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【旅】2022年11月20~26日 長野への旅 [【旅】2022年]

2022年11月20日(日)
 長野市を観光したいという事ではなく、娘が1ヵ月程の出張になり.... ならば行って見ようという事になり宿泊先を手配した。自宅から一気に長野市まで行くには、高速道路を利用する方法しかなく、つまらないドライブなので2日間掛けて長野市を目指す。折しも出発は日曜日なので、高速道路は30% OFFだ。備前ICから高速道路を利用し、播但道で和田山ICまで走る。昼食を済ませR9で福知山、R175で舞鶴大江ICを経由し、誰も走っていないガラガラ状態の高速道路を小浜ICで下りた。標高の高い位置から、紅葉する山と、遠くに若狭湾を眺める気持ちの良いドライブコースだった。「福井県立若狭歴史博物館」に立ち寄ると、月に1度の無料開放の日とのこと、有難く見学。若狭湾地域に多数ある仏像の展示と、その理由が解説してあった。そういえばこの地域の国道沿いには、多数の仏像案内看板を見かける。地域固有のお祭りの映像展示も興味深い、昭和の時代で終わってしまっている祭りもあり、豊かな暮らしが可能な第1次産業エリアを確立する施策が、現在の日本の最優先課題ではないかとも思う。
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「瓜割の滝」「道の駅 若狭熊川宿」を見学し、京に向かう鯖街道は1本だけではないことを知る。山深い街道も行って見たくなるが時間切れ、R27に引き返し敦賀から真っ暗闇のR8で福井平野に入り、武生駅前のホテルにチェックイン。
走行距離:374.6km

2022年11月21日(月)
 出発前に越前武生の町を散策。市役所、病院、ホテル、スーパーを駅前に集め整備されているが、少し離れると古い街並みを楽しむ事が出来る。高さのある建物は少なく、ホテル9Fの窓からは町が一望できた。「蔵の辻」エリアは観光地として整備され、京町には総社大神宮、越前国府の碑があり、周辺には多数のお寺があった。特に引接寺の山門は、大きく見応えのある彫刻が施してあり、歴史は知らないが、江戸時代には有り余るほど財があった地域だと実感する。
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町への興味は沸くが、今日は長野を目指して、幾つか峠越えをしなければならないので、9時前に出発した。6千円のクーポン消費とPayPayキャンペーン開催中の勝山市を目指す。大野市経由で向かう途中、お城と越前大仏という大きな建屋が目に付いた。http://etizendaibutsu.com/
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調べると個人のお金で建設した建物であり、その大きさにも圧倒される。しかしながら閑散とした状況から、現在ではその個人の思いは引き継がれている気配はなく、広い大仏殿にCDラジカセからのお経が響いていた。拝観料@500円は現金のみ、門前町まで建設されているが開いている店舗は見えない残念な状況。宗教法人ではあるが、この先残された建物の維持費用は相当な額だと想像する。世紀を超える事業計画は個人では困難である。
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虚しさを感じながら、ドラッグストアとショッピングセンターで無駄な買い物を済ませ、更に自身の行動が虚しくなった。しかしながら、通りがかった「食庵 おり田」で蕎麦ランチに大満足。チョコレートとのコラボが目新しく感心させられた。
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 R158で東へ、九頭竜ダム周辺は高速道路の建設現場だ、中部縦貫自動車道は、福井から松本市まで突き抜ける計画路線で、令和8年の開通予定。雪の季節を目前にして、今期最終追い込み中の現場なのだろうと想像する。油坂峠を越えると大きなS字カーブで下り、そのまま白鳥ICで東海北陸道を利用、高山市に入る。快晴の空に、遠く雪山が見えて気分高揚。安房トンネルを抜けて松本市に入ると真っ暗闇となり、松本ICから長野道で県庁前のホテルに18:30チェックイン。3泊18,000円分のクーポンを頂き、19,666円の宿泊費をカード決済、娘と長野駅近くの居酒屋で食す。
走行距離:343.9km

