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【旅】2022年---夏の旅--- 6月22日 [【旅】2022年]

2022年6月22日(水)
 早朝より快晴の金沢、天気予報では曇り雨だが、梅雨前線はまだ北上していない模様である。なので8時前には宿を出発、車内で「ちむどんどん」を視聴しながら、ひがし茶屋街エリアに到着。どこも閉まっている静かな町並みを見て歩いた。
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 金沢城の外周を移動して石引パーキングへ、私は県立歴史博物館、妻は兼六園を2時間見学して11時に駐車場集合とした。県立歴史博物館の赤レンガ3棟は、陸軍兵器庫だったが、戦後は金沢美術工芸大学として利用。1986年から石川県立歴史博物館として開館したと記していた。
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加賀100万石というイメージしかないこのエリアだが、遺跡から見つかった「加賀郡牓示札8か条」というモノ(849年に掲げられた札)には、文字が読めない農民へも読み聞かせ、労働を強く進めていた。
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一向一揆の時代は100年ほど続き、相当な勢力を持ち「百姓ノ持タル国」とも記されている。この地で生き、人力で耕した農地は、江戸時代に花開き100万石と呼ばれたのだろう、明治以降、特権階級の人々は急激に衰退し、反乱(紀尾井町事件)や、北海道への開拓移住など、少し出遅れた時代がありながら、農地は脈々と現在に引き継がれている。
 周辺の観光も興味があるが、今日の目的地、氷見市へR8で移動する。「道の駅 メルヘンおやべ」で休憩、看板がメルヘンおやじ?と読めたので興味を持ったが、おやべという地名をひらがなで表示しているだけだった。でもなぜメルヘンなのか?疑問が残る。
調べると、昭和の時代に松本という市長が、公共建築を西洋風の有名な建物を真似て建築して、これらをメルヘン建築と命名した事によるらしい、100年後にもこの地に、建築物が存在していれば、認められるかもしれない、不思議な命名である。
https://www.oyabe.info/marchen/marchen.html
R160で氷見市へ入る、 「道の駅 氷見」併設の氷見漁港場外市場 ひみ番屋街は広くて風呂もあり素晴らしい、晴れていれば富山湾の向こうに立山連峰が望めるが、曇天なので何も見えず。
 大境洞窟住居跡という場所を見学、縄文時代からの住居跡として大正時代に発掘調査されている、当時は脚光を浴びたようだが、今では誰も来ない港町の外れである。洞窟前の神社・白山社の石碑には「犬養毅 敬書」と記してあった。
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 九転十起の像という銅像に立ち寄る、見学していると一人のおじいが近づいてきた、話しかけられるが何を言っているのかわからない。日本語だが100%意味不明だった。
少し話すと、私の話す事はわかるらしい...昭和10年生まれだというおじいは、この銅像の浅野氏は、昭和5年に亡くなっていると記されているが、昭和5年に生まれていると説明してくれた。公園周辺整備をされている面白いおじいだった。私も目指そう...
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http://himi-manga.jp/

移動距離:95.6km
宿:氷見市