SSブログ

【旅】高野山への旅 [【旅】2023年]

2023年12月13日(水)
 今年の春(3/5~18)、「四国八十八ヶ所巡礼くるま旅」をした。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2023-03-05
その後、高野山の弘法大師に会いに行く予定でいたが、還暦記念旅行、芋苗の植付を終えるとすぐに、北海道の旅に向かう事となった。その途中(紋別市)で坐骨神経痛を発症し、帰宅後の8月からは通院生活を続けていた。歩けるようになったら高野山に行くことは決めていたが、尻と腰の痛みを抱え、妻にも迷惑をかけながら9~11月に芋掘りを終え、おかげさまで通院生活を終える事が出来た、なのでさっそく高野山に向けて9時出発する。岡山市内の混雑を通過しR2を東進、ブルーハイウェイ経由で日生の寒河から赤穂ICへ、竜野西ICまで高速道路を利用してから、姫路バイパス、加古川バイパスと走る。明石市大久保駅前の「明石焼き お好み焼き一休」でランチを済ませ、更にR2で神戸市内へ。阪神高速湾岸道に向かうハーバーハイウェイに乗る手前で、ナビの「Panasonic ゴリラ」が暴走をはじめ、肝心なところで役立たず。あほPanaナビはそろそろ限界なのか?仕方なく純正のナビを使用しながら、快晴の大阪の街を遠景で眺め、気持ち良いドライブ。万博会場建設現場は、クレーンアームだけが立ち並ぶ平地だ、出島ICから一般道路へ。混雑する堺市、河内長野市を過ぎ、紀見トンネルで和歌山県に入った。15時ホテルチェックイン、少し早いが、こんな時間から大浴場に浸かり満足。
_DSC0986 (1).JPG
 寝るには早いので近くの「JA紀北かわかみ やっちょん広場」まで散歩をする。紀ノ川沿いの風景は、対岸の徳島の吉野川と似ていて、中央構造線沿いであることを実感する。
_DSC0988 (1).JPG
_DSC1000 (1).JPG
 昨年10/18に愛媛県で中央構造線の露出部分を見たが、何だか理解できなかった。https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-10-12
地図を見ると、紀の川の上流部、奈良県域では「吉野川」と表記されている。よって紀の川は、海を越えて吉野川に挟まれている?紀伊半島側から川を見ると「吉野川→紀の川→海→吉野川」となるのだ。四国から見ると、UFOラインにあった吉野川源流から早明浦ダム、大歩危小歩危を流れ、徳島から海へ出て、紀の川から吉野川に登り、三重県の大台ヶ原が紀の川源流となる。海から川を上ったり下ったり壮大な冒険旅行を楽しむ、魚の気持ちも少しわかるような気がする。そんな事を思いながら夕景の紀ノ川の土手を歩いたあと、スシローで夕食後、大浴場を楽しんで眠る。
_DSC0997.JPG
走行距離:234.5km
宿泊先:ルートインホテル橋本

2023年12月14日(木)
 5時入浴、明るくなる空を眺めて7時過ぎに朝食を済ませ、普段の朝の生活リズム通り9時出発した。ビジネスホテルらしく満車だった駐車場にはタクシーとスタッフの車のみ。
_DSC1005 (1).JPG
 九度山からR370で高野山に向かう、途中の道路は崩落し、特に歩道は通行不可能な部分が多かった。近年の災害は記憶に少なく、なんでこんなに酷いのか?理解できずに片側交互通行の国道を登る。検索すると2011年の台風12号による被害が出て来た、2011は東日本大震災の記憶しか無いが、日本列島は毎年どこかで災害が発生している事を再認識させられる、ここで生活する人々からは叱られるが、12年経ってもこの状況では、大金を叩いて、ここにアスファルトの道がいるのか?という疑問だった。空路利用整備が急がれる。
_DSC1037 (1).JPG
 高野山では奥の院にまっしぐら、中の橋駐車場は路面が凍っていた。吐く息も白く、山深さを感じる。杉の大木で覆われた墓地には、歴史上の人物や企業の名が刻まれている、弘法大師を見ることは無かったが「満願」となった。
_DSC1017 (1).JPG
 金剛峯寺まで散策し「万丸」という定食屋で昼食、腰痛の不安もあり駐車場までの復路はバス@270を利用。お助け地蔵尊に立ち寄り、復路は道路環境の良さそうなR480で「かつらぎ」へ、ブレーキペダルを踏みながら降りた。e-power回生ブレーキの改良(放電方法)を望む。「道の駅くどやま」で柿を買い、思ったよりも遠い今夜の宿に向けて走る。ナビの誘導に任せて、橋本ICから京名和自動車道で橿原市、桜井市、宇陀市へ