2022年11月22日(火)
 天候は下り坂であるが今日は曇りの予報。朝から青空も見える晩秋の長野市。休みの娘と9:00に合流し、3人で戸隠方面に出かける。「戸隠地質化石博物館」@200円は、旧柵小学校(しがらみしょうがっこう)の校舎そのもの。歴代使われてきた教材もそのまま展示してあった。骨格標本や水槽内の生物、化石の展示が無造作に置いてあり親しみのある博物館だ。こんな山の中で貝の化石を見つけたら疑問しかないだろう。どう考えても海中だったとは思えない高原地域である、校内に掲示してあった昭和時代の運動会写真には、200名以上の子供たちが運動場いっぱいに広がって体操をしている。50年前まで、この地に大勢の若者が居たのだ。戸隠は、海から山岳地帯に300万年で変化し、大勢の人々の暮らしは50年で変わった。この校舎はいつまでこの思いをつなげるだろうか?ロマンを感じながら、寒さに耐え見学させて頂いた。全国各地に廃校が増え、地域の避難所以外の利用方法に苦慮する中で、一つの答えかも知れない戸隠地質化石博物館だった。
http://www.tgk.janis.or.jp/~togakushi-museum/index.html
 大望峠展望台からのアルプスは望めず、戸隠そば「よつかど」で早めのランチ、戸隠神社、鏡池を見学し25年ほど前に来た風景と変わりはない。
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r36で野尻湖へ、季節柄だと思うが疲弊した湖畔と、乱立する別荘が目立っていた。誰も居ないので車窓から眺めてから、長野市内に向かう。R18→r37で平野部に下りた。夕刻から日暮れまで善光寺を散策し、長野駅前「そば亭 油や」で夕食、そば食の続く長野の旅。
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走行距離:102.4km

2022年11月23日(水・祝)
 出発と同時に降雨となり、終日冷たい雨模様。松代を経由して千曲市の長野県立博物館を見学する。展示内容は幅広い年齢層にもわかり易いが、記憶に残る内容が少なかった。動くナウマンゾウが目立つ。千曲市ではpay pay 20%還元キャンペーン開催中、対象店舗で、遠慮しながらBeerや酒を買うが喧嘩の元となる。姨捨山の棚田を車窓から眺め、石垣のない棚田は土地の有効利用という点で劣るが、こんもりした畔は、日本むかし話の様である。
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しかしながら、冷たい雨に寒さを感じ、ホテルに引き返してのんびりと過ごす。今夜は「長野えびす講煙火大会」だとローカルTV放送で、準備状態から盛んに中継報道をしていた。台風やコロナに影響で3年間は正常に開催されていなかったが、今年は雨天決行で9000発を打ち上げるとのこと。ホテルから打ち上げ位置まで3km程の距離であるが、雨も止まず、部屋からビル越しに見学した。想定外の音と規模に魅せられる。
https://www.ebisukou.kashiyo.co.jp/index.php
今年116回となる歴史ある花火大会らしさを感じ、得した気分でホテルで中華夕食。
 W杯カタール大会ドイツに逆転勝利、驚きと感動で眠れなかった。
走行距離:66.0km

2022年11月24日(木)
 今日は長野市を離れる、天候も回復傾向となり澄んだ空気が気持ち良い。8:50出発、R19で道の駅に寄り道をしながら、生坂村から峠を越えて、池田町経由で松川村に入る。
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用事は無いが村役場に行って見ると、岡山でも見慣れたデザインの「岡本太郎氏」の壁画があった。長野の峠はどこも険しい、学生時代に自転車で旅をした時、長野の峠を幾つも登る度に、10ccでもいいので、このチャリに原動機が欲しい...と恨んだ事を思い出す。
今では楽々くるま旅になったが、すべての峠を走破した、あの頃の体力が羨ましい。
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 雲の間に雪山が少し見える景色の中で「大王わさび農場」を見学。最澄と空海がいた延暦の頃、「魏石鬼八面大王:ぎしきはちめんだいおう」という強い人物がここを治めていた、全国統一を目指した大和朝廷と戦い戦死、あまりに強かった為に、生き返る事を恐れた朝廷軍は、体をバラバラして埋め、その胴体を埋めた場所がここにあるそうで、大王という名がついていると説明看板があった。
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VAIO(株)前を通過し、リンゴ畑と田園風景を通り抜けて、洗馬(せば)からR19で木曾街道に入る。奈良井宿を見学し木曽福島の宿にチェックイン、湯と食を楽しんだ。
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走行距離:150.4km

