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【旅】2022年---夏の旅--- 7月6日 [【旅】2022年]

2022年7月6日(水)
 日付が変わる頃に起きて50mほど離れているトイレへ... ラジオを聴きながら眠る。
4:00カッコーの声で起床。14℃の涼しい朝は心地よい。稚内の最高気温21℃の見込みだとラジオが言っている。朝食を済ませて7:30に出発「ちむどんどん」は車内で視聴して、ノシャップ岬に行く。稚内市内はお祭りの様子で、一部道路の通行止めと屋台の出店準備が進められていた。その一環なのか、岬の漁港には大漁旗を掲げた漁船が数隻泊めてあった。利尻島が霞んで見えるが、海に浮かぶ富士山の様で美しい。
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 サロベツ原野を散策、エゾカンゾウは満開のピークを過ぎた模様、地上から眺めると只広いだけだ、鳥の目でなければこの美しさはわからない。内陸部は少し汗ばむ27℃、海岸線は24℃。
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 角のある鹿はまだ見ていないが、鹿の親子をよく見かける。野生の鹿は草原を跳ねるが如きに走る。複数ピョンピョンしていて微笑ましい。
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 海岸には大きな流木が大量に流れ着いていた、金になりそうだが、人力だけでは困難な物が多い。
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豊富町でソフトクリームを食してから、兜沼に行って見るが、やはり人の目では、平原の風景の美しさは十分楽しめない。
 稚内市に戻る。日本列島の南も北も、端っこには、悲しい話の碑が建てられている。樺太が見える稚内の高台には、1945年8月20日、樺太の北緯50度の郵便局の女性電話交換手が、交換台に向かい、発した最後の言葉の碑があった「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら」その後、青酸カリで自ら死を選択している。42万人の日本人が樺太に住んでいた事も驚いたが、終戦後にソ連軍から攻撃をされ、そのまま現在に至る時間の長さも驚きを越える。今もこの隣国は戦時下だ、ならば敗戦後すぐに北方領土問題の、解決策が実行出来る準備が進んでいるのか?当たり前に自由な行き来を実現して頂きたい。そうなれば、私もこの海を渡って旅が出来るのだ。
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 夕食を購入し、16時前にはサイトに戻る。夕暮れまでのんびり、Beerとラジオを楽しむ。快晴の夕暮れ、日没を海岸線で眺めた、日没後は住宅街をキツネや鹿が歩き始めていた。
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 この季節のオートキャンプ場は毎日満員、ほとんど先輩ご夫婦の「キャンピングカーくるま旅」である。若者と違いBBQをしないので、煙や臭いが無くて良い。再会して宴会するグループもあるが早寝、早起きなので迷惑にならない...と思う私も同胞だ。
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移動距離:141.8km
宿:稚内(宗谷ふれあい公園オートキャンプ場)