走行距離:124.4km
宿泊先:美榛苑(みはるえん)

2023年12月15日(金)
 美肌の湯と表現されている温泉水は、肌にヌルっと感がありとても気持ちのよい温泉だったが、残念な事に消毒臭が強かった。しかしながら15時~翌朝9時まで入浴可能で、合計6回の入浴を楽しむ。ウエルカムドリンクからカップラーメン、まんじゅう等の無料提供、子供向け施設もあり、同輩の利用だけでなく若いファミリー利用も見られた。少々のんびりして10時前に出発、地図を見ると三重県境も近く、少しだけ越境して名張市郷土資料館に立ち寄る。縄文、弥生時代から人々の暮らしがあり、九州北部から伝わった稲作が、この地でも暮らしを豊かにしたそうである。
_DSC1040 (1).JPG
 山間部から名阪国道に出ると降雨となり、嫌な予感通り、事故渋滞が発生していた。福住ICからr186→r80で奈良市へ降りて、そのまま今夜の宿「猿沢池」付近の駐車場に到着、奈良盆地は晴れていた。この場所は小学校の修学旅行で訪れ、当時は欲しいものだらけのお土産屋さんが立ち並ぶ、憧れの地だった事を覚えている。今もある「猿沢商店街」を覗いて見るが、心躍る品物はもう無い。
_DSC1081 (1).JPG
 しかしながらこの池には奈良らしさを感じられ自己満足。商店街で昼食を済ませて、奈良公園を散策、春日大社まで往復し、鹿と観光客の戯れを眺めていると、なぜ鹿せんべいを売る人には、鹿はせんべいをねだることは無く、買った人にはお辞儀してせんべいをねだるのか?不思議に思う。たぶん売る人は、毎日鹿に厳しく説教をしているのだろう。歩き疲れて15時に宿に行くが、チェックインは16時からだったので、若草山に車で登る。水蒸気に白く霞む盆地を眺め、ここでも鹿せんべいで鹿と戯れる観光客を遠目で楽しんだ。
_DSC1077 (1).JPG
_DSC1079 (1).JPGチェックインを済ませて、うどん屋で夕食。夜の猿沢池を散策し眠る。

走行距離:71.2km
宿泊先:ホテル 古っ都ん100%

2023年12月16日(土)
 今日は、夕刻までに自宅に帰る日になった。
_DSC1084 (1).JPG
夜間に降った雨も上がり、近隣のカフェで7時からモーニングを食し、興福寺を散策していると無銭飲食の鹿を見つけた。8時から鹿せんべい売り場を設置し、近辺を掃除しているおばちゃんの店だった様で、束のままのせんべいを、バリバリと食べている証拠写真を撮影しながら追い払ったが、私に対する鹿の態度が不満そうだった。
_DSC1094 (1).JPG
_DSC1095 (1).JPG
「おばんさん食っとったぞ、無銭飲食じゃ」と言ったが慌てる様子もなく、定位置の椅子に戻ると、鹿はおとなしくその場に立ち尽くしていた。おばちゃんから厳しく説教を受けているのだろう。
_DSC1097 (1).JPG
 9時過ぎにチェックアウトを済ませて、近鉄奈良駅から大和西大寺に電車で移動、2022年7月8日https://hdj81v.blog.ss-blog.jp/2022-07-09
 安倍さんが銃撃された北口を通過して「平城宮跡資料館」を見学する。弘法大師がまだ幼少期の784年に平城京から長岡京に遷都し、835年御入定29年後の、864年には平城京は田畑になっていたそうである、江戸末期1852年に、北浦さんが「平城宮大内裏跡坪割之図」を完成するまで、忘れられた古都は土中に眠り、1959年から発掘調査が開始され現在に至る。未だに未開の地は多く、もし国宝級の発見があれば、大和西大寺から奈良駅までの近鉄奈良線は撤去されるだろう。そんな感じで地図と地形を眺めた。しかし奈良時代はなんと広大なエリアで、肉眼で判別できないほど離れて天皇に接見し、儀式を執り行っていた事か...それとも奈良時代の人の視力は5.0程度あったのだろうか?
_DSC1101 (1).JPG
_DSC1105 (1).JPG
 第2阪奈道路で生駒山を抜け、大阪城を右手に見ながら天保山まで出て、住吉浜から一般道路で神戸、明石を通過、西明石からR250で姫路へR2で自宅18:45到着。
これにて2023年の旅は終わった。
走行距離:218.1km

総走行距離:648.2km
燃費:19.5km/L
走行時間:18:51
平均速度:34km/h