2022年11月25日(金)
 今日は帰る日だ、けれども木曾街道への興味は多く、快晴の天気予報。
寝覚ノ床を見学し、遠くに見える山々が白く、安曇野に戻りたい...という気持ちになるが、自宅までは距離があり仕方なく南下。道の駅でクーポン券を消費して、大桑村の恋路峠から山を眺めた。
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さらに南下、何も知らず「福沢桃介記念館」という福沢諭吉の娘婿の記念館を見学する。入館料@500を「山の歴史館」で支払うと、ここはケンポウであり、妻籠宿にあった営林署の出来る前の組織の建屋を移築した館で、木を伐採した者を取り締まる為の牢屋もある。と簡単に説明してくれた。それよりもケンポウ【県宝】という言葉が初耳で、聞き返してしまった。これから来客があり十分な案内が出来ない、と申し訳なさそうだった。暫く見学していると、関西電力の名札を付けた数名の団体が、ハイヤーでやって来た。関西電力の方々の接待見学会かな?と想像したが、ここは木曽川、しかも長野から岐阜、名古屋方面に流れている川なのに、なぜ関西電力なのか?自分のいる位置の日本地図が歪んで感じた。電力会社の合併と再編成により、木曽川の水力発電所は関西電力に受け継がれたらしい。
 団体の皆様と一緒に説明をお聞きください。と案内されたのでついて聞く。
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大正時代に木曽の山中にあったこの洋風建築は、福沢桃介と貞奴の暮らした別荘でもあったそうだ。桃介(旧姓:岩崎)は、足が速く、慶應義塾の運動会で活躍した事で、福沢夫人の目に留まり、次女:房と婚約。
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卒業後アメリカに2年半留学。帰国後に結婚し北海道炭礦鉄道に入社するが、結核を患い、病床で株式投資を学び、元手を得て投資家として成功、その後は紡績、鉱山、ガス、電力等の事業経営者となりこの木曽川の水力発電所建設に関わっていた。
貞奴はオッペケペー節の川上音二郎(中州川端通商店街に像)の未亡人、日本人初の女優。
https://www.sadayakko-kakamigahara.com/
学生時代の恋仲だった二人が出会い、ここで暮らしながら、ビジネスパートナーとして水力発電事業に関する政治家、実業家、外国技術者へのおもてなしをしていた別荘だったと説明を聞く。
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見てはいないが、1985年の大河ドラマ「春の波涛」で映像化されている。「桃介橋」という橋が近くにあるらしいので、退館後に見渡すと、到着前にR19で、くぐり抜け橋だった。無知とはこの様なものだ、何も知らず通過するのみ...
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 大正11年(1922年)に完成した全長247mの吊り橋は、用地買収が難航した為、最も川幅の広い位置にわざわざ建設し、当時の国内最大の吊り橋にして、自身の名前をつけた。優秀な外国人技術者を、多数抱える技でもあった様だ。「足が速い」というだけの得意技だが、場を得て披露する事で、その後の人生が変わって行くドラマチックな話だ。しかしながら、事態の真っ只中では、武闘派の真剣勝負だったと想像する。成功したから現在では美しく紹介されているのだろう、が...あっぱれな人生だ。
 妻籠宿を通過し、馬籠宿に立ち寄り蕎麦でランチ、5日連続のそば食を締めくくる。
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中津川ICから高速道路を利用し自宅へ向かう。途中の渋滞を避ける為、養老SA、多賀SAで時間調整、渋滞解消後に京都を通過し、更に時間調整をして岡山ICを0:15頃通過、高速道路料金30%OFFで0:24自宅着。
走行距離:499.4km
全移動距離:1536.7km 消費燃料:79.97L 燃費:19.21km/L