと走る、片側5車線まで整備された道路は、毎日渋滞の岡山県にも見習ってもらいたい。八木でUターンして吉島の目的地に11時着、念願の麻婆丼を一番乗りで頂く、少し山椒の辛みが不足気味?と思いながらも10年前と変わらない店内、スタッフに懐かしさを感じながら100円値上げされた800円を支払い店を後にする。
あとはR2を東進、バイパスの整備が進み、一気に西条まで走り抜け瀬野の渋滞が懐かしい。東広島市の道照交差点(立体交差工事中)以外渋滞はなく、流れに乗って岡山市到着。馴染みの渋滞R2(バイパス信号機多数?30年前と変化なし)に飛び込み16時半自宅到着。東西を繋ぐR2渋滞難所岡山は、両隣県の道路整備により益々クローズアップされている様に感じる。県内南北の道路整備は県北過疎化の促進となる、それよりも東西の渋滞緩和整備を優先する事を希望します。
途中の福山市で走行距離6万kmを越えた、納車後2年1ヵ月。
いつもながら一人でドライブしていると色々な事が頭に浮かび消えていく。行き交う其々の車に、バスの行き先表示の様なモノで、ドライバーの頭に浮かぶ絵空事が自動的に表示される装置があると愉快かも知れない。自動運転レベル5になれば、車内「宴会中」とか「会議中」「就寝中」「妄想中」等表示して走行して欲しい。車同士がコミュニーケーションして、ペットを通して人間関係が出来る様な車社会も創って欲しい。
シンギュラリティ時代は、あっという間に想像を超える実現を見せてくれるだろうか、一端でも経験してみたいものだが、アナログに移動を楽しむ事はなくならないで欲しい、瞬間移動は多分面白くない。そんなこんなで岡山広島間の楽しい2日間だった。
移動距離:385km
今年初めての旅先は広島。ブギウギを視聴し、一昨日から3回焼いた焼き芋計10袋持って8時半自宅を出発する。R2を西に進み倉敷を通過するまでに1時間かかった、道路整備の遅れは岡山県の課題である。福山市で2店舗訪問し焼き芋を販売、昔話で楽しみながら、三原市でも油を売って焼き芋も買っていただく。気が付けば14時半となり、広島市を目指してひたすら西へ。O店でも焼き芋を買っていただき中島町で全部品売り切れた。ありがとう、感謝。其々美味いイモである事を祈ります。18時宿にチェックイン、誕生日価格という特典で宿泊費1100円、駐車料金500円合わせて1600円。その後はS社メンバーと楽しく夕食、お好み焼きまで食し時間もわからないままホテルに戻り爆睡した。こうして61回目の誕生日を過ごした。健康で自由に動けて酒も飲める、幸せな時間だ。
宿泊先:広島ガーデンパレス
2024年1月27日(土)
目覚めると8時過ぎ、昨年食べられなかった丼ランチ(https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-11-29)を目指して、11時まで時間調整。R54を北上し広島ICまでスイスイと走る、片側5車線まで整備された道路は、毎日渋滞の岡山県にも見習ってもらいたい。八木でUターンして吉島の目的地に11時着、念願の麻婆丼を一番乗りで頂く、少し山椒の辛みが不足気味?と思いながらも10年前と変わらない店内、スタッフに懐かしさを感じながら100円値上げされた800円を支払い店を後にする。
あとはR2を東進、バイパスの整備が進み、一気に西条まで走り抜け瀬野の渋滞が懐かしい。東広島市の道照交差点(立体交差工事中)以外渋滞はなく、流れに乗って岡山市到着。馴染みの渋滞R2(バイパス信号機多数?30年前と変化なし)に飛び込み16時半自宅到着。東西を繋ぐR2渋滞難所岡山は、両隣県の道路整備により益々クローズアップされている様に感じる。県内南北の道路整備は県北過疎化の促進となる、それよりも東西の渋滞緩和整備を優先する事を希望します。
途中の福山市で走行距離6万kmを越えた、納車後2年1ヵ月。
いつもながら一人でドライブしていると色々な事が頭に浮かび消えていく。行き交う其々の車に、バスの行き先表示の様なモノで、ドライバーの頭に浮かぶ絵空事が自動的に表示される装置があると愉快かも知れない。自動運転レベル5になれば、車内「宴会中」とか「会議中」「就寝中」「妄想中」等表示して走行して欲しい。車同士がコミュニーケーションして、ペットを通して人間関係が出来る様な車社会も創って欲しい。
シンギュラリティ時代は、あっという間に想像を超える実現を見せてくれるだろうか、一端でも経験してみたいものだが、アナログに移動を楽しむ事はなくならないで欲しい、瞬間移動は多分面白くない。そんなこんなで岡山広島間の楽しい2日間だった。
移動距離:385km
2024-01-28 08